ゲシュタルト崩壊



(久馬)


ホームルーム開始ギリギリの時間に教室へ帰ると、ハコはクラスメイトと何やらくっちゃべっていた。奴の前を通過し、椅子にどかっと腰を下ろす。制服に着替えている暇は無さそうだ、仕方がねえ。他の連中が練習を切り上げても走っていたツケだ。
ロッカーに突っ込むものを整理したり、マフラーを巻き取ったりしていると、友人が何気無い仕草でふらりとこちらに寄ってくるのが分かる。顔を上げれば、見計らったようなタイミングで微笑みかけてきた。

「おっはよう」
「オウ」

仲間内のやつがオレ達を注視しているみたいだった。心配げな顔を見て、ははあ、と思う。昨日大騒ぎしちまった時、会室に居たやつらだ。生徒会の役員だったなそういえば。

「城崎と輕子が合格発表前のお受験ママみたいな顔してる」
「…そのビミョーな例えはどーなんだよ。…期待に応えてやっか?」
「取っ組み合いとか?」とハコは笑った。「勘弁しろよ。オレ、自分よか腕力あるやつと正面からやりあうM趣味ねーもん」

その手合いを背後から強襲して縛る趣味はある癖にな、とは心の中だけの呟きにしておいた。なんて友達思いなオレ様。
遠巻きにしていた連中も、変わらずお喋りをするオレらに安心したらしく、ふやけた笑みを浮かべながら会話に加わってくる。

―――これが、オレとハコの付き合い方だった。
どんなに喧嘩をしても、次の日からは通常営業。別に約束とかしたわけじゃない。友人になって過ごしているうちに、自然とこんな風になっていたんだ。
むしゃくしゃしてねえっつったら嘘になる。勝手に剣菱と話を進めたことも、月下と二人組になるっつったことも、オレを馬鹿にした数々の暴言も――何一つ納得しちゃいねえ。だがシカトしあったところで解決するもんなんて無いからな。

ハコがちょっと前に見つけた理想のお相手(「青い鳥」とか抜かしてた。キモい)について長口舌をたれているのを、右から左へ聞き流していたら、前の扉から担任が、後ろの扉からは月下が入ってきた。細い体躯を折り曲げてはぁはぁと息を吐いている。いつもは白っぽい膚の、頬や鼻の上がほんのりと紅に染まっていた。

「…」
「…走って来たのかな、珍し。ねぇ久馬、月下もあーなるとちょっと色っぽいね」
「ハァ?!」

オレと同じ方向を見ていた白柳は、淡々と会計報告をする口と表情でとんでも無いことを言った。誰だよこいつに投票した阿呆どもは。……オレも入れたけど。

「てめぇの腐った発言は聞き捨てといてやる」

…が、確かに今朝の月下の様子は珍しい。

あいつはいつだって朝練とかもねえのに早々と登校している。グラウンドに居ると、早朝、校舎に向かうぽつんとした影をよく見かけるのだ。それに鞄と一緒に放り出されたあの袋。やつのイメージとはかけ離れた店の包みがちらちら覗いている。

「マルキンだ」

オレの思考を形にするようにハコが呟いた。

「買い食いとかすんのかな」
「さぁな。知らねえ」
「今度一緒に誘ってみよーかな、」
「おいハコ…」
「はい、皆さん席につきましょうねえ」

ブラシみたいな白髭を撫で付けながら、剣菱が厳かに言い、ハコはわざとらしく溜め息を吐く。来た時と同じように上体をふらふらと揺らしながら。

「残念。朝の挨拶は後回しだ」

―――だからそんなことオレにわざわざ言うんじゃねえよ。




「…でね、やっぱり俺らの班入らないってさー」
「ふぅん」

昼時、かしましい教室の中で、ハコが何でもないことのように言ったので、オレも関心の無さを前面に打ち出して返事をした。宣言通り、空き時間に月下へ声を掛けたら、そう打ち明けられたそうだ。

