(2)



突然意識に割って入った声に愕然として振り向けば、アンダーリムの眼鏡に、茶の勝った黒い短髪の少年が開いた扉へ寄りかかって立っていた。
相当に冷めた目の行方を辿り、慌てて手を離す。

「お、お前、勝手に入ってくんな!」
「や、声も掛けたしノックもしましたよ」

皆川――つい最近、下宿に入ってきた下級生だ―は、ひとしきり首を回した後、仕切り直すように「東明先輩」と言った。

「ここ、パソコン持ち込んでる奴居ますか」
「え?あ、ええと、あ。俺。他は…見目持ってたかな」
「ネット何で繋いでます?ケーブル?それとも光かなんか」
「ケーブルケーブル。光の工事はしてねぇ、ってか、おばさん多分そういうの分かってねえし」
「ああ…」得心の見える相槌をし、ちら、と二重の眼がこちらを射った。「そういう女が好みですか?」
「おばさん?あ、このグラビアのことか?や、確かに若い方が…って、違うっての!」
「皆川」
「おー、備」

スリッパがはたはたと廊下を叩く音、すぐに長身が扉を塞いだ。

「わかったか」
「おう。ケーブルだった。ってかお前の部屋ねえのかよPC」
「ない」
「必要もないってか。まーでも誰か一台あれば借りればいいしな。俺も入れっし」
「そうか」

これは驚いた、黒澤と此処まで長い会話が出来る奴が、斎藤以外に居たとは。
瞬きを繰り返しつつ、二人の応酬を見守っていたら、黒澤の、よく感情の量れない眼がこちらを見返してくる。

「…………」
「……………あ、」

工太郎、それから、背後のグラビアポスター(A2版)。気の所為かもしれないが、後輩の視線もやはり、冷凍光線のようなニュアンスがある。

「や、だからこれは俺んじゃないし!」
「はぁ?」と皆川。「や、東明先輩、それは苦しいっしょ」
「帰ってきたら勝手に貼ってあったんだっつうの!」
「…どうなのソレ。なあ備、ここん家ってそんなセキュリティ低いの。高そうにも見えんけど」
「…高くはない。低くもないと思う。鍵は掛かる」
「ってか、いきなりグラビアって、どんな愉快犯だ」

そう言って皆川はつかつかと部屋へ入ってくる。横へ並べば工太郎の方が、背丈が高い。態度の大きさが為せる業か、少し意外だった。扇情的なポージングの女性をまじまじと見る、が特に感じ入った様子も無さそうだった。
思わず声を掛ける。

「こ、こいつを見てくれ。どう思う?」
「…でかいですね」と皆川。「胸が。備はどうよ」
「趣味じゃない」
「違う!そういうこと聞いてんじゃねぇ!」

ぶるぶると拳を振るわせながら吠えれば、いつもは険のある表情を僅かながら緩めた黒澤は続けた。

「もう少し小柄な方が良い」
「あ、備はそういう趣味。俺はもう少し胸が小さくて、もっとこう、凜々しい方がいいなあ。髪も黒い方がいい。これだと何か食われそうだし」

くくく、と喉を鳴らすだけで笑う皆川は、実際にそうだと思っている以上に、単純に馬鹿な話題を楽しんでいる風情がある。東明は内心で頭を抱えた。どいつもこいつも話を訊かない。じっとりと昏い眼で二人を睨み付けていると、まず黒澤が不思議そうに、それからシニカルな笑みを浮かべたままの皆川がようやく此方を向いた。

「で、普通のグラビアポスターにしか見えないんすけど、これが何かまずいんですか」
「……分かってるなら話脱線させんなよ…」
「知らない女だ」
「黒澤、テレビとかほとんど見ないもんな…」

食事の後の時間も、居間にはあまり残らずさっさと撤収する黒澤は、部屋にもテレビは置いておらず、そういった俗世間の由無し事に興味が無いらしい。対して皆川は何とかかんとか、と女の名前を言う。指摘されてみれば、自分も見知った顔、そして名だった。最近売り出し中の、そうさして歳も変わらないアイドルだった。
だが問題はそこではない。

「あのなぁ、俺の見間違いじゃなければだな…」
「しのあけせんぱい、」

耳に触りのいい、まろい声に呼ばれて振り返れば、先ほどの黒澤のように、今度は斎藤がひょっこりと顔を覗かせている。

「お、おお斎藤」
「荷物来てました。呼んでも来ないから勝手に受け……あれ、黒澤、に、みな」
「よう」
「…ああ」

珍しい取り合わせだな、と小さく呟いた彼の視線が、三人の背後にある壁へと順当へ移動していく。慌てて工太郎は両腕を大きく拡げた。

「なんでもない!これはっ、なんでもない!」
「……え、なにかまずいの」
「いやいや、何もまずいことはないぜ、なあ、備?」
「特にないと思う」
「?」

確かに男子たるもの、グラビアポスターの一枚や二枚、貼ってあったとしてもおかしくはない。正常だと胸を張る――ほどのものではないが、後ろめたくは、ない。ただ、この斎藤という下級生に対して「これが自分の趣味」と見せつけるのは何故だか躊躇われた。
理由は、全く不明だ。が、工太郎の焦りは端から見ても不審なほどだった。そこに皆川が余計な一言。

「斗与、これどお?」
「…………あ、このポスターのこと?」
「そうそう」
「…皆川」

これは黒澤だ。窘めるような響きに、皆川がぽりぽりと頬を掻いてみせている。
気にした風もなく、斎藤は大きなポスターをとっくりと眺めてから、首を傾げた。

「東明先輩、このアイドル好きなの?」
「いーやいやいやいやいや、そういう訳じゃあありませんよ!?」
「ふーん。…新蒔が喜びそう。写真集買ってたし」

斎藤はそう言いながら、部屋の中へ入ってくる。黒澤に何となく寄りかかる体勢になり、身体の脇をくっつけられた相手の方も、それを甘受しているようだった。
淡褐色の双眸がきら、と工太郎を見た。

「で、皆で揃ってどうかしたんですか」
「あのな、東明先輩な、帰ってきたらこのポスターが勝手に貼ってあったんだと」
「凄げぇ心霊現象」
「なー。俺この先やってけるかな…ここで……」

冗談めかした皆川が泣いた真似をする様を、黒澤が何の感慨もなく見下ろしている。
さらに、「怪奇!ある日帰ってきたら部屋にグラビアが!」と愚にも付かないことを言いだし、斎藤に脇腹を小突かれていた。
やはり同じ学年の誼なのか、独特の近い距離感に、置いてきぼりの気分を味わい始めた頃。


先ほど工太郎が張り直した右の角が、絶えかねたように、落ちた。


「あ」


誰の呟きともしれない、しかし、大層惚けた声が場を支配した。
重力に従って、上半分が落ちたポスターの先には大きな大きな、穴が空いていた。




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