トライアングラー



(久馬)

耐火庫から無事脱出してもオレの気分は全く晴れなかった。現状維持の現在進行形でムカつく。どれもこれもハコの所為だ。
あいつの性癖の悪さには脱帽していたけれど、秘めたる新たな能力を見せ付けられた気分である。
…人を苛々させる才能ってやつをな。

(「…マジで胸糞悪ぃ」)

話はちっとも終わっちゃいない。あんな謎掛けみたいな返事、誰が納得するかよ。喧嘩なら喧嘩らしく、いくとこまでケリつけねえとな。
特にハコは変態だが親友だ。微妙な日本語でもそれが事実である。あいつだからこそ、変な拗れ方はしたくないんだ。しかも月下が原因だなんて意味がわからねえ。

(「まず月下を班に入れるって話を撤回させて、したら月下と二人班とかいう馬鹿なことはなくなるだろ、…後はがっつり謝らせて…奢り、だな」)

ハコの代わりにお詫びプランを考えてやるオレ。超優しいじゃん。
クソ柳め、人を捕まえて考えなしとかほざきやがったが、頭ってのはこういう風に使うもんなんだよ。てめえみたく、「他人の恋人を如何に卒なく後腐れなく奪い取るか」、とか、「健康に良いSMプレイの研究〜縛りから瀉血まで〜」なんかにエネルギー費やしてんのこそ脳味噌の無駄遣いってやつだ。うん、これも良い機会だから改めて言い渡しておこう。
我ながら実に冴えてるよ。

そうやって自らを鼓舞、奮起させながら、会議開始の時間に合わせて役員たちが戻ってくる、その後に続いて会室へ入る。流石にもう少し遠慮を見せた方が良かったか、と思ってしまうくらい堂々と。

すると、会長と副会長は立ちっぱなしだし、他の役員も手持ち無沙汰な感じで突っ立っている。

(「…なんだ?」)

そいつらの肩越しに目線が集まっている先を覗く。

白柳と―――月下がいた。

「……っ、なん、だよ…」


あまりの衝撃に、心の中で思っただけのつもりが、しっかり声に出ていた。そんなことすら無自覚だった。

月下のやつが、笑ってたんだ。


記憶にある限り、月下の表情パターンは辛そうか、泣きそうか、パニくってるか、この三つ。
オレに対しては目が合った途端、慌てた感じになって、目を潤ませてそっぽを向くというフルコース具合だ。あー、思い出すだけでイラッとくる。
ところが、どうだ。白柳の制服をはたきながら、彼の顔を見る月下は間違いなく微笑んでいた。月下の印象に相応しい、控えめですぐに消えてしまいそうな―――だけど、はにかむような笑顔。もう少し待てば明るい声だって聞けるかもしれない、そんな風情だ。
一方、ハコの方も、まんざらでもない感じである。ただ、その双眸に伶俐にひかる一点を、俺は見出だす。何かを確認するような、見定める目だ。付き合い故に分かる、こいつにはやっぱり打算があるんだ。

「―――ハコっ」
「うっわ、久馬!いきなり大声だすなよ!」

そうと悟ったらもうのんびり見物なんざ出来なかった。声を張り上げてハコを呼ぶと、奴はあからさまに吃驚した。あるんだかないんだかわからん細っこい目を大仰に見瞠っている。これ、演技か?

「あっ…!」

もっと仰天した奴がいた。
月下だ。
痩せっぽちの体躯がばねみたいに後ろへすっ飛び、壁のぎりぎりで止まった。そして俺から顔を背ける。
黒く断ち切られたように揃った髪がばらばら散った。瞳は確かに、涙を湛えていた。

「……なんだってんだよ…」

ここまでされて、むかつかない人間がいたら御目にかかりたいぜ。オレの堪忍袋の緒なんて最早髪の毛一本レベルの耐久力だ。
それを理性総動員で、支えた。ぶつける先は善人面の、友達の形をして立っている。

