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(月下)


打ち合わせなのか、内緒話なのか――額を寄せ合って話している、二人の後ろ姿を呆然と見つめる。

どうしよう。
どうしよう!

僕の頭の中をびっしりと埋め尽くしているのはその一語だった。溢れ返って耳の穴からでも出てきそうな感じだ。

埜村の依頼を避けることはできたけど、元は久馬の班に入らない為にこそ、昔の友人に声を掛けたわけで。結局、勢いで彼のグループに入ることになってしまった。
僕のしたことはほとんど意味が無いか、埜村のことを考えれば事態を悪化させたようなものだ。…最悪だ。

でも、今更無しにする雰囲気でもなければ、――度胸もない。

(「…どうしよう」)

俯いて、目をぎゅっと閉じる。ゆっくり、ゆっくり詰めていた息を吐き出す。背中を冷えた壁に押し付けると、少しは頭も冷静になれる気がした。

(「最近、僕はこうやって考えてばっかりだ」)

往復一時間二十分掛けて学校に行って、授業を受けて。剣菱先生と話して、時々後輩と逢って、一人で調理室に籠る。僕の生活はほぼそれだけで回っているようなものだった。後一年と少しも、そうやって終わっていくんだと考えていたし、屈託なくじゃれている級友たちが羨ましくあっても、かつての行いに対する罰だと自分に言い聞かせていた。

僕のへんてこな力が、思い出したように綻びを広げ始めている。この先、今まで予想していたような未来にはならないってことは、何となく分かる。

(「…考えるんだ」)

『頑張れ、さっちゃん。』

ふいに甦ったのは新蒔の言葉だった。夏の太陽みたいな、眩しい笑顔が脳裡に浮かぶ。

そうだ、頑張らないと。

これからどうなるのかは分からないけれど、最善と思ったことをやるしかないんだ。僕は甘い。そして弱い。一番忌むべきは、それが相手じゃなくて自分に向かってるってことだ。でも少しだけ、昔と今で違うことがある。馬鹿らしい力を抑えなきゃいけない、自らの愚かさで誰かの行く末を狂わせちゃいけないと、ようやくの自覚がある。

僕は久馬の班に入る。校外研修にも行く。でも、それだけだ。「だけ」で済むように、何とかするんだ。

(「…『何とか』の中身はまだ思い付かない、でも、きっと方法がある筈だ…」)

大部分は自分の精神力に掛かっている気もする。校研が終わったら、顔も見ない、口もきかない関係に戻る。それをやってのけられるか、どうか。

「……」

『ようこそ、久馬班へ』

取って置きの悪戯を完遂したときみたいな、久馬らしい不遜で、華やかな笑顔。浅ましい僕の記憶野はきちんと覚えている。あれは僕に、僕のためだけに向けられたものだった。

(「…っ、」)

ずくん、と血流が速くなる。あの夜、自慰の衝動に駆られて以来、激しくなった現象だ。好きなひとが出来て、歌い文句みたいに胸が痛むのは分かるけど、足首の縄がかあっと熱をもったみたいになる。まるで心だけ取り出して直に外へ晒したようだった。

(「久馬にも…こんな感覚はあるのかな…」)

すぐに疑問のくだらなさに自嘲の笑みが漏れた。彼にそんなこと、あるわけない。

「月下、ごめん、お待たせ!」
「…は、こやなぎ…」

永遠に続くかに思われた自分会議は、一人先にやって来た白柳によって終了した。二人は声をひそめて喋っていたから、話の内容は不明だ。白柳の様子からは特に悶着があった感じはない。

「まだ生徒会の活動中でさあ、」と、彼は申し訳なさそうに言う。「折角、月下が入ったのに…俺も剣爺のとこ、一緒に行きたかったな」
「あ、ああ」
「――そろそろ時間だよ、白柳君」

空気のように存在感を消していた水落さん――確か生徒会役員だ――が、タイミングを見計らったように声を掛けてくる。同級生は小さく肩を竦めて、僕だけに聞こえる囁き声で喋った。彼の背後には大股で歩いてくる久馬が見える。また少し不機嫌そうだ。さっきまで白柳と仲良く話していたのにな。

(「…あ、」)

