踊り場にて



(月下)

階段の手すりから、学ランの袖がにゅっと生えている。それは僕の姿を認めて大振りに振れた。

「さっちゃん、こっちこっち」
「あ、…ああ」

弁当箱片手に向かった先はいつもの社会科準備室―――じゃなくて普通科棟、屋上手前の踊り場。

同じ学校で久しぶり、と言うのは些か大仰だけど、珍しくも顔を合わせた後輩と昼食を摂る約束をした。僕が二つ返事で承諾したのを彼――新蒔は嬉しそうにしてくれて、ちょっと申し訳ないくらいだった。

弁当派の僕は学食に行くわけにも、ぽつんと一人教室で食べるわけにもいかず、大抵を剣菱先生のところで過ごしていた。先生も、好きにしていいですよ、と快く居場所を提供してくれていた。
けれど、例の校外研修のことがあって、顔が合わせ難くなってしまった。そんな折りの新蒔の申し出に、僕は渡りに舟、とばかりに頷いたのだ。

午前いっぱいは、何だか後輩の好意を利用したみたいで自己嫌悪だったけど、こうして屋上手前の狭い空間に、潜り込むみたいにしてご飯を食べるのって、凄く楽しい。小さい頃の秘密基地を彷彿とさせる感じだ。

「おっ、さっちゃん、ご機嫌じゃーん」
「え、」

そこまで顔とか態度に出てたろうか、と頬をぺたぺた叩いていたら、新蒔はウィンクを寄越した。気障な仕草なのに、不思議と彼にはよく似合う。

「そんくらいで丁度イイんだよ、さっちゃんは。基本どん底顔なんだからたまにはアゲていかねーと。オッケー?」
「…っ、お…オッケー」

新蒔大輔は中等部時代の後輩だ。
彼は中等部特進科、高等部普通科という、一貫コースの僕からしたら異色の存在である。
はしっこい、好奇心の強そうな目が印象的な、浅黒い肌にひょろっとした上背の持ち主だ。高校に入っても髪が金色になったこと、身長が伸びたこと以外は、昔と全然変わらない。
普通科において染髪は校則違反らしく、生活指導の先生と、風紀委員に追い回されているそうだけど、僕はとてもよく似合っていると思う。きらきらした明るい髪色は彼の人となりにぴったりだ。そう言うと、後輩はいつだって照れ臭そうな笑顔になるんだ。

僕らは、彼の内緒のアルバイト、広言するには憚られる類いに入ると思うのだが、それがきっかけで知り合いになった。彼のバイトのお蔭で、数少ない知己を得ることができたし、部活も廃部の危機を免れてきた。きっと、友達と言うよりは恩人とすべきなんだろう。

「いっやー、そうまで言ってもらえっとオレも名義貸し冥利に尽きるっつうか?」と、後輩は笑いながら言う。
「ま、さっちゃんだから?手ぇ、貸すんだけどさ」
「…ありがとう。…でも、バイト代、こんなんでいいのか?」
「いーっていーって!あーこれぞ愛妻弁当!流石オレの嫁!…写メ撮って当て付けに送ってやろ。ヒヒヒ…あいつらにもたまにゃ波風立ててやんねーと、倦怠期になったらカワイソーだからな」

なんのかんのと言いながら、彼は僕の差し出した弁当を携帯で接写した。
新蒔のアルバイト――名義貸しという不穏当な響きのそれは、文字通り、部活への幽霊所属だ。
うちの学校は二つ三つの掛け持ちが許されていて、彼は事実上帰宅部だけど、名前の登録だけは調理部と…あと二つほど、別の部活にしているらしい。

「さっちゃん、チョーリブやめないねー。中坊んときからじゃん」と、携帯を操作しながら新蒔。
「うん、…前は強制でどっか入らなきゃいけなかったけど、何だかんだで楽しかったし…」

だから高等部に進学してからも、僕は調理部に入部をした。毎朝、弁当を作れるくらいには料理の腕も上達した。でも、中等部の時は男子校故の部員不足、高校の方は女子の派閥闘争みたいなものが勃発してしまい、気づけば僕一人が部員兼部長という惨状である。
困っていた矢先、「じゃあまた手伝っちゃる」と言いながら、新蒔が助けてくれたというわけだ。

本当はよくないことだって、分かってる。でも、きっかけはともあれ、こんな風に接してくれる相手と知り合えたのは僥倖だと思う。

―――それに、もうひとつ。彼は「赤い糸」においても、「特別な」人物なのだ。

ひとを繋ぐ運命の糸は、時に単なる「赤」じゃないときがある。あの、不遇な恋人たちを示したそれが、縺れ絡み合っていたように、時として色や形を異にすることがあった。
新蒔はそれを僕に教えてくれた、初めてのケースだった。

「……っし、送信完了ー!さっちゃん、ボケッとしてねーで食うぞ!」
「あ、…ああ」
「ナニ?まさかして、ケータイをゲージュツ的に操るオレに惚れ直したとか?」
「あははは…!本当、相変わらずだな、新蒔は…」

ムードメーカー的な言動だけじゃない、不変のまま後輩の足首に結われている「それ」を見詰めていたら、額を指で弾かれてしまった。ごく自然に笑えている自分が居て、…いつもの僕を教室にでも置いてきたような錯覚を覚えてしまう。

「さー食うぜー!」
「…いただきます」

ひんやりとした壁に並んで背中をもたせかけて、彼は僕の作った弁当を、僕は彼に貰った、バイト先のお裾分けだという焼きそばを食べる。
こんな、皆にとっては当たり前かもしれない時間―――誰かと約束して食事をする機会も久々で、現金だとは思ったけれど、やっぱり口の端が緩んでしまう。
朝は食欲なんて欠片もなかったのに、貰った焼きそばが酷く美味しく感じられて仕方がなかった。

「お、返信返ってきた…『自作自演乙』……直で電話掛けてハイジのオープニング歌うぞゴラア!」
「あ…新蒔、落ち着いて…っ」
「さっちゃん、今度アレ!アレやって!」
「え?」
「あのピンクのしょわしょわした甘いやつ、あっとばい」
「あー…桜でんぶのこと?」
「そそ、その臀部…で、でんぶ?とにかくアレでハートマーク、飯の上に書いて。んで、DAISUKE★って入れて。来月のバイト代、それがいい」
「いいけど…」

新蒔の要求は時々不思議な内容になるけれど、きちんと果たしてやるととても喜んでくれる。遣り甲斐があるから、こちらまで楽しくなるんだ。こっくり頷くと、彼は節の目立つ手でもって、僕の肩をばんばん叩いた。

「っしゃ!じゃあ頑張りやさんなマイハニーにはご褒美だな」
「へ?…ご、ほうび?」
「おーよ、タイタニックに乗ったつもりでドカーンと構えててチョーよ」
「わ…わかった…」

何だかよくわからないけれど、彼のことだ、いずれの時を待とうと思う。
再び頷きながらも、自分の現況と、何かの気紛れみたいに降ってきた穏やかな時間のギャップを思うと切なくなってしまった。鼻の奥がつきんと痛んで、必死に涙の予感を振り払った。

「どーしたん」

きょとんと目を丸くして聞いてくる後輩に、僕は弱々と微笑んでみせる。

「…新蒔が同じクラスだったら、良かったのに」




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