「よっし、ハコ。話の続きだ。面貸せ」
「えっ、だってもう会議…」

生徒会なんて面倒臭い、借りが無ければやらなかったとか愚痴ってた癖に、なんだその有り得ません、みたいな顔は。

「全然終わってねえだろ。オレの気も済んでない、これっぽっちもな!」
「うーん、そう言われても…」

ハコは困惑したようにぼやきながら、黒板の方へ振り向いた。オレもつられてそちらを見る。

そこには会長席に座った会長が、竹刀で肩を叩きながら、書類に目を通していた。


「……」
「……」


生徒会長席で、半眼の見目が、竹刀で肩を叩きながら、書類に目を通している…。

「……」

オレとハコと月下のやり取りを、珍しい出し物でも見るみたいに眺めていた役員たちが、顔面蒼白の態で椅子に腰掛けていく。誰も、一言たりとも発さなかった。
ただ、高遠だけが「帰れ」オレに言った。
それから、

「…君もだ。――白柳は早く席に着けよ」

副会長に射竦められた月下は、分かりやすく萎縮した。狭い肩をぎゅうと寄せて、ごめん、と謝った。

「……――んだよ…」

その仕草に思わず舌打ちが出る。てめえもビビりすぎた、と思うし、高遠に対しても相手を見てプレッシャー掛けろよ、と苛立ちもする。お前のヒステリーに抗しきれない奴も存在すんだよ。

「あの、でも、…少しだけ。…す…すぐ、に、終わるから」
「?!」
「…会長、いいかな…」
「……――二分」と見目は言った。書類から顔が上がり、ひたりと月下を見ている。「以上はなしだ。他のやつは担当の報告に目を通せ」

各所から歯切れがいい返事が出るのを、オレは呆然と見た。白柳も意外そうに瞬きを繰り返していた。
ゆっくりと月下が歩いてくる。見慣れた、悲愴な表情に顔が歪んでいる。

「は、白柳、……久馬…、あの、僕、」
「…なあに」

身長にさしたる差もないのに、友人は腰を折り、月下を覗きこむようにした。反射的に一歩距離を詰める。足が勝手に動いて――内心で首を傾げた。何してんだ、オレ。

「校外研修の…、その、班のことだけど、」
「うん、」
「…べ、別の班に入れてもらうことになってて、……その、ごめん!」
「!」
「白柳にも、あの、久馬にも…だから、喧嘩することなんて何もないし、二人には迷惑かからない」

息継ぎを忘れたみたいに、必死にまくしたてるそいつを凝視した。月下のしろい拳には血管が浮かんでいた。少し刺激を与えれば、割れてしまう細工物みたいだった。

「剣菱先生には僕から言うから。ごめん…本当にごめんなさい!」

黒髪がばっ、と音をたてて沈む。オレと白柳が木偶の坊になって立っている、その間をすり抜けて月下はドアまで走った。

「…ありがとうございました。すみません、失礼します!」


がらり、ぴしゃん。
ぱたぱたぱたぱた。

「―――…そう来たか…」

長い嘆息の後、前髪をかきあげながら口を開いたのは白柳だった。大分驚いた様子だったが、すぐに薄く微笑んだ。

「何がおかしいんだよ」とオレ。
「いや、ね、大好きな餌があるのに食いついてこない理由は何かな、ってね」
「………?」
「単純な恥ずかしがり屋さんなのか、他にわけがあるのか」
「分かるように説明しろって言ってんだろ!」

歯を剥き出して噛み付いたオレに、白柳は掌をしっしと振った。

「…だからちょっとは考えなさいって言ったでしょ」
「んだとぉ?!」
「――さて、二分だ」

底冷えのする声の方角は―――今更説明するまでもない、会長殿である。流石のハコも凍りついたようだ。はっ、ザマミロ。

「久馬」
「おっ、おう」

返事がどもったのはびびったからじゃない。いきなり呼ばれると思わなかったから驚いただけだ!

「月下と友達か」と見目は言った――否定を許さない口調で。「…友達だな」
「………」
「伝えてくれ、調理部の同好会降格の件は一ヶ月猶予をもつ。あと一人だ」
「…は?」
「言えば分かる」
「見目、お前、月下んこと知ってんの?」

なんで普通科のこいつが知り合いなんだ?月下の方だって特に慣れている感じでもなかったし。第一『会長』呼びだったじゃねえの。

何の変哲もない事務椅子をくるりとこちらに回し、彼は片眉を跳ね上げた。

「…知らないのか。月下は調理部の部長だよ。廃部寸前だけどな」

その答えを聞いて、―――さて、どう反応すべきだったのかね。
考える時間は幸か不幸か全く無かった。「お帰りはそちらだ」と冷厳に言う見目の声に押し出され、オレは会室を後にした。


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