なつかしい時間



(月下)

「校研の班が決まらないだあ?」
「…そうだよ、悪いか」

金髪の後輩があまりに事も無げに言うので、流石にちょっとはむっとした。すると彼は、やはり理解不能といった風に首を傾げた。
自然に俯いて、―――糸を見つめる。隣にある使い古しの上履きにも、やはり糸が乗っていた。彼らしいと言えば彼らしい、新蒔の糸。

「新蒔は…明るい、し、友達だって多そうじゃん…そんな苦労しないだろ」

久馬の班に入らないのであれば、どこかに潜り込まなきゃならず、でもすぐに受け入れて貰えそうな所なんて皆無だ。剣菱先生からあと一つの浅草班のことは聞いていたけれど、教えて貰った時はまさかそこに、アタックする羽目になるとは思わなかった。

全部、僕が招いたことだ。

糸を理由に、すべて自ら遠ざけた。だって僕はもう誰とも寄り合えない。誰かの思いを無遠慮に知ってしまうのも、叶わない願いを傍観するのも、厭だから。
そうした行動の所為で、より窮地に立たされているのだから始末に負えない。

「さっちゃんだってフツーじゃん。それに中学ん時ダチ居ったやん」
「……」

後輩の言葉に、口に出来ない弁解や感情が喉で詰まる。
彼は、勿論僕の能力を知らない。急速に人付き合いが悪くなったことや、クラスで孤立状態だってことも。
新蒔は変わらず僕を見ていてくれて、でも今の自分はその評価を素直に受け取れないでいる。二、三年前の僕はどんな人間だったのか、都合のいいところだけ取り戻そうとしても、うまくいかないんだ。まるで、サイズの合わなくなってしまった服みたいに。

黙りこくった僕をさして気にした様子もなく、新蒔は手元をがさがさと引っ掻き回した。よれた紙袋からブラシや整髪料、鏡が出てくる。随分しっかりしたつくりの、金属の櫛も。それらの道具を器用に扱いながら、鏡の自分を覗き込んだままで彼は言う。

「さっちゃんはオレが目ぇ付けたくらいなんだから、もっと自信もたねーと」
「…自信って言ったって」

僕は特別何かが出来るわけでも、秀でているわけでもない。料理だって下手のよこ好きでやっているようなものだし。だけどそうした内容で反論するのはさらに情けないように思う。折り曲げた中指の背中に歯をたてる。

「まー、さっちゃんオクユカシイからなー」
「そんなん違うし…」
「いーや、実に理想的な大和撫子だ」と新蒔は断言する。「飯はうまいし、優しいし。少なくともいきなり裏拳出してきたり、エンシューリツ三千桁唱えて喜んでたりしねえもん」
「……」

僕は置いておいて、それは随分特殊な例なんじゃないかなあ…。

「オレの周り、最近変人ばっかでさあ、パネェよほんと勘弁してほしーよ」

ぼやく声には本音が滲んでいて、もてるのも大変なんだ、と思った。彼のことだ、人当たりがいいから色んな子が寄ってくるのかもしれない。
喋っている間も、器用な手は淀みなく動いていて、やがてすいた髪をカチューシャで留めると、後輩はこちらを向いてにっこり笑った。

「その点、さっちゃんは文句なし。…そーね、オレ的にはもっとこう」
「……ひゃ?!」

―――……冷たい!
思わず瞑った目を恐る恐る開ければ、長めだった髪がピンか何かで頭の上で留められている。額についたのは、彼が使っていた整髪料みたいだ。

「で、シャツもゆるっとして…この方が取っ付きやすいよな」

頭を弄っていた学ランの手はそのまま下へ。アスコットタイも引き抜かれて、襟付近が急に楽になった。なるべく目立たないように、といつも校則通りに着ているから、酷く落ち着かなくない。
でも、新蒔が楽しそうにしているのを見ていたら、別にいいかなあ、と思った。休み時間が終わったら直せばいいし。
くすぐったいよ、と言っても新蒔は笑って流してしまう。自分じゃどんな風になっているのかも分からない。前髪はつっぱったり、引っ張られたりと忙しい。タイもボタンもめちゃくちゃだ。でも、楽しい。
この間、白柳とした遣り取りよりも、もっと気安くて、慣れていて、懐かしくて―――そう、ちょっと前はこんな風に、当たり前に過ごしていたんだ。

「…おしゃ、これでよかたい」
「…何かだらしなくなっただけじゃないか…?」

差し出された鏡には鬱陶しい黒髪をヘアピンで留め、あちこち当社比でゆるい感じになった僕が居た。勿論、困惑顔だ。僕の後ろからにゅっと新蒔が覗き込む。
僕はシャツにベストだし、彼は学ランを羽織っているけど、中シャツは紫にラメの絵が入ったものを着ている。制服なのかさえも怪しい二人組のできあがりだ。すると鏡の中の新蒔が、僕を見てにやっと笑った。

「うちの姉貴の奥義としては、涙目作って光速で口唇噛んで、上目遣いするとグーらしいぜ」
「なにが」
「え、男を落とす話じゃなかったっけ」


―――…うん、随分話が脱線したみたいだ。


しかもその後、僕は一度外れた流れを取り戻すことが出来なかった。後輩は僕に「度胸をつける」という理屈で、

「あなたが好きです!」
「もっとでかい声で!」
「あなたのことが大好きです!」
「ハイもういっちょ」
「あっ、あなたのことが好きだから、……新蒔、これ何か効果あるの…?」
「あるある。これさえヘーキで言えるようになりゃあ『仲間に入れて★』なんて余裕よ余裕。ドンゴンさんも真っ青よ」

なんて、よくわからない練習までさせられてしまって、昼休みの全時間は絶叫大会に費やしてしまった。屋上手前の踊り場は狭く、申し訳程度の声変わりしかしていない僕のそれは、実によく響いた。誰も来なくて本当に良かった。
時間ぎりぎりで教室に戻ったから、髪は変なクセがついたままだし、制服はよれよれ、しかもタイを新蒔に渡したままだと気付いたのは、体育の着替えのときだった。スペアなんてあったかな。…準制服のネクタイを使ってしまえばいいんだけど。

別れ際、後輩に「ありがとう」と言ったらとても不思議そうな表情をしていた。
彼にとっては何でもないお遊びだったかもしれない。でも、僕にとっては本当に得難い時間だった。腰履きしたズボンが落ちそうな勢いで、新蒔はぶんぶん手を振って。こちらも一生懸命に振り返した。
BGMは予鈴のチャイム。ここから先は、いつも通りの自分に戻る。

「なんだかよくわかんないけど、がんばれさっちゃん!」
「ん、頑張る!」

目標を忘れちゃ駄目だ。赤い糸に久馬を巻き込まないこと。だから些細なきっかけも潰さなくちゃいけないってこと。
それに僕も、―――…多分、久馬とは離れていた方が楽なのだ。




「頼みって…え、何だよ?」

久馬班ともうひとつ、浅草に行く班のリーダーが彼、埜村。中等部の同級で、以前はよく話していた男だ。突然呼び出されて相当に面食らっている。これからもっとびっくりして貰うことになる。
不思議そうに目を丸くした埜村の、喉仏あたりに視線を据えながら僕はゆっくりと深呼吸をする。思い返すのは昼休み、後輩の新蒔とやった猛特訓だ。

(「…『あなたのことがだいすきです』じゃなくて、」)

「…校研の班、僕を埜村の班に、入れて欲しいんだ」



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