名前の無い少年(6)




【斗与】


彼は火傷の痕を食い入るように見つめている。そして俺は、ばつが悪い思いで見守っている。

「…言っておくけど、根性焼きとかじゃないからな、これ」
「…こんじょうやき?」

彼にとっては異世界の言葉にも等しかったようだ。心底不思議そうな声が発せられ、首も僅かに傾いでいる。それでも掴んだ手は離してくれない。
何かの拍子に件の疵痕を見つけたらしい彼は、ひったくるようにして俺の手首を捕らえた。上から新しく穴が空いちまうんじゃないかってくらい、肌に浮いた斑を見、答えを促すごとくに俺の顔を見る。その繰り返しだ。
初めは「別に」「ただの怪我」の二言で押していた俺も、納得しない彼が同じ動作を繰り返すので流石に諦めが付いた。
わざわざ説明するもんでもないけれど。

「―――兄貴が、煙草吸ってて。俺のお袋、肺癌だったから。すっげえヘビースモーカーだし、食生活も滅茶苦茶で、」

身体だけは丈夫だから平気よ、と。
それで死んでるんだから馬鹿じゃねえの、なんて罵ってやるいとまも無かった。

「だから、煙草大嫌いなんだ。そもそも、兄貴のやつ成人してないんだし」

それを止めようとして、勢い余って火の付いた煙草を掴んでしまった。
とんでもなく熱かったし、身体にだって焦げ茶の、塞がらない穴が空いた。
それ以上に俺はキレていた。お袋が死んでも、喫煙癖を止められない兄に。兄に掛かる負担を止められない自分に。初めの一回は興味本位でも、その後の常習化は間違いなくストレスの結果だ。

下唇に歯を立てて俯いた俺を、彼は覗き込んでくる。こういう所は驚くほどに無遠慮だった。夜よりも尚、黒々と沈む双眸は、墨を湛えた硬い硯石のようだ。


水の音がする。


彼が凝とこちらを見ているのを知った上で、片手を預けたままで、俺は深々と続く川へと視線を転じた。やたらに背が伸びてしまったガマの間から、暗く、うねる巨大な蛇のような流れが垣間見える。雲が切れると、月のひかりが波を照らし出す。その部分だけが、一時、白く刃を持ったように輝く。


「きょうだいは、すきか」
「…うん、まあね」
「そうか」
「あんたは、きょうだいいないの」
「………いる」

レインコートを目深に被った頭が、頷いた。少し、興味が湧く。(それにしてもこいつ、いつ手を離すつもりなのだろうか?)

「好き?その、…兄貴?弟?あー、女きょうだいか」
「すきかどうかはわからない」
「え?!」

あっさりと告げるテノールにびびって、俺は彼を見た。彼は、だらりと力の入らない手を表にしたり裏にしたり、焦茶の染みが出来たところを指の腹でなぞったりしている。楽しそうに見えないことも、ない。

「ただ、――――たいせつだとはおもう」
「………」
「あれも、たぶん、おれのことをそうおもっているのだと、おもう」
「…アレ」

あれ呼ばわりかよ。
まあ、人によって表現方法は異なるし、彼の口調は至極真剣なものであったので、言葉の通りなんだろう。俺は兄貴に「あれ」とか「馬鹿」とか「ちび」とか言われたら、マジでむかつくけどな!

今後の家庭内平和の為に、丁重にその旨を伝えれば、喉を低く鳴らして、彼は笑ったようだった。肩の震え具合とか、少しの声のトーンの違いだとか、指先の動きなんてものでも、ひとの感情が分かることがあると、初めて知った。または、この相手がそうした手法での伝え方に長けているのかもしれない。

「…ここに戻りたいのと、日夏に行きたいのは、そういった理由もあるから」
「………」
「知り合いの家で面倒見てくれるところがあるんだ。そこなら、一人暮らしするよか安いし。仕送りで結果的には世話になっちゃうけど、でも、居るのと、居ないのとじゃあ随分違うと思う」

親父だって――大分心配そうにはしているけれど――、俺の日北行きには賛成してくれている。何たって自分と亡き妻が青春を過ごした場所だから、思い入れもひとしおなんだろう。付け入るようで申し訳ない気持ちは、少しはある。
靄に似た罪悪感を振り払って、殊更に明るい声を作って、聞いた。

「いい学校なんだろ?」

この街に住んでいた時は高校の評判なんて気にもしなかった。小学校の頃は、高校生がとんでもなく大人に思えた。自分が高校生になった時の事なんて、想像も出来なかった。それが今じゃあっという間に受験生だ。

親父も兄貴も、「年を喰うにつれて月日の流れが速く感じる」と口を揃えて言う。幸か不幸かは知らないが、生憎と共感の出来る年齢には至っていない。
でも、もっと餓鬼の頃はどうやって時間を過ごしてたかな、と思うことはある。志望校を受けて、その後がどうなるか分からないのと同じくらい、ぼやけて、不透明で。

セールスポイントを考えていたらしい彼は、ちょっと黙ってから言った。

「なかみは、そこまで腐っていない」
「……」

淡々と返された言葉に少しげんなりした。それ、褒めてない。

「もっと希望があるようなこと、言ってくれよ」
「……」

また、だんまりかと思いきや、手の甲がほんのりと温かくなった。彼の両手が愛おしむようにそれを、包んでいる。

「おれがいる」
「あー、それはいいかもな」

応えて、笑うと、彼の形のいい口脣の端が優しく上がるのが見えた。しっかり笑ってくれるとやはり、嬉しい。その笑みがふうっと、嘘のようにかき消える。「おまえは、」と彼が言う。





- 1 -


[*前] | [次#]
[目次]
[栞]

恋愛不感症・章一覧


第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -