甘くて苦い



(月下)


「飯を一緒に食うぞ」というのは、字面は命令形だけど久馬にしてみれば誘いの文句、なのかもしれない。
ふらふら教室に到着し、白柳の挨拶を受け、漫然と午前の授業が終わったところで、僕は久馬グループと昼御飯を食べていた。授業が終わった途端、弁当箱とコンビニの袋を持った久馬が「おー」とか言いながら隣の空席に座って来たのだ。

「あ、それ美味しそう」

白柳も、当たり前のように僕の前の椅子を使う。買い物から帰ってきた席の主が相当狼狽えていたけど、にっこり笑って追い返してしまった。憮然としたクラスメイトの視線が痛い。振り返ってこちらを睨んでいる彼に、内心で詫びた。
不審がられるのも道理だろう。僕自身、進級以来この部屋で誰かと食事をした記憶は皆無だ。昼休みはまず、教室で過ごした試しがない。

「月下は?弁当?」
「え、あ、…う、ん」
「ハコお湯どーする」
「あ、オレ今日麺なしだから。そんじゃ、食いますかね」

…おたついている間に、席を立つタイミングは完全に失われていた。

仕方なしに弁当を広げ始めたら、朝方、鞄を襲った大激震でめちゃくちゃになってしまった中身を、白柳が覗き込んでくる。
慌てて掌で覆い隠すと、きれいなつくりの彼の手に、そっとどかされてしまった。なんだか色々と恥ずかしくて、つい言い訳が口をついて出る。

「…今日は、失敗したんだ…」

玉子の黄色と鶏肉の茶色がミックスされてそぼろ弁当の体を成していない。見た目がまずくなると味まで駄目になった気がする。

「え、大丈夫そうじゃん。俺のこれとトレードしてよ」

どうしよう、とパニクっている内、そぼろご飯と、枝豆と海老のしんじょが回収されて、代わりに小さなハンバーグ、パプリカと玉葱と、ベーコンビッツのサラダが蓋に乗せられた。見た目からしてとても美味そうだ。僕のとは比べ物にならない。
会話を、久馬はしばらく黙って聞いていたが、やがてはっ、と鼻で笑った。

「…女みてえ」
「羨ましいんでしょ、久馬。お前も素直に言えばいいのに」

白柳は意に介した風もなく遣り返している。
隣と前で喧嘩されて、僕はどちらも見ることもできず、ひたすら箸を動かした。

「…バッカじゃねーの。んなわけねえだろ」

久馬は心底馬鹿にしたように言いながら、弁当箱を空にした。次は、とばかりに惣菜パンの袋をびりびり開け始めている。実にいい食べっぷりだ。…こんな風に食べて貰えたら、きっと気分がいいだろうな。



「…なー、渋谷何時くらいからにしとく?」
「朝は流石に浅草あたりにいないとまずくね?」

久馬についてきたのは白柳だけじゃなかった。
城崎と、彼と仲のいい橿原、輕子も周りの席を適当にぶんどって食事をしている。
彼らは久馬と白柳に時々喋り掛けつつも、僕の様子をちらちらと伺っていた。なんでこんなことになったのか判断がつきかねている雰囲気だ。

(「…僕にもわからない」)

折りにつけ誘ってくれる白柳ならいざ知らず、久馬が声を掛けてきたのかなんて――僕の参加に否定的だった城崎への、牽制行為くらいしか思い付かない。

「これ、うまいな」
「ありがとう…」

感心したような眼鏡の同級生の呟きを聞き流しながらも、つられたように思い出されたのは朝の出来事だった。
頭の中でなら、僕はちゃんと久馬に返事が出来た。

『元気か?』

(「君のことばかり考えて不眠気味だ」)

『お前こそ俺のことどう思ってんだ』

(「言えるわけない」)

モヤシ、だなんて馬鹿にされても、僕はこのひとが嫌いになれない。今も彼に近い方の半身が、久馬の挙動にアンテナを張っているような感じがする。
お蔭で、食べているおかずの味はさっぱりだ。女子じゃないけど、僕の症状は、まさに恋する何とやら、ってやつだった。

―――でも。


『仲良くなんてねえよ』



(「…その通りだ」)

彼がそう明言した時、僕が感じたのは糸のちからが及んでいないことへの安堵と――確かな落胆だった。
少しは興味を持って貰えたのだろうか、短い間だけでも友人のようになれるだろうか、というおぞましく、愚かしい気持ちは、久馬が平然と発した言葉でただの願望に終わった。

