(3)



階下から戻ると、斎藤は出窓に腰を掛けて脚をぶらつかせていた。取り立てて派手でも目立つ顔立ちでもないが、備は彼の清らな、楚々とした容貌を素直に好もしい、と思う。外見の美醜と言うよりは、斎藤自身の性格に起因しての感情かもしれない。
この土地に来て、初めて、先入観のない態度を見せてくれた人間は、他ならぬ彼だった。

備の部屋の窓からは神社の全容が見える。枝葉を延ばす楠から、古びた社の後背、砂利の先に建つ石鳥居までが臨める。だから、入居の際にこの部屋を選んだ。
ぱっと振り返った斎藤は陽だまりの中で小さく笑った。屈託無い、リラックスした笑顔に安堵する。すっかり落ち着いたようだ。

「ここ、眺めが良いな」
「ああ」
「俺の部屋からだと石段と牛くらいしか見えないんだ。あと、朝練中の見目先輩くらい」
「…そうか」

初めて見た時には大層驚いた、と話してくれた以前と相俟って、備もつられるように笑ってしまう。それを見た彼も思い出したらしく口脣の端を吊り上げた。そうして、勢いを付けて窓の縁から降り立った。

「一体、何があったんだ」
「…あー…風呂の掃除、ユキの代わりにしててさ、気付いたら先輩たちが真後ろに居て。しかも脱いで飛びかかってきたんだ」
「………」
「びびってシャワー自分に向けてずぶ濡れになるし、羽交い締めにされて剥かれそうになるし、……黒澤にも迷惑掛けちまうし。…今日は仏滅かよ」
「赤口だ。厄日には違いない」
「シャッコウ?」

壁に吊されたカレンダーを顎で示してやれば、「わかんないよ」と苦笑されてしまった。しょうがない、と言ったニュアンスの表情を向けられることは稀で、また、食い入るように見てしまう。当たり前に斎藤の顔は不審げなものに変わる。

「黒澤…?」
「何でもない、気にするな。…林さんたちが階段の所に居る。しばらく掛かりそうだ」
「げ。…まじか…」
「裏口から逃げるか。…多分、見つかるだろうけれど。ここに居るのは構わない。俺は気にしない」

どうする、と続ける。友人は俯き、下唇に歯を立てて考え込み始めた。
彼を脇に立たせたまま、備は椅子を引き出して座る。途端に、視線が脳天あたりに突き刺さるのを感じた。振り仰げば、慌てた彼が視線を明後日の方角へ逃がす様があった。
林のきょうだいは2人とも俊足だ。裏口から出たところで、川の手前で捕まえられて引き戻されるのがオチだろう。
備としては壁になることもやぶさかではないが、斎藤の為人を考えると、そうしたことを自ら頼むとは思えなかった。尤も、大江であれば自ら進んで――――。

『それは抗えない流れのようなもの』
「……っ」
「黒澤?…どうしたんだ。やっぱ、なんか変だぜ」
「いや…」

言って、首を横へと振った。どんなに厭うても、入り込んでくる声。
机に目を落とす。白い洋型封筒に書かれた己の名は、母の蹟によるものだ。日々の暮らしを問う内容と、兄の法要に関してのことだろう。
今年も近付く雨の季節に兄は死んだ。『彼女』がやってきた日もまた、雨が降っていた。




予言。




「……この前の夜、”彼女は居るか”と聞いたな。俺に」
「あ?………ああ」

唐突に振った話題に、斎藤は分かり易く面食らっている。備は机の方を向いたままで、「座るといい」と言った。呟きに似た、力の弱い声だと我ながら思う。
彼はしばらく備を見つめた後、また少し考えてからベッドへと腰を下ろした。

(「―――何故、斎藤に?」)

『こたえはいつでも、あなたのなかにあるの』

瞑目し、脳裏に蘇ったひとの翳を今度は、追い掛ける。黒く長い髪をもっていた。それから、少し厚い、血のようにあかい唇が紡ぐ声だけが鮮明だった。

「…恋人がいたことは、ない」
「マジで?…信じらんねえ…。黒澤絶対モテるって。特進科…は男子しかいないか、でも絶対うちなら」
「だが、したことならある」
「し…?」

大きな淡褐色の双眸がまるく瞠られて、さらにでかくなった。やわらかそうな口脣も半開きで、ぽかりと開いた口腔は困惑を示すように黒く、見えない。しばらくそのままぱくぱくと開閉を繰り返した後に、斎藤は溜まっていたらしい唾を飲み込んだ。細い喉がごきゅ、と鳴る。
備はそうした彼の挙動を逐一見守った。顔や声や仕草で、感情の行き場を、心の在りようを確かめるように。




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