導線



(久馬)


剣菱の所で旅程の確認をした後、俺と月下は荷物を取りに教室へ戻った。今更部活に顔出すのも面倒だし、ちゃんと大義名分があってのこと、サボりじゃない。よーし、このまま帰っちまえ。
少し遅れて後をついてくる影を振り返る。

「月下って通学歩きだよな」
「ああ」
「家、どこらへんなの」
「艫(とも)町」
「マジでか?!艫町なら自転車でくりゃいーじゃねーか!バカかお前」
「え、…ああ、…っうん…そう、だな」
「…」

ふい、と背けた白皙の顔に舌打ちをしそうになる。月下に苛ついたんじゃなくて、むしろ自分自身に――だった。

社会科準備室で会話をするにつれ、相変わらず俺の顔を直視しないものの、月下の吃りや怯えはかなり減って、割といい感じで喋れるようになっていたのに。ちょっときつい物言いをすると彼の警戒心を呼び戻してしまうようで、また、元の木阿弥だ。
ついハコにするみたく、バカのアホのと余計な一言を付け足してしまう。あいつは真性だからな、言ったところで後悔ないけど。月下相手じゃあ些かまずいかもしらん。こいつは俺の周囲にいる奴らとは毛色が随分違うし。

「…俺は船倉だけどチャリで来てるぜ。楽だし」

暗にお前もそうすりゃいいのに、と含みをもたせて言えば、細い首は緩慢に頷く。やや俯き加減の顔からは表情が読めない。仕方がないので前へ向き直った。
歩きとチャリじゃ俺が自転車転がして歩くしかねえじゃねえの。うざいからいっそチャリ置いて帰るかな、なんて考えていたら。

「…ーい、おーい!」
「あ?」
「…っ!」
「キューマ!お前部活来ないのかよ」

廊下の向こうから軽快に走って来たのは城崎だった。同じクラス、そして同じ部活でつるむことの多いこいつも、別グループながら校研の班の一員だった。
自主練に参加していたらしいジャージ姿の友人は俺を見、それから月下を見て大層驚いた様子だった。丁度いいから話しちまえ。

「あ、キノさあ。こいつ校研の班、うちに入れたから」

親指でくいくいと月下を示すと、城崎は目玉が転がり落ちるんじゃねえのってくらいにひん剥いてみせた。

「ハァ?!何だそりゃ!訳分かんねぇし!」

奴が叫んだ途端、前に立つ痩身の肩が硬く強張る。ひくん、と揺れたそれを見た途端に苛ついた。

「がたがた騒ぐことかよ」
「…っ、いや、まあ、そうかもしんないけどさ」

そんなにキレなくても、とぶつくさ呟いているところからすると、かなり内心が表に出ていたらしい。構やしない、隠すつもりなんてねーし。
ついでだ、とばかりに所在無く立っている目の前の、月下の首を腕でぐい、と寄せた。
軽い気持ちだった。
城崎のグループの実質的な頭、橿原にも伝えておけ、と言うつもりだったんだ。

「…っや、っあ…!」

ぬくい、何よりも細い、と思った瞬間、体重を掛けたそれが切ない悲鳴を上げた。

「へ…?」

呆然とする俺の双眸が捉えたのは、これ以上ないってくらいに赤くなった月下だった。
ついに堪えかねたように、両の目からぼろぼろっと涙が落ちて、一文字に結ばれた口脣はそれを受け止めてどんどん濡れていく。雫が紅く色を刷いた頬に零れる様は、至近距離だと妙にきれいで、思わず見惚れてしまった。

「お、おい、サカシ…」
「ごめんっ、帰るっ!」
「ハァ?」
「月下、ちょっとま…」

城崎まで慌てた声を出したところで、細い体躯が力任せに俺を押し退けた。その気になれば捕まえることも出来たのに、――気付けば月下の背中は廊下の曲がり角に消えていた。

「……」
「…泣かしちゃったじゃん」と城崎がぼやく。
「てめぇの所為だろ」
「えぇ?!何で!」

残された俺は城崎に八つ当たりし、それでも腹の虫が治まらなかったので友人を引っ立てて帰りに食い物を奢らせた。

教室には、月下の鞄も、姿も―――無かった。



折からの曇天は雨を連れてきて、夜半から翌朝まで久しぶりのお湿りがあった。お袋なんかは庭の草木が嬉しそうだ、と笑っていたが、俺は仏頂面で朝飯をつついていた。理由は簡単、寝覚めがサイアクだったからである。

気圧の変化の所為なのか、ベッドに入っても寝苦しくて堪らない。部活を休んだから運動不足で出所のないエネルギーが燻ってたのかもしれない。

(「…だからって、ねーだろよ、俺…」)