それで良かったのだ。僕の為にも彼の為にも、それが一番望ましい結果だって分かっていたじゃないか。

「なんで、『ありがとう』?」
「……」
「ねー、月下ぁ」
「こいつ、弁当自分で作ってんだよ」
「えっマジ?そーなのサカシタ」
「…………」
「ハコよぉ、てめぇトレードとかって自分の食えねぇもん人に押し付けんなよ…。ピーマン、キライなんだろ?あァ?」
「…ちょ、ま…!何すんだよコラ!久馬!」
「このつみれみてぇのは俺が代わりに食う」
「なんだそりゃどんだけテンプレなんだよお前はよ!」

「…あ…」

気が付いたら、対角線の二人は揃って白柳の弁当箱を引っ掻き回していた。本当に仲が良い―――思った途端にちくりと体の奥に棘が刺さる。身の程を弁えているつもりでも、気持ちのベクトルはあまり正直にだった。
じゃれ合う彼らに挟まれて、僕はいつものように目蓋を閉じ、俯くしかない。

後ろの城崎たちが、ひそひそと小さな声で何かを言い、…笑っていた。




「…最近は、久馬君たちと昼食を摂っているそうですね」
「……は…い」

一人の部活動を終えた後、完成したマドレーヌを剣菱先生に届けたら、そんな風に言われて――優しく微笑まれた。あんなに通い慣れていた社会科準備室が、少しだけよそよそしく感じるのは、多分、僕の罪悪感だ。

久馬たちとの昼食はその後も続き、驚くべきことに早二週間弱が経過していた。
授業が終わる。久馬が荷物を持って隣に座る。そしてこちらを一瞥する。それだけの動作で、僕の身動きは封じられてしまう。
前の席の同級生はいつからか同じタイミングで姿を消すようになった。空いた場所には、笑顔の白柳が現れる。
久馬の取り巻きも、また、相変わらずだった。
異分子に慣れたらしい輕子や、諦めた様子の橿原なんかは時々声を掛けてくるが、城崎や他の面子は、依然様子見に徹している。それはおそらく、僕自身の陰気さと――彼らのリーダーたる、久馬の態度に理由があってのことだ。

糸のことがあるから、…いや、それだけじゃない、変な期待をしないがために、僕は久馬へ積極的に話しかけはしない。彼も彼で、隣に座ってくるものの、基本、他のやつらと喋ったり、昼寝をしたりしている。ごく稀だけど、僕に用事がある時、久馬は親友を通した。大抵が交換したおかず(これもまた習慣化していた)についてのことだった。白柳だけがいつもと変わらない調子で、家のことや生徒会のことを話してくれる。僕は相槌を打つ。そうして昼休みが終わる。

人が多いと、一人の時より孤独を感じるというが、本当にその通りだ。
校外研修はひたひたと近付き、けれど久馬と僕との関係は、あの準備室で打ち合わせた日が夢だったみたいに膠着したままだ。示威行動のように繰り返される食事の時間は、僕を追い詰めこそすれ、あの浮わついた、幸せな気持ちには二度とさせなかった。

「随分と仲良くなれたようで、わたしも嬉しいです。…昼のお相手が居なくなってしまったのは、寂しい限りですが」
「そんなこと、」

ないんです、とははっきり言えなかった。違うと断言すれば、恩師を心配させる上に僕自身も傷付くのは明らかだ。

ずるい僕は最も安楽な態度を取る。

…黙ったのだ。

「…月下君、」
「……」

剣菱先生は沈黙をどう受け取ったのか、事務椅子を回して真正面からこちらを見つめた。つるりと磨耗した皮膚、皺だらけのその顔に、ひとを見送るような表情が浮かんでいる。諦めと懐古と、慈愛が混ざったそれ。

「わたしはここに居ますから、いつでも様子を見に来て下さいね」
「……ありがとう、ございます…」

暗闇に視界を融かして、深々と頭を下げる。
―――泣きたかった。



堪え性のない僕は、準備室を出てすぐに、涙をぼろぼろと溢してしまい、掌で眦を押さえつけながらトイレまで走る羽目になった。
こういう時、徒歩での帰りは具合が悪いものだ。放課後とはいえ、居残りの生徒も、部活帰りのやつもたくさんいる。そんな中を泣き腫らした赤い目で歩くのは恥ずかしかった。

いつからか、終わりを望むようになっている。
下手に近くにいる今の方が、蜃気楼を見るようにしていたかつてより辛い、だなんて。
僕が犯した高慢の代償だというなら、…成る程、確かに覿面だ。


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