(2)





想定外の相槌に、首を捻って振り向いた。眼鏡を外し、鼻の付け根あたりをほぐしながらミナガワは続けた。

「俺もそう思う。……なにこれ、特進科の挨拶なんじゃないの?」
「知らない」と備は答えた。「…だが、俺も聞かれた。春先に」
「ああ、そうなんだ。逢う奴逢う奴、結構な数で聞かれるからさ、『ごきげんよう』みたいなもんかと思ってた」

出逢った時に感じた妙な雰囲気の正体が段々と理解できた。

相手に警戒心を抱かせない。それも、全く。
するりと入り込んできて、以前からの知り合いであったかのように口を利く。懐っこいのとも、図々しいのとも違う、不思議な距離感がある。

「面倒臭いからサラリーマン、って答えたら、微妙そうな顔されたよ」
「だろうな」

その手の質問をする輩が期待する返事ではないだろう。ミナガワは肩を竦めた。

「どっかにお勤めしてて、会社から金貰ってりゃサラリーマンだろ。弁護士や小説家だってでかいくくりで考えれば自営業だし。革命の闘士は治世を志せば立派な政治家だ。違うか?」

あまりにも雑な区分に備は呆れかえった―――と同時に悟った。
つまりミナガワも、その問いに真面目に答えるつもりがなく、しかし嘘を吐くつもりもなく、有り体に言ったのだ。彼にとって、それは見栄を張る場所ではないのだ。

お前は、と切り出そうとして、流石に礼を失しているかと思った。初対面の人間に『お前』は幾ら何でも酷いだろう。さりとて、何と呼びかけたものか迷う。

「あ、俺、ミナガワね。みんなの皆に、三本川。ええと、そちら様は…」

しかし、『そちら様』もないだろう。微苦笑を浮かべながら、備は立ち止まった。皆川もつられたかのように足を止める。才気煥発とした双眸は、楽しげに揺れていた。

「黒澤だ」それから少し考えて続けた。「俺の親は革命家と、自営業だ。お前の言い方を借りれば」
「エキセントリックな取り合わせだな。面白い面白い」

台詞に反して大して面白くもなさそうに、だが、口元だけはにやにやと歪めて彼は言った。備の隣に並び、腕時計をこつこつと指先で叩いて見せてくる。首肯して、駆けだした。ついてくる足音。

このようにして、黒澤は皆川 有輝と友人になった。




皆川の父が外資系保険会社のエージェント(確かにサラリーマンだった)で日本各地、果ては海外まで転勤・出張を繰り返す転勤族だと知ったのはしばらく後のことだった。
学食でカレースパゲッティを啜りつつ、友人は嘆いている。

「俺と親父の大作戦が…。全く酷え会社だよ」
「大作戦?」
「日夏の特進って学費高いだろ?東京からも離れてるしさ、俺もお年頃だから、ここらで腰を据えますよ、っていうアピールだったのにさ」
「親父さん、また転勤なのか」
「転勤ってか、長期出張?……しかもセントクリストファー・ネーヴィス、って何処だそこ。本当に仕事かそれ。しかも昨日突然で、今日の朝出てったんだぜ」

チャーハンをレンゲで掬い、口元へ持って行く。ここの味は高校生向けにしては薄いので有難い。ただ、あまり学食を多用していると、大家が哀しげな顔になるので、そうも入り浸れない事情がある。

「お前はどうする。一人暮らしか」
「俺?しょうがないからウィークリー・マンションだよ。元々家を捜してる途中で、親父と二人ホテル住まいだったし。学校から遠いから面倒臭過ぎて登校拒否になりそう」
「根性がない」
「お前の口から根性とか言われると本当どうしようかと思う。頼むから正義とか友愛とか協調性とか口にしないでくれよ、返事のしように困るから」

散散な言われようだが、流石の彼も参っているのか、声音にいつもの覇気がない。淡々と咀嚼を繰り返しながら、備は考えを巡らせた。備自身、神奈川の実家から出ている身だ。

「飯の支度とか、備、どうしてんの?やろうと思えば出来るけど、楽しめる域には到達できないんだよな」
「俺は――――」
「ユキ、お前は牛乳なんて買わなくて良い!買うならこっちにしろ、ほら、いちご・オレ!乳製品だし、美味しいぞ?ほれ、奢ってやるから」
「うん?…うん。わかった。じゃあ僕も斗与に奢ってあげるね。メロンセーキ、美味しいよ?」
「……………」

明るい髪の色を持つ凸凹コンビが、視界の端を通り過ぎていく。
似たようなスピードで、解らしきものもまた、秘やかに滑り込んできた。

「皆川、お前」
「共同生活ができる協調性が、自分にはあると思うか?」


これは5月の末が近付いた、ある日のお話。皆川が空室の住人となる少し前のことだ。




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