ふたりU



(月下)


久馬たちの旅程はびっくりする程大雑把だった。彼と話している内、非常に納得がいった。エスケープ前提なのだから当たり前。

それでも、班を構成する他のグループに比べたら、久馬と白柳のグループは余程真面目だ。特に欲求がなければ二日目の自由行動は浅草から出ないそうだ。

「実際ほんとに遊ぶなら休みんとき堂々と行くぜ」

僕の手元あたりを見、(何か面白いものでもあったろうか)ペン回しをしながら、彼はそう言った。
くる、くる、と一定のリズムで旋回する影を視界の端に置き、僕はひたすら旅程のプリントに意識を集中させようと頑張った。

久馬と校外研修に行く話が限りない確かさで現実的なものになってきている。あんなに白柳に喰って掛かっていた彼なのに、今は全く構った風なく、僕に行きたいところは無いのか、と聞きさえする。
切り換えが早いのは久馬の性格なのだろうか。それとも優しさか?好き嫌いははっきりしているタイプだって、そして僕みたいな性格は彼の好みの対極にあると思ってたのだけれど。
目立つ存在でもあるし、以前から彼のことは気になって見てはいた。でも、避け続けていたことも手伝って、実際の人となりはわからないことだらけだ。

「行きたいとこあんなら、括弧書きでその下増やしとけ」
「う…ん」

傳法院の庭、一回見てみたいけど時期じゃないからきっと駄目だな。お昼はどこで摂るんだろう。折角だからもんじゃ焼きが食べたい。あと、たい焼き屋。先生が楽しみにしていたお店があった筈。

――…なんて、気軽に言えるわけない。何処か適当な、彼らの意に添うような所を思い付かないと駄目だ。

(「どこにしよう…」)

仲が良いわけでもないのに、二人きりになっても、久馬は普通に僕に喋り掛けてくる。他に話す相手が居ないからか?気を使ってくれてるのだろうか。僕は彼とこの距離とペースで喋るだけでいっぱいいっぱいだ。

「…オイ」
「…っ、な、なに…?」

突然呼び掛けられて、普通にビビる。そうっと見上げたら、半眼の久馬がこちらを見下ろしていた。

「お前遠慮してんじゃねーぞ」と、手遊びを止めた彼が言う。「…最低でも三つはどっか書き足せ。ハコから聞いてるぞ。剣菱と回るつもりだったんだろ」
「……」

ばれてる。
ドスを利かせた久馬の声は物凄く怖くて、僕は震える指でシャープペンシルを握った。初日に一ヶ所、二日目に二ヶ所。
混乱をきたした頭でベターな目的地なんて思いつかなくなって、結局、もんじゃ、と書いた文字は局地地震に遭ったみたいに震えてしまった。

そもそも昼食を摂る場所を行きたいところに加えても許されるだろうか。色々あった筈なのに、焦りが邪魔して思い出せない…。

「なにそのロクギエンって」

僕が何かを書き始めたのを見てとって、彼が身を乗り出してきた。柑橘系――シトラスの香りがする。思わず、息を詰めて目蓋を固く閉じて、ようやっとの態で答える。

「リクギエン…。ぶ、文京区にある…庭…」
「ふーん。…あ、お前もんじゃ喰いたいの」
「美味しい店があるって…」
「普通月島とかじゃねえの?」
「え、あっ、」

じゃあ止める、と言い掛けた僕の声に、

「まーでも、月下の勧めならうまいんだろーな」

からっと晴れた空みたいな彼のそれが被さった。


「へ…?ど、どうし、て?」

きょとんとなる。
え、え、え?!
どうしてそんな結論になるんだ?

「お前、調理部なんだろ?…見目から聞いたよ」
「…会長から?」と僕。それから慌てて頷いた。「ああ、…うん、そうなんだ…」
「文化系ってのは知ってたけど、まさか調理部とはなー」
「……」

スラックスの膝頭を握り込み、言葉を探す。そして心の準備もする。女子みたいだ、とか思われてたらどうしよう。

『…嫌われたら嫌われたで、いいじゃないか』

一方で陰鬱にもうひとりの自分が呟く。

『そっちが本来あるべき状態だ』

「……」
「うちの兄貴も食い物関係の仕事しててさあ――…ってコラ。聴けよ。俺が話してんだよ」
「えっ!あ、うん、…ご、ごめんっ!」
「…お前マジでえあって言うのな。…今度から『えあ』って呼ぶぞ」
「……」

それは流石に厭だ。

「イヤなら話してるときは耳かっぽじって聴けっての」
「…はい」

素直に返事をすれば「よし」と久馬は笑う。

「うちの学食、『金の麦』な、うちの兄貴の勤め先なんだ」
「え…っ」
「ガッコじゃなくて、都内の本店の方なんだけど。帰って来たときは色々食わしてくれんだ」
「……!」
「かなり美味いぜ」
「……い…っ!」
「あ?なんだって?」
「すごい…すごいよ、久馬のお兄さん!」

『金の麦』は全員日本人スタッフなのに、海外国内の美食家を唸らせたという有名店だ。経営者がうちの卒業生で、とんでもないことに支店が日夏の学内にある。
基本的に弁当だし、一人で賑やかな場所に行くのは苦手だし――何より一般家庭の僕にしてみれば高額だから、使うのは稀だった。
でも、和食とフランス料理の折衷で供される料理は、掛け値無しの味だ。そんなお店で働いているなんて、すごい!

