皆川有輝の場合α



【皆川有輝の場合】


「あれ、何か聞こえないか?」
「……電話だな」

押しかけた備の部屋で、彼の実家から送られてきたという糞高いチョコレートに齧り付いていた時だ。

備は明日、友人連中(って、それ主に斗与とか、次点で大江だろ)に配ろうと思っていたようだが、布張りの黒箱を目聡く見つけた俺は、奴の制止の前に開けてしまっていた。毒味、と言った時の友人の冷淡な視線、非常に予想通りであったので笑ってしまった。
電話はまだ鳴っている。正面玄関前の廊下に鎮座ましましている公衆電話の音だ。ピンク色・黒電話タイプのそれは、テレフォンカードが使えない骨董品的な代物である。発信には金が掛かるが、家電話共用なので普通に受信が出来、時々、下宿生の家族から外線が掛かってくる。
携帯電話が普及した今では以前ほどの出番はないらしいが、俺の目の前で生物の教科書を読んでいる男のように、携帯の稼働時間は夜寝る前の数時間だけ、なんて奴もいるから。お、誰も出ないのか。

「おばさん、居ねえのかな」と、ジャンドゥヤをかみ砕きながらぼやく俺。
「用事が無いなら代わりに取ってついでに出て行け」
「…俺、何でお前んとこ来たんだっけ」
「俺は知らない」

仰るとおりで。
あー、何だったっけなあ。食った瞬間、頭から胃に運動のウェイトが移行して内容が吹っ飛んだぜ。そう言ったら、備の目が軽蔑から侮蔑に変わった。大した違いじゃないので、気にしない。無問題である。

「邪魔したな、――――あ、そうだ」

思い出した。引き戸に手を掛けながら振り返っても、古くて造りのいいマホガニーの椅子に掛けた男の目線は揺らがない。

「思い出した。飯の時に林先輩が勉強教えろ、っていうから、備の奴、すっごい教え方うまいからあいつに聞くといいですよ、って言ったんだ」
「……、おい…」


扉を閉めた瞬間、振り返り見た奴は、流石に立ち上がってこちらへと踏み出していた。自明の恐怖と未知の恐怖だったら、前者の方がまだましだろ?メンデルさんの代わりに林双子対策でも練っとけ、生きる力の涵養にはもってこいだ。

幅の狭い階段を注意深く降り、受話器を取った。電話の先の相手は女性で、大江、と名乗った。我らが大家補佐、大江由旗のお袋さんである。「携帯に掛けても出ないから、家に掛けたの」とそのひとは言い、「由旗は居るかな」と聞かれたので、積み重なったタウンページの上へ受話器を置き、その場を立った。

「こっちの階段から上に上がるのと、母屋に入ってから階段上がって声掛けるなら…」

どっちもどっち、って気もするが、おばさんと大江って居間で茶飲みながら和んでること結構あるからなあ。取りあえず、居間行こ。
鼻歌を歌いながら薄暗い食堂を抜け、主婦の聖域たる台所を通り、狭い玄関へ出た。この上に大江の部屋があるのだが、台所へ踏み込んだところで居間から光が漏れているのが見えた。うん、そっちか?ごく自然に中を覗き込みながら「おばさん、」と声を掛けた俺は、

――――フリーズした。





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