人の席を適当にぶんどって、オレは弁当にカップ麺、眼鏡の友人はこ洒落たバスケットのサンドイッチに…やっぱりカップ麺を並べている。
他のやつらは今日に限って近寄って来ない。口の軽いやつが喋ったらしく、念のため警戒中に戻ったと見える。ま、どーでもいーけど。
握り飯にかぶりつきながら、廊下側の座席をぼんやりと眺めていると、ハコがくつくつと笑った。

「…んだよ」
「や、別に」
「てめぇの笑い方いちいち厭らしいんだよ」
「だってオープンエロだもん」
「……」

なんだそれ。むっつりスケベの対義語か何かか。

「月下、居ないね」
「…あいつ、昼飯は剣菱んとこだろ」
「剣爺のとこ?」
「社会科準備室。弁当持ち込んで一緒に食ってるらしーぜ」
「………」

急に黙りこまれたので米糊が付いた指を舐めつつハコを見た。相手はうっかりアルミホイルでも噛んじまったみたいなツラをしていた。

「…本っ当」
「あん?」
「いや……、マジよく見てんなーと思って」
「何が」
「月下のこと」
「……ブッハ!」
「汚ねッ!」

流し込みかけていた苺オレと何かの破片が大逆流だ。被害はほとんどハコにいったので少しは溜飲が下がったが――またしてもふざけたこと言いやってからに!

「人をストーカーみたいに言うな!」
「あ、自覚あるんだ」
「ねぇよ!ってか違げーよ!」

あいつがクラスで孤立していて、昼飯の時間いっぱい教室から消えているのは前から知っていた。
たまたま日直で担任んとこに行ったやつから、月下が一緒に食事をしていた、と聞いたことがあるだけだ。

「いやだからさあ、昼居ない、とか見てるわけじゃん…」
「んなの、ちょっとすりゃ気付くだろ」
「どうですかねぇ…」

煮え切らない態度はハコの常態、と放置しておく。
同じはっきりしない、でも月下とコイツのそれって全然違うのな。
ハコの場合は単なるスタイルだ。実際のところは、何につけても好き嫌いの激しさはオレ以上だし、誰かと付き合うのだって世界記録を目指してんのか、ってくらい、電光石火でよく別れる。恋人になって三時間で破局、って一体全体何やらかしたんだよ。

「理想が高いだけだって」
「てめぇの場合は理想ってか妄想だろ」
「俺の青い鳥ちゃん、確かにうちのガッコだと思うんだけどなー」
「そのまま追っかけて異世界でも行ってろ」

ともあれ、月下がはっきり断ったことで懸案事項の二つは片付いたわけだ。あいつとどうやって三日間を過ごせばいいのか悩まなくて済んだし、ハコが月下を選んだ理由をゲロさせなくたっていい。残るは友人の問題発言を残すのみだが、これに関してはオレが耳を塞いで忘れてしまえば終わることだ。

平和的解決。実に素晴らしいじゃないか。

「久馬、麺のびてるよー」
「あー…」
「聞いてんのぉ?」

聞こえてるよ、うっせえな。
聞き慣れた友人の声も、昨日と特段変わらない筈の、教室の眺めも妙に苛々する。
クラスメイトの纏う黒のジャケットや、食い物の派手なパッケージ、象牙色の壁と白い天井―――目に映るそれらがスーラの点描画みたいに、細かな点になって散ったり集まったりしている。

「そういや、あいつ」
「ん?」
「どいつの班に入ったって言ってた」
「…あー、…それ聞かなかったなぁ…」
「……」

オレは目を眇めて相手を見た。そうでもしないと、友人の像すらまともに保てなかった。
やつは糸目をさらに細く歪めて微笑んでいる。オレの意識が散漫(本当は逆なのだと、その時の俺は気付いちゃいない)な所為なのか、ハコが本当にそんな表情をしていたのか―――分からない。

「…さっすがキューマ先生、目の付け所が違う」

オレの視線の先には主の居ない空っぽの椅子。本人も不在、根拠も無し、怒りの矛先も…どこにやったもんだかな。

はっきりしてんのは、月下が言ったのは真っ赤な嘘だって―――オレが確信したことだけだった。


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