「僕、本店一度食べに行った!」
「おお!マジか!」
「すごくすごく美味しかった!キャビアと雲丹の乗った湯葉のお豆腐とか、薩摩地鶏の大葉味噌焼きとか!」
「お前よく覚えてんなあ!」
「だって美味しかった、…っ…!」

食べる量はあまり多くないけど、美味しかったものはしっかり覚えている。作れそうなものは家や学校で試作したりもする。唯一と言ってもいい僕の趣味。
気付けば感心した表情で瞬きを繰り返す久馬に力説してしまっていた。
幼稚な、拙い言葉で賛辞を繰り返した後で、遅まきながらはっと我に返る。

(「よりによって久馬にこんな話するだなんて…」)

シャープペンを握りしめていた手の力が嘘みたいに抜ける。取り落としそうになるのを何とか耐えて、口をつぐんだ。浮かれすぎだ。早速にこんな醜態を晒すなんてどうかしてる。
なのに、さっきまで「嫌われていいじゃないか」なんて傲然と主張していた僕まで、今は貝のように黙り込んでいる。…これが本音なんだと思い知らされた気分だ。


静寂は、一時だった。
口を開くことすら厭いかけた僕へ、久馬がぽつりと言った。


「兄貴に伝えとく」
「―――、」
「きっと喜ぶ」


ぐしゃり、と短い前髪を掌で押し上げ、…その癖に明後日の方向を睨み付けながら彼は続けた。
やや焼けた頬は僅かに赤い。口の端が不思議な角度で曲がっている。

(「もしかして、久馬…」)

照れて、いるんだろうか?
埃っぽい部屋の中で、対する久馬の姿だけが切り取られたみたいに鮮やかだ。誰も何も言わない。心臓の跳ねる音がうるさかった。耳の近くに移動したのかって錯覚してしまうくらいに。
――ややあってから、彼は口早に言った。

「あんがと」
「…」


ぼう、と麻痺した頭で、僕は、この瞬間のことは何があっても――、
先々どんなことが起きたとしても、きっと忘れないな、なんて思っていた。



「料理やってるやつが言うならうまいんだろう」というのが彼の持論らしく、それは多分に敬愛するお兄さんの影響があるようだった。
一流の店で料理人として働いているひとと、趣味でちょこちょこ料理をしている男子高生の舌を比べちゃ罰当たりだと思うんだけど。

久馬は自らの主義に従って、もう一軒くらい書き出しておけ、と言う。僕は辺鄙な所に立つ寺の名前を現金にも抹消し、代わりに甘味処の店名を書いた。

「そこ何」
「久馬はあんことか、…平気?」
「あ、全然オッケー。俺好き嫌いねーもん。マルキンのあんこ生クリームたい焼きとか余裕で食うし」
「…僕はそれ、無理そうだ」
「でも月下さ、今日マルキンの袋持ってたな」
「あれは貰い物」
「…誰から?」
「後輩。中等部のとき…いや、部活の、かな…」
「ふーん…。中等部ってことは男か」
「ああ、うん。そうだよ」
「お前きょうだいとか居ねえの。なんか姉貴とか居そう」
「いや、僕一人だから。…お兄さん居るの、羨ましい」
「結構年離れてるからな、餓鬼んときは親父が二人いるみたいでビミョーだったぜ」
「そんなもんかなあ…」
「そんなもんだ」

一人っ子の僕には分からない感覚だ。

『浅草寺ほか』は今や他どころじゃなく、細かい行き先が増えている。食べ物屋はやっぱり入れるべきじゃないのかも、とまたしても悩んでしまう。
歴史の古い土地柄の故か、字面だけだと史跡旧跡に見えないこともない…というのは、希望的観測過ぎるだろうか。
これじゃまるで、

「浅草食い倒れツアーだな」

と、久馬。くくく、と喉を鳴らした。
内心で考えていたことにどんぴしゃだったので、深々と頷いたら、彼が「月下、」と名前を呼んでくる。

「何?」
「…いーや」

なんでもねえよ、だなんて、…よく分からない。

次第に僕は穴だらけの予定を埋めることに没頭し始め、久馬はそれを咎めるでもなく、校外研修とは全く関係のないことを喋っていた。昼の弁当をどうしてるのか、休みの日の潰し方とか、買い物に行く場所の話なんかを。

剣菱先生が、こつこつと扉を叩くまで、彼と僕とはそんな風に放課後を過ごした。


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