(月下)


自室の天井は弱いオレンジ色のひかりで照らされている。僕はそれを眺めながらまんじりともせず、夜が更けていくのを待っている。
布団に入ったものの眠気は一向に訪れなかった。夕食も抜いた。母も父も心配そうな様子だったけど、それには敢えて気が付かないふりで、部屋に閉じ籠った。だって、話したところでどうにかなるものでもない。昔は子どもの夢想話で済んだけど、今の年で赤い糸が云々なんて言ったら、下手すりゃ病院へ直行だ。

布団の上に投げ出していた脚をぐん、と天に向けて持ち上げる。胸のあたりに閉塞感を覚えながら、それでも視界に入るところまで移動させる。橙のひかりの中では例の縄も黒ずんで見えたが、消えることなく、しっかりと僕の足首にしるしを刻んでいた。

「…こんな風になるなら、色々調べておけば良かった」

ぶらぶらと旋回させると、現実に存在しているみたいに縄も軌跡を描いてついてくる。これが他人の足に結ばれていた時は、原因とか消し方(あればの話だけど)とか、最終的な結果がどうなるのかなんて、―――考えもしなかった。
…今は、知りたいことだらけだというのに。

(「最終的な、結果…」)

自分で思い付いたその言葉の恐ろしさに口啌が渇く。僕と久馬の結果、最後に行き着く先。そんなの全然わからない。

僕が糸に絶望したのは、結ばれていても、皆が皆、必ずしも幸せにならなかったからだ。
加えて、『鶏が先か卵が先か』みたいな問題まで発生してしまった。感情の発露と糸の関係。エーロスの矢のように赤い糸に恋心を生む力があるなら、僕が今、彼に感じている感情は、嘘。

「……っ」

自分で出した推論に、気が遠くなりそうだ。足をぶらつかせるのを止めて、布団の中に潜り込む。自分の体温で大分温かくなった空間が僅かな安堵を生んだ。

四肢をぎゅうと丸めて出来るだけ、出来るだけ小さくなる。外敵から身を守るように(そんなやつ、どこにもいないのに)。
閉じた目蓋が熱い。他人と距離を置くようにしてから、激しい感情を得る機会は減ったし、自らコントロールをするように心掛けていた。でも、なんか、……駄目だ。

『…んだってんだよ…』

生徒会室で聴いた、久馬の声がふうっと甦った。憤りを圧し殺したような、低い声。徹りがよくて、真っ直ぐで少し色っぽくて、彼自身を体現したみたいな。あんなに近くて聴いたのは久しぶりだった。

「………」

腕を掴まれた。痛いくらいの力だったのに、驚きと激しい動悸が痛みを軽く凌駕したのだ。ごつくて広い掌と、動きを縫い止めるかのように一瞬、僕を見つめた黒い瞳。

「…ぅ」

ぞくり、と名状しがたい感覚が屈折した身体に奔った。思わず目を開ける。そこは当たり前に真っ暗で、音らしい音は僕の呼吸だけだ。ただ寝転がっているだけなのに、走ったみたく上がってきている、僕の息――。
恐る恐るスウェットのズボンの縁から手を入れる。こんなことしなくたって本当は分かっている癖に。己を嘲りながら、進めていった手は、確かに熱が籠り始めている下肢へ辿り着いた。「それ」の先がパンツを内側から、窮屈そうに押しだしているのだと自覚して、僕は今度こそ泣いた。

「…、…っ!」

彼みたいにきれいな声じゃない、小動物が苦しがっているみたいな情けない嗚咽なんて聞きたくもない。必死に喉のあたりに力を入れて、そこから何の音も出てこないように専心する。







僕は不潔だ。







次の日、朝の寝覚めは最悪だった。引いたカーテンの外は、さらにもう一枚の幕を被っているみたいな、ミルク色をした曇天だったし、おまけにとても寒かった。
僕がリビングに姿を現すと、あまりの萎れっぷりに母の心配は最高潮に達した。学校を休むかと聞かれ、正直、甘えたかったが我慢することにした。不在の間、例の班決めの話が取り返しのつかないところまでいったら、困る。

いつも通り四十分の行程を黙々と歩いている。
見た目は相当みすぼらしい有り様だろうけど、昨夜より気持ちは安定していた。
何せ、昨日の僕は悪魔の誘惑から逃げるのに必死だったから。魔物は体躯の内から手を伸ばし、欲望を育てようと甘く囁き続けた。僕は、久馬の声や、触れられた時のことを思い出しただけで、あっさりと欲情したんだ。

下着に手を突っ込みたい、思う様しごいて、彼の名前を呼べたらどんなにか気持ち良かったろう。でも、そんなことをしたら最後、僕は自分を保てなくなる。少しでも離れていなきゃならない相手を、一方で性欲の対象にするだなんて、耐えられない。大体、彼も僕も男で、僕の感情は偽物かもしれなくて―――、

(「…やめよう」)

近場から通っている日夏生がひとり、またひとりと増え始めた道で、僕は小さくかぶりを振った。
そう、離れなくちゃならない相手なんだ。
熱を治める意味と、迫るタイムリミットに答えを出すため、ずっと考えていた。今回のこと、糸のこと、
…久馬の、こと。

僕は久馬を巻き込んじゃいけない。それだけは変わらない。例え彼に対して恋情があっても―――想いが、赤い糸の所為じゃなくても。

赤い糸がもたらした偽の気持ちなら尚更だし、元より望みなんてどのベクトルから見てもない話だ。冴えてしまった目をしばたかせながら、現実を再確認した、結論がこれだった。
白柳がどういうつもりで声を掛けてくれたのかはわからないけど、今日、もう一度断って別のグループを探そうと思う。今の時期からどこかに潜り込むのは、かなり難しい。…それも承知の上だ。
でも、昨日、二人にかましたはったりは本当にしておかないとまずいんだ。 剣菱先生に有利な材料を残しておくわけにはいかない。

(「…がんばろ」)

元中の誰かで受け入れてくれそうな奴、居たろうかと悩みつつ、学園手前の橋に差し掛かったとき。風の塊が背中にぶつかってきた!

「おっはー、さっちゃーん!」
「……!」


けたたましい自転車のベルの音と、ブレーキ音が耳をつんざく。油の足りないギィギィの軋り声に、若干涙目になりながらも音のする方角を見る。
鮮やかなカラーリングの金髪がざっと視界を覆った。やっぱりだ。僕を「さっちゃん」なんて呼ぶやつは一人しかいない。

「…おはよう、新蒔!」

背を正して、少しでも元気に見えるよう挨拶の声も張り上げた。装う、と言うよりは、本当にそう思って欲しい気持ちが強い。
剣菱先生と―――もうひとり。僕がこの学校でまともに話せる相手だ。

自転車を押し倒しかねない勢いで着地して、全開の笑顔を見せてくれたのは、中等部の後輩だった。



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