(9)




「俺トーメイさんに頼みがあって」
「……今までの流れで俺に頼み事をしようとするお前は実にとんでもねえな林よ。手形が付いてるからお前環か?…言うだけ言ってみろ。特別に広い心で赦してやる」


先ほど制服姿の見目が下宿から出て行った。簾越しに中の様子を覗いた彼は、まだやっているのか、と苦笑していた。東明は一度始めたことについては中々投げ出さない性質だ。よって、林関連の喧嘩についてもことごとく長期化する傾向がある。

今までで一番真剣な顔をした林は、きちりと正座をしたまま先輩を見上げた。もう一人の林も片割れに習って居住まいを正している。

「トーメイさんの部屋に貼った立花ミサキちゃんのポスター、俺の部屋に貼ってあった花子太郎ポスターと交換して欲しいんだよね」
「立花、ミサキ…?」
「あのグラビアですよ」と皆川が言う。「張り直したでしょとりあえず、って」
「あー…」

壁の穴を隠す為に双子が貼った巨大なグラビアアイドルのポスターを思い出す。本棚も机も、今の配置から動かす気にはなれずに、ポスターは貼ったままにしている。あくまで仕方なくであって、断じて好みとか趣味ではない、と東明は主張する。

「…あと太郎花子って何だ。漫才か」
「まさかとは思うけど、…象のポスターのこと?」やや首を傾けた斎藤が聞いた。既に休暇を楽しんでいる模様の黒澤へと、視線を流す。
「黒澤が寄付したやつ」

周がうん、と頷いた。

「そうそう。あれ太郎と花子ね」
「周がこの前ラブアンドピースって書いたんだよね」
「鼻絡め合っちゃって超ハレンチだから、恥ずかしくて直視できねえよ」
「人間的にはベロチューですがな」
「いやそれ絶対違うと思う」

生真面目に突っ込みを入れてしまう東明を余所に、皆川は「何だって!」と叫び声を上げた。聞こえたらしい黒澤が何事かと顔を上げている。

「あれナショナルジオグラフィックのポスターで、確か6千円くらいした奴なんだけど!しかも抽選で、俺外したのに!おい、備ぇ」
「なんだ」
「用が済んだらくれるって言ったよな」
「やるとは言った。落書きについては俺は知らない」
「シンナーで拭けば取れるのか…?どうなんだろ…」

うんうんと悩み始める皆川を斎藤は痛ましそうに見つめた。林双子に関わると誰も彼もがこの調子だな、と思う。皆、どうしようもなく、かつどうでも良いような被害を平等に受けるのだ。
初め無関心な顔で聞いていた東明は、何かを思いついたらしい悪人顔で笑っている。林に相対する時にしばしば見受けられる、据わった目だ。

「…返して遣ってもいいだろう」
「え、ほんと!」
「やったー!トーメイさん神っ」
「…但しお前らのマドンナにはもれなく鼻毛か鼻血を進呈してやろう!油性のマッキーでべったりとな!」
「えええええええええええええ!」
「超非道い!何それえ!」
「はッ、今思いついたぜ。お前らが象にしたのと同じ所業を立花ナントカにしてやるわ!俺と象の恨み、倍返しだ!」
「俺の恨みも追加してください、東明先輩」と皆川。沈痛な溜息を吐いたのち、きっと双子を見据えた。
「じゃあ俺からは般若心経のサビの部分をプレゼントします。南国の青い海白い砂の背景にギャテイギャテイハラギャテイって書いといてあげます」
「鬼悪魔変態眼鏡ペア!」
「お前らに言われたくないわこのボケナスども!」
「俺とこの人一緒にすんな!」
「…おい、皆川お前今さりげに聞き捨てならないこといったろ」
「幻聴だと思います」

ついに小さな手すら離し、本格的に罵倒を始めた東明、不本意にも思わず参戦してしまったらしい皆川からそろそろと斎藤は距離を取った。おまけで大江が付いてきている。公然と手を握ることが出来て、彼は幸せそうだ。

「玄関のとこにあった、穴だらけのバットって緑陽館のだったんだ…」
「ばあちゃんがこの前釘抜きで抜いてたけどね。こぎゃん馬鹿なことして誰ん仕業かって」

すっかり駄目になっちゃったね、と間抜けた感想を漏らしている幼馴染みの頭を、馬鹿か、と小柄な少年は叩いている。叩かれやすいようにわざわざ腰を折る大江。頭をぽかりとやられても満面の笑顔だ。

「バット的には元から駄目になってんだろ」
「あ、そうだねえ」
「そうだよ。…ま、この調子だと巻き込まれそうなのは、みなくらいで済みそうな気がしてきた。黒澤は大丈夫だろうし」

名前を呼ばれた少年は本から目を離すと、ごく薄く微笑んで見せた。

「とりあえず日曜はなるべく家に居ないようにしよ。…俺の数少ない安息日がこうして奪われていく訳か…」
「外行かなくてもいいよ、僕の部屋に来てれば」
「それもそれで危険な匂いがする」


この後、夏休みまでに壁は補修―――もとい、空けられた穴にはすべて小さな扉が付き、東明と双子の部屋は目出度く開通された。セレモニーと称しての馬鹿騒ぎの餌食になった挙げ句、堪忍袋の緒が切れた東明は、自分の部屋の扉には閂を取り付けた、らしい。

――――穴だらけのバットについては、また、別の話だ。




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