――…もしかして。

「あいつ、女見目。なぎなた部の元副部。脱走しないように見張り、つけられちゃった」
「……」
「俺、正直面倒臭くてさ、生徒会とか。外見はかっちりしてっから色々勘違いされてんだけど、本当はフラフラしてる方が好きなんだよね」
「……」
「月下?」
「えっ、あ…あ、うん」

考えこんでいて呼ばれているのに気付かなかった。慌てて返事をすると、白柳はくつくつと笑った。

「月下さぁ、そのえあ、っての、クセ?」
「え、あ、いや」
「ほら、また言った。…クッションなのかな、月下的には。――言うべきことを間違えないため、とかね」
「…えっ…」
「水落さーん、こいつサボりとか言ってるよー」

白柳の喉がひぃ、と鳴ったのと、その裏を猫の襟首でも掴むみたいに久馬が捕らえたのはほぼ同時だった。ぺたぺたっ、とスリッパの足音を廊下に響かせ、水落さんがやって来る。
普通科の女子を間近で見る機会なんてなかなか無いから、僕は意味もなく赤くなってしまう。

「ごめんね、月下君」と水落さん。
「えっ、いや、だいじょぶ…」

何が大丈夫なんだか…。
何が大丈夫なんだよオマエ、と案の定、久馬に突っ込まれてしまう始末だ。

「ほら、さっさと連行してくれよ」
「ありがとう、久馬君も。白柳君、行くよ。会長きっと待ってる」
「あいつが待ってるのは俺じゃなくて中期会計報告…」
「…じゃあ脳ミソだけ持っていこうか?」
「大人しく帰ります…」

そのようにして、白柳は普通科の女子に引き立てられるようにして帰って行った。廊下の角を曲がる間際、振り返って手を振ってくれて。その様子が新蒔と被って、思わず反射的に腕をぶんぶんとやってしまった。

「最近の女って怖ぇーのな…って何してんの、月下」
「あっ」

なんということだ。恥ずかしい、見られてしまった…。久馬は胡散臭げに僕を眺め回した後で、――どうやら忘れることにしたらしかった。

「なんか時間喰ったな。…剣菱んとこ、さっさと行くぞ」
「あ、あの、久馬…」
「あ?」

先に立って歩き始めた彼が首だけ捩って振り返った。鋭い目を見ないようにして、なるべく声を大きくして言葉を紡ぐ。

「さっき…二人で話してた…、あの、白柳、怒ってた?」
「はぁっ?!」
「もしかしてそうなのかと思って…」

会話が終わった後、白柳の様子は変わりなかったけど、久馬は間違いなく怒っていた。僕をグループに受け入れる所為で、早速仲違いとかあったんじゃなかろうか。
僕の台詞を聞きながら彼は段々と口の端を歪めていって、最後まで喋らせた後、間髪入れずにこう言った。

「――面倒臭ぇヤツ」
「…っ…」

言葉が刃になって突き刺さるみたいだ。久馬はふい、と顔を前に戻してしまう。

「お前さ、毎日そんなことばっかり考えてんの?」
「……」
「お前のこと初めに誘ったの、ハコなんだから。んなわけねーに決まってんじゃん。だから無人島に行く前に脱落すんだよ、月下は」


――…は?


「無人島…」
「そうだよ。あ、お前『ロスト』とか見てた?俺さぁ、現代日本に足りないのはロビンソン的バイタリティだと思うんだよな」

何だか意味不明なことを喋っている彼は、とても楽しそうだ。立ち止まらずたったか歩いてしまうので、僕も置いていかれないように追いかける。さっきの日本人論の時と同じく、隣で必死に相槌を打ちながら。

(「――久馬が僕の横で笑ってる」)

心臓がどきどきと鼓動するように、赤い糸が反応している気がする。…この感覚だけはリアルだ。
とりあえず、触れられる胸をベスト越しにぎゅっと抑えた。自分の体に触っていると少しは安心出来る。

(「我慢、出来るかな…」)

漠然と湧いたこの疑問は、僕のその後をぴたりと当てた予言みたいなものだった。
好きになってしまった相手の隣で想いを堪えることの辛さを、僕はまだ知らなかった。




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