(1)



『―――そのときは、すぐにわかるわ』

雨上がりの、光の溢れる部屋で笑う、そのひとの顔は既に朧だ。思い出せる特徴も記号でしかない。引替のようにして忘れるだろう、と続けられた予言の通りに。





【ひかりの予言】





郵便物を取って帰って、部屋に入ろうと扉を開けたときだ。凄い勢いで鞠のようなものが突っ込んで、備は蹈鞴を踏んだ。ぶつかったわけではない、擦っただけだが勢いに驚いたのだ。

鞠は友人の形をしていて、かつ、恐ろしく怯えた形相に顔が歪んでいた。髪やTシャツ――のみならず全身がしっとりと濡れている。飴色の目が瞬きを繰り返す度に彼の呼吸が危うくなるようで、我知らず奥の歯に力が籠もった。

「…何か、あったのか――斎藤」
「…は、は、は…っ、っふ、は…はっやし、せん、ぱい、が」
「……」

首を右に曲げれば、段差の激しい階段から騒がしい足音が聞こえてくる。複数で、身の軽い人間だ。四つん這いで走っていそうなくらい勢いが凄まじい。

友人―――斎藤斗与は膝頭に手を当て、身体を二つ折りにして喘鳴を漏らしていたが、ばたばたと音が近付いてくるにつれ、目に見えて強張った。
小さな肩が内側にぎゅっと寄る。息を吸い上げた状態で不自然に静止する。濡れて色濃くなった栗色の髪から頬へ、滴が伝い落ちていく。


そこから先は衝動的に動いていた。


自分の腕が加減のない早さで動き、小さな体躯を抱えて部屋へと押し込んだ。備の力に負けた斎藤は、驚愕に目を丸くしてベッドの脇まで吹っ飛んでいった。そのままベッドへとダイブ。視線だけを背後へ寄越す。

「…俺が戻るまで布団を被っていろ」
「へ!?…あ、…う、うん」

大江に「うん」と返事をしている光景はしばしば目にしていたけれど、慣れないだろう自分に対してそう返すさまは微笑ましかった。何処となく気を張っている印象の強い彼だから尚更だ。
薄く笑みを浮かべたままで備は廊下へ出る。扉は中途半端に閉めて、おいた。
ほどなく。

「とよっとよー。逃げんなコラー」
「逃げるから追い掛けるんだっつうの」
「ハブとマングース的な?」
「とよとよはヘビって感じじゃないでしょー。そういえばさ、バナナワニ園ってさ、ワニとバナナがあんの?それともバナナワニがいんの?」
「知らね。行ったことねえし」
「じゃあ新婚旅行はそこで。…ってどこにあんだっけ。沖縄?」
「バナナだからフィリピンじゃね?」

理解に苦しむ遣り取りをしながら廊下に現れたのは、林の双子だった。
『Buraban&Baton team Greens』と書かれたTシャツの下は何故かトランクスだ。一人は赤地に白のハート、もう一人は白地に赤いハートのプリント柄。素足はぴたぴたと鳴る足音から濡れていることが分かる。備は渋面を作った。階段の下は洗濯場と、――――風呂がある。

「おあ、サイボーグ・クロちゃん!」
「クロちゃんじゃーん。何しとんの廊下に突っ立って」
「…いえ、別に」

特に何するでもなく突っ立っている備は奇異に見えるだろう。二人は駆け寄ってじろじろと彼の顔を眺め回し、長身の向こうに続く廊下の先へと視線を移した。

「とよとよ、行っちゃったのかな」
「ずぶ濡れだから部屋に逃げたんじゃねえの」
「あの格好じゃあ外出られんからねー。大家も居ねえし、逃げ場はありませんての」

一人がそう言ってにやにやと笑う。

「斎藤に、何をしたんですか」

途端に相似の顔がくるりとこちらを向いた。全く同じタイミングと速度に眩暈すら覚える。どこか作為的なものすら感じるのは、勘繰り過ぎだろうか。
同じ屋根の下に暮らして一ヶ月が経ったが、未だに区別がつかない。どちらが、と考えている間に大抵もう一人が喋り始め、わやわやになってしまう。

「んあ、クロちゃんとよとよに逢ったんかい」
「とよとよ、何処行った?」
「知りません」
「ええー嘘ついてねえ?」
「知りません」意識して見下ろす目に力を篭めた。「…どいてください。水場に行きたいので」
「……こええええええ」
「クロちゃん、スマイルスマイル」
「ゼロ円ゼロ円」

無言。
二人は顔を見合わせた後、揃ってするり、と壁に背をつけ横移動を始めた。蟹歩きで距離を取り、斎藤の部屋の前で再びこちらじーっと見ている。ミーアキャットのきょうだいみたいだ。
備は睨み続けるかどうか少し迷って、やめた。子どもじみているし、付き合っている時間が惜しい。足早に水場へ向かう背後から、扉を勢いよく開ける音、絶叫される斎藤の名、やがて「……あれえ?」と拍子抜けした声が聞こえてくる。一通り探し回って居ないと分かればそのうち諦めるだろう。



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