昼の皸(1)



【由旗】


「……ああっ!」

休み時間の喧騒に混ざって、僕の耳へ届いたのは、聞き誤る筈もない、斗与の足音だった。慌てて立ち上がって廊下に飛び出すも、栗色の髪を持つ小柄な影は、左にも右にも見出だせない。

「…逃げられた…」

ある程度、間が空いたら何処に向かおうとしているのかくらいは見届けようと思っていた。だってさっきの特進科、絶対に怪しい。

斗与がこの街に居たのは小学校の低学年までで、今年の春、戻って来るまでは、ずっと東京に住んでいた。だからこの街において、斗与の知り合いで、僕の知らない奴は物凄く少ない。彼が付き合ってすぐ別れてしまった、他校の彼女くらいのものだと思う。

赤いタイの色は1年、だからあの特進科生は同学年だ。委員会…は、2人共図書委員だし、斗与は帰宅部だから部活の話でもない。後は、なんだろう…。


しばらく教室のドアに寄りかかって、目を皿のようにして廊下の端々を探したけれど、ぎょっとした顔の同学年たちしか見つけることはできなかった。
桟の上に頭をぶつけないように、背を屈めて潜り、席へ戻る。何だかもう、溜め息しか出ない。

「おーおー、なんだ大江!サイトーに振られたかぁ?」
「煩いよ、アラマキ」

様子を見ていたのか、ふらふらと寄ってきたクラスメイトのアラマキ――新蒔大輔は断りもなく斗与の席へ腰を降ろした。
むかついたので箸をつけるだけになっていた弁当を乱暴にかきこみ始める。空腹感は煙のように薄く散り、食べ物は口内で滅茶苦茶になって、味はよくわからない。

目の醒めるようなウルトラマリンのインナーの上から雑にシャツを引っ掛けた適当な格好で、髪をひよこみたいな金色に染めている彼は、全体的にずるっというか、ぐたっとした印象がある。制服のズボンは腰ばきで裾は豪快に踏みつけていたりする。うちのばあちゃんの怒りレベルから言ったら、ダントツMAXの外見だ。
剥き出しの腕の先、手首には細い銀のバングルが輝いていた。そこから辿るように新蒔を見ると、笑い皺とえくぼをさらに深くしたにやにや顔があった。

「キモい」
「その、サイトーと他大勢に対する態度の格差、酷くね?オレ、繊細だから傷付いちゃう」
「知らない。煩い、シャケ黙れ」
「……マジ傷付いた〜」

人懐っこいのは実に結構なのだが、僕と斗与にとって彼は最悪。
今月頭、5月の服装検査で、廊下一列に並んで制服や頭髪のチェックを受けた時、「地毛です」と言う斗与と、「僕もです」と言い張る僕の肩をそれぞれ掴まえて、「オレもー!」と叫んだKY鳥頭なのだ。
担任の先生は「はぁ?」と頓狂な声を出した後、斗与の頭を軽く叩いて、『お前さんは合格』と言い、次に僕の肩と新蒔の頭を小突いて、『お前さん方は次回に乞うご期待だな』
と宣った。

担任への好感度が割と上がり、新蒔への好感度がゼロを割り込んでマイナスに落ち込んだ、特に記念する必要もない日のことだ。

「っていうか、斗与の席に勝手に座るなよシャケ」

因みに『シャケ』って言うのは彼がアラマキという名字故の宿業である。荒巻鮭と新蒔シャケ。新蒔の元中がそう呼んでいたので、発案者への敬意と対象者への侮蔑