林環の場合β



(「どうやって聞き出すか………、うん?」)

心の内に留めていたつもりのうめき声が、知らずのうちに表に出ていたらしい。うーんうーんと唸っていたら、立ちん坊になっていた環の拳がぶるぶると震え始めた。雑賀はそれに釘付けになる。

(「…いかん、怒らせたか…」)

幾ら相手が緑陽館の暴風たる林環といえど、生徒の前に一人の男で、人間だ。
話の切り出し方で、カンニングが疑われていることくらい容易に悟れるだろう。子供だからと馬鹿にしたつもりはないが、つい余計な一言や油断で彼らのことを傷付けてしまう。
環が言うことをまず聞いてやるべきだったか、と悔いながら俯いた彼の顔を覗き込んだ。

「…おい、リンカン?」
「………っ、お、おれっ」

がば、と効果音をつけてやりたいくらいの勢いで、環は顔を上げた。その面は雑賀が呆然とするくらいに蒼白で、見間違いでなければ脂汗すら浮かんでいる。

「俺、原子番号の87番から先も覚えたっ!113番がウンウントリウムだとかってのも暗記したし、ドブニウムの由来も分かるからっ!!」
「ドブ…?側溝か何かか?」

生憎と文系を地で行く国語教師の雑賀は、どうにも理数系がさっぱりである。疑問符を浮かべてみせると、明後日の方向に目を据えた環は虚ろな声で答えた。

「……ドブニウム、略記はDb、繊維金属、放射性、固体、名前の由来は原子研究所のあるドブナから命名、もう大丈夫、覚えたから瞬き無しでこっち凝視しながら『ドーブーニーウーム』って言うのやめてやめて見目」
「……お、おい、だ、だいじょうぶかリンカン、落ち着け、落ち着けってば」
「モル計算も暗記で出来るから、アボガドロ定数の定義も覚えたから、お願いだから笑いながら木刀に手ぇ掛けんな!目が笑ってないし!!」
「リンカン、座れ、な?ほら椅子だ。椅子だぞー?木刀じゃなくてこれは椅子!座ってくださいーって椅子さんも言ってるよー?」

はいはい、良かったですね−?と、およそ高校生男子に言う台詞とも思えない文句を量産しながら、必死の態で生徒を椅子へ掛けさせた。
彼は怒りで震えていたわけではない、

―――これは多分、恐怖だ。


手元の電話から受話器を取り上げて化学準備室の内線番号を押す。

「あ。粕屋先生ですか。雑賀ですけど、あの、うちのクラスのリンカンの件、あれ大丈夫です。ちゃんと勉強したみたいですから、心配しなくて平気ですよ。はい、はい。後で直接窺います。ちょっと別に問題が発生しちゃって…」

隣の教師の椅子に大人しく腰を下ろした環は、耳を塞いで歯をかちかちと鳴らしている。時々鼻をすすり上げる様などいっそ憐れなほどだ。この手の演技が得意な生徒ではないと、雑賀も理解している。

通話を終えた後、手持ち無沙汰によれたネクタイを扱きつつ、相変わらずの環と対峙した。落ち着くまでクラスに帰すのは止めにしておこう。教員もこの週だけは半休を取ったり、それぞれの準備室に引っ込んで細かい作業をしている連中がほとんどだ。教員室へ置いておいてもそれほど目立つまい。

「よっぽどとんでもない叩きこまれ方をしたみたいだなあ。塾なんて行ってたっけ?」
「一ヶ月は大人しくします、化学は頑張ります、見目にだけはちょっかい出すの控えます、風呂と便所の電気は使った後ちゃんと消します」

だからもう勘弁してえ、と呟く声に、雑賀は再びの疑問符を浮かべた。


「……けんもく?」



>>>END!


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