夢を、見たのだ。

粗筋とか背景が全く説明されていない、唐突なやつを。夢なんて大概そんなもんだ、と笑い飛ばすには内容が内容だった。

学校の教室で、俺は月下と二人きりだった。茜色の景色は昨日の放課後そのままで、ただ、やってることだけが大いに違っていた。

『ひっ…あ、…ん…!』

木の床に四肢を広げている月下の上に、俺がのし掛かっている。喘鳴に似た呼吸は、彼のものか――はたまた、俺のものかは定かじゃなかった。判断がつかないくらい、夢の中の自分は興奮していた。
月下のシャツはベストもろとも、胸のあたりまで引き上げられていて、彼の白い腹がさらけ出されている。女とは違う青白くて硬質な感じの膚だ。手で触れるとびくり、と波打った。質感が良くて、何度も何度も触る。

『きゅう…ま…』

何だ?
例によって紅潮し、涙目の月下はか細い声で俺を呼ぶ。それだけで下腹部がずん、と重くなるようだ。
こちらの昂りを悟ったように、彼は床へ伸ばしていた脚を立て、窮屈に張り詰めている股間へ膝頭を擦り付けてくる。

「…っ、う…」
『きゅうま…』

下から上へ、掌でするような動作で卑猥に擦り上げられると、玉がぐっと膨らんだ感覚すらある。体を支えている腕の筋肉が快感に緩みそうだ。

――月下。

月下は薄く、悲しそうに微笑んだ。場に不似合いな、暗く翳のあるそれ。彼がそんな表情をするのは当然だ。俺の頭ん中のメモリーには、白柳にしてみせていたその顔しか、覚えがないからだ。想像できないものは、どう頑張っても見られやしない。

だから、これは、夢だ。

理解が視点側の自分にも、登場人物たる自分にも伝わる。なのに、月下に覆い被さる「俺」は退く気配がない。同級生の膝がテントを張った俺のそこを、執拗に、しかし優しく愛撫し続けている。濡れた口脣がゆっくりと開く。



『――…知ってる?キャビアってチョウザメの卵なんだよ』


―――ブラックアウト。



良く焼けたウインナーを勢いに任せて串刺しにする。断末魔みたいに肉汁が飛んだ。

「糞ッ」

いくら記憶の再構成だからって、あれはないだろ、あれは!豆に顔のついた犬かよ!
しかもやることしてねえのに、起きて即座にチェックした俺のアレはしっかり満足した証を吐き出していて。早朝から親の様子を窺いつつ洗面所でパンツ洗浄なんつうザマを演じてしまった。夢精なんていつぶりだよ、嘆かわしい。

「なぁに、忍。欲求不満?」
「…ぁ、アァ?!ざけんな!んなわけあっか!」

あまりのタイミングで声を掛けてきたお袋に噛みつくと、台所から出てきた母親はニヤニヤと嫌な感じに笑った。

「最近彼女居ないみたいだしね。ほら、あのこどうしたの?可愛い子いたじゃない」
「誰だよ…知らねーよ」
「普通科の子だっけ?あ、もしかして、また白柳君に取られちゃったの?」
「女の方がハコにすりよるんだよ。…ごっそさん。俺行くわ」

乱暴に立ち上がって鞄を掴んで、ハイ退場。朝からお袋と非生産的な会話を繰り広げる趣味は無いね。

身体はスッキリしたかもしんねえけど、気分はモヤモヤだ。余韻を振り切るように、自転車をかっ飛ばして、学校へ向かう。
雨が降ろうが槍が降ろうが、俺にしてみりゃ走れなくなっただけの話だ。うちの陸上部は、学校が消失しても朝練を敢行しかねない。

分厚い雲が残るものの、薄日が射す空の下で、ベンチコートを羽織り、トンボを掴んで、グラウンドに溜まった水をかいだす。土じゃない、オムニ質に似たコースはこうしておけばいずれ乾く。どうせならやっぱりまともな場所で走りたい。幅跳びの砂場の上にも、掛けられたビニルシートのあちこちに水溜まりが出来ていた。しかめっ面の城崎が青いシートの端をつまみ上げている。
奴以上の冴えない顔つきで、俺は憤然とトンボを操った。何かしてりゃあ少しは気が晴れるんじゃないかと期待あってのことだ。
しかしパッチワークみたいな切れ切れの記憶を繋ぎ合わせて、よくもまあ、あんな夢が見れたもんだ。頭の使い道間違ってんぞ、俺。

「キューマさあ」
「…んだよ?」

部活の後輩たちよか、まだ慣れのある城崎は、俺の不機嫌に負けることなく声を掛けてきた。普通に鬱陶しい。ほっとけ、と思いながら地面から顔を上げると、ごく自然にある方向へ視線がいく。

「あれ、月下じゃん。あいつ、こんな早くに来てんだな」

事後報告のように耳を通り抜けていく友人の声。指し示されずとも分かってしまった。
雨の夜、此処ではない場所で、俺の下であえかに啼いていた男が校舎に向かって歩いていた。


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