ふたりT



(久馬)


石仏みたいに無言の月下を引き連れて教職員室へ。目当ての教師は不在で、仕方なく社会科準備室まで行くと、剣菱は目を丸くしながら迎え入れてくれた。
皺深く垂れがちな双眸が、近来稀に見る発見をした!と物語っているようだ。自分で頼んだ癖にその反応はどうなんだ。

「…おやおや」

事務椅子から立ち上がりのんびりと歩いてくる。こちらも遠慮なく入室させてもらう。
狭い準備室の中はコンロがあったり、ハンガー掛けに衣服が鈴なりだったりで妙な生活感に溢れている。剣菱はひとり教科書を読んでいたらしく、他の教師は外しているみたいだった。

「…どーも」
「白柳君が来るものかと思っていました」
「すみませんねえ俺で」
「いいえ」

白髪頭の担任は俺たちを順繰りに見た。

「…その分だと月下君、君の班に入ったみたいですね」
「ええまあ」
「君の面倒見の良さを改めて教えて貰った気分です。相談して正解でした」
「……」

自分に都合のいい解釈をするのは教師の得意技なのか大人の特権なのか…両方かね、この場合は。ちっとも誉められてる気がしねえ。
俺に対する態度が冗談のように、剣菱のジジイは連れへと笑み掛けた。好好爺、って表現がぴったりだ。なんだ、差別か。差別だな。月下のやつも戸惑いがちに剣菱を見返している。

(「誰彼構わず目を逸らしてるわけじゃねえんだな…」)

「月下君」
「……はい」
「良かったですねえ」
「…、…っ、はい…」

お前何で即答しねえんだよ!とすんでの所で叫びかけた俺は、絶叫するのを我慢して月下の腕を肘で軽く小突く。変な溜め作るんじゃねーよ。剣菱が訝るじゃないか。

「…!」

途端に彼がびくん、と肩を揺らして反応したので、目線で「オイコラ」と遣りかけ――俺まで硬直してしまう。両の頬を真っ赤に染めた月下が、瞳を潤ませていたからだ。えっ俺そんなに強くどついてねぇよ!何だよそのリアクションは!

「久馬君、」
「はっははははハイ!」
「うん?どうかしましたか」
「…何でもありません」と月下。よし、それはナイスフォローだ。
「旅程の確認に来たんですよね」

言いながら、教師はレターケースを漁り、透明な薄いファイルを差し出した。見覚えのあるプリントが挟まっている。金釘みたいな筆跡は白柳の蹟によるものだ。頷いて受けとると、奥の扉を示された。

「今から作業をするなら隣の部屋を貸しますよ」
「あー。じゃ、それで」

鞄もあることだし、教室まで帰ってもいいが埜村やあいつのグループのがいたら面倒臭えしな。流石に明日までは引っ張らないと思うが、今日のところは第二ラウンドだって充分に有り得る。大会前じゃなくて良かったぜ。必要があったらぶちのめすよ俺は、遠慮なく。

「久馬…?」
「はいはい、んじゃ先生、場所借りまーす」
「はい、ごゆっくり」

恐る恐る名前を呼んでくる月下を先に押し込み、そこらの机から筆記具を拝借して彼の後を追う。
嗄れた声が「ありがとう」と言ったような気もしたが、特に振り返りもせず、後ろ手にドアを閉めた。




「そんでさぁ、お前結局どこ行きたいんだよ…」
「…え、っあ、だ…って、もう旅程組んであるんでしょう…?」
「あるけど、てめぇが行きたいとこあったらどうにかしろよって話だろ」

倉庫兼面接室―――いや、むしろ取調室じゃねえの、って部屋で机を挟み、向かい合わせに座る。小さな流しがあって、湯茶の用意がしてあったのでこれまた遠慮なく使わせて貰った。大方、センセーたちが昼飯食ったり、生徒指導したりする部屋なんだろう。
月下は借りてきた猫、または打ち上げられた魚みたいに、血相を失って座り込んでいる。お前は体育館の裏にでも呼び出されてんのか。

「…俺は。そんなに怖いかよ」
「え…?」
「何でもねー。とにかく、これ見てなんかつっこみ入れろ」

ハコや剣菱に対する態度を見ていたから非常に微妙な気分ではある。手持ち無沙汰な雰囲気全開に、ぬるい茶をぐいと飲み干し、埃まみれの古い資料集、スクリーンや転がしてある地球儀なんかを見回した。あ、あれ表記がソ連だ。捨てろよ怠慢教師ども。
こちらに取り付く島がないのを感じ取ったのか、月下はA3三枚分の旅程を眺め始めた。紙の音だけが暫くは部屋を占めていた。

がらくたを見物するのも飽きたので、俺は月下を観察することにした。
大したことも書いてないだろうに、やつは熱心に金釘文字を追いかけている。
こいつの手のあたり、本当に折れそうだよなあ。掌に反して指がアンバランスに長い感じがする。爪の形は石膏で型どりしたみたいに整っていた。これで料理とかすんのか。上手なんかな。

「――なあ」
「…っ、何…」
「お前さ、なんで浅草にしたわけ。横浜とかあんじゃん」
「……」

お、だんまりか。

「……ぅま、こそ」
「あ?」
「久馬、こそ。なんで浅草にしたんだ…」

しちゃ悪ぃかよ、と言い掛けて、自重。そんな風に切り返せば月下がビビるのは学習済みだ。

「横浜よか脱走しやすそうだから。都内で遊ぶにはな」
「ああ…」

彼はとても得心がいったように唸った。あんまり納得されても複雑なんだがなあ。
まあいいか、と、俺は顎で促す。

「オラ。お前はどーなんだよ」
「ぼ、僕は、…行ったこと無かったから」
「……」
「……」
「…続きは」と俺。「話、続きあんだろ」

月下は用意している言葉を吟味するように、口脣をちろりと舐めた。やたらに赤いそれに目が惹き付けられた。ひとしきり外周をなぞって引っ込む様まで、ずっと見ていた。

「…と、京都には親戚が居てよく行くし…だから、いいかなって思って…」
「……」

身体の色んな所がむず痒い。舌もだけど、こいつの口脣、結構赤い。まるでしつこいキスでもした後みたいに。

――…キスだって?

「…きゅうま?」
「…うおっ!何だよっ?!」
「…っ!」

お互いがたがたっ、と椅子を鳴らして飛び退く。全く同じタイミングで、似たような動作で。ただ、月下はまたしても泣きそうな顔してるし、俺は俺で自分の思考に頭が沸騰していた。

先に動き出したのは――俺。
元の位置に椅子を直して、我ながらわざとらしいまでの咳払い。

「あ、あーあー、…まぁ、概ね理解したぜ」それから、努めて自然になるよう手招きをする。「ほら。驚かして悪かったっつの。早く座れよ」
「…!」

月下は酷く驚き、次いで水分過多な瞳はそのままで、なぜかぼうっとしたような表情になった。熱でもあんのかこいつは、と心配になるくらい不安定な様子だった。
それでも、俺の指示に従って再び腰掛けると、白柳楔形文字で書かれた旅程に視線を落とした。

「…初日、宿泊、新宿にしてある」
「そう、浅草入るのは二日目からにしてあるからな」

ハコが「三ツ星のホテルじゃなきゃイヤー」とかほざいてたしなあ。全く、テメェはどこの我儘セレブ女だよ。
しかも一番フルに使える二日目だって、終日浅草に留まるとは限らない。ゲーセン行きたいとか言ってる連中が、大人しく寺眺めてるとも思えん。基本的に着いた後のことは各グループに任せてあっから別にいいんだけどな。

「浅草…『自由行動、浅草寺ほか』って書いてあるけど、どこ、回るんだ…?」
「俺のグループの他――十和田と橿原と、比扇だけど、多分あいつら山手とかメトロで外出るぜ。
お前、俺やハコと一緒だから、」
「…っん、」

どうしてそこで息を飲む!視線が泳ぐ!
…まあ、いーや。気にしすぎたら禿げそうだから、やめよ。

「浅草寺のあたりを適当に見て、…あとは花やしきとロック座」
「花やしき…は、遊園地だよな…」
「そーだな」
「ロック座は?…映画館、か?」
「………………」

俺は今此処に居ない白柳壱成という男を物凄く責めたい。非常に責め尽したい。水責め石抱き鉄の処女、総動員にしたい!
口を滑らせてしまったこっちもこっちだけどよ。

「そうだ、――映画館だ」

この際だから俺も知らない設定にしよう。うん、そうしよう。流石俺、頭いい。
地味な目的地を意外なくらいに楽しみにしているらしい月下相手に、「白柳君が年齢詐称で突入しようとしているストリップ劇場です」とは、図太い俺をもってしても明かせなかったのである。



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