(1)



【黒澤と皆川】

備はぼんやりと窓の外を眺めている。天気はどしゃ降りの大雨、硬めと自覚のある髪も、心なしか先がしんなりとしていた。

ホームルームの連絡はすぐに終わり、皆ばらばらと着替え始めた。この分ではロードレースの予定も変更されて、1限の体育は体育館でやることになるだろう。案の定、教室のドア脇に掛かった電光掲示に教室変更の知らせが出、程無くして通知を受け取ったらしい携帯が震えた。

「……」

便利だが鬱陶しいシステムだ。他にも大学並、もしくはそれ以上の施設設備が生徒の生活をサポートしている。他人はどうだか知らないが、正直なところ、生活支援なのか堕落へのエスコートなのか判断に迷う。


日夏学園高等学校特進科は男子校だ。移転してきたのはここ20年の内らしいが、学校そのものの歴史は古く、私学なのに国のモデル事業や研究にも多く関係していると聞く。
政界、財界、法曹に理学と著名な卒業者も多く、備の祖父も『日夏であれば』と家を出ることを許してくれた。
まさかマンション住まいと偽って、月三万の下宿に住んでいるとは知らないようだが。


教室の後ろにあるロッカー(馬鹿馬鹿しいことに電子錠だ)を開き、体育着の上下を取り出した頃には教室の中に残るクラスメイトは半分以下になっていた。皆ちらちらとこちらを伺っていたが、声を掛けることなく出ていく。


『…それを答える必要があるとは思えない』


入学式の数日後、前の席の誰かに声を掛けられた。

『黒澤の家って何やってんの。何系?カネ?それとも土地とか?』

初め、意味が分からず相手を凝視していた。焦れたように同じ質問が繰り返される。段々と導線が繋がり、我知らず顔を歪めてしまった。

祖母は旧華族の出身、祖父は戦前、海軍の上層部に属し、後に政界に入った。父はその地盤を継ぎ、母は香道宗家の娘で自らも良家の女子に手解きをする身分だ。
ただひとりの兄は土木技術者で、事故で死んだ。

『答えるべきとは思えない』

我ながらいやに冷たく響いた応答に相手が凍りついたのがわかる。
読みさしのデル・ジェスの研究書に指を挟み、視線だけを動かした。意識して緩めなければ、三白眼の備は目付きが相当に悪い。嫌悪感も露に睨み付ければクラスメイトは慌てて前を向いた。子どもじみている行動だとは分かっている。でも、それでも。

同級生とはそれきりだ。悪趣味にも誰かが彼の出自を調べたらしいが、特に何をされる様子もない。だから備も気に留めずにいる。

孤独とも孤立とも思わない。必要な付き合いだけを選び取ってこなしている。
普通科に入っていれば、斎藤や大江のような面子と机を並べることもできたかもしれないが、生憎、そこまでの選択肢はなかった。
おんぼろだが住まいだけは悪くない。同居人には変わった奴も居て、距離を間違えなければ、まぁ楽しめる。やりたいことも、兄の思い出もある。だから、耐えられる。
今の自分に、他に何が必要だろう?



「あのさ、体育館てどこか教えて貰えっかな」



唐突に掛けられた声へ振り向くと、体育着にハーフパンツ姿の少年がドアの所に佇んでいた。
少しばかり茶の強い黒髪に、アンダーリムの眼鏡を掛けている。背は備よりも低い。平均的な体つきの少年だった。ただ、幾分、妙な雰囲気がある。備は僅かに眉を顰めたが、少年はそれに気付いた風はない。

「職員室行って帰ってきたら誰も居なくてさ。どいつもこいつも薄情な」

体育着の胸には『A.Minagawa』との縫い取りがしてあった。ミナガワ、と読める。同じクラスに思い当たる顔はない。備が忘れているだけかもしれなかったが、おそらくは隣のクラスだろう。今日は合同体育だった筈だ。
頷き、ついてくるように促すと、眼鏡を掛けた少年―――ミナガワは、首の後ろをばりばりと掻きながら唸った。

「学校で迷子とかありえんての」

もう1ヶ月と少し過ぎて、体育館を使う機会もかなりあった。それでも覚えられないあたり、方向音痴の気でもあるのだろうか。

「あ、俺、おとつい転校してきた。だから初めて」

心を読んだかのように彼は言った。また変な時期に転入してきたものだ。日夏でなければそうは受け入れて貰えないかもしれない。嘘か本当かは知らないが、『良家の子息』であれば、多少の無軌道も目を瞑る、と聞いたことがあった。
黙ったまま廊下を右へと曲がり、階段を降りる。溜息が背後で聞こえた。やがて、ミナガワは言った。

「お前んち、何してんの?」
「……………」

また、その質問か。
そして彼も、同じことを聞くのか。熾火のような苛立ちに煽られて、備は少し前にした答えを繰り返す。

「それを答えるべきとは思わない」
「……だよな」

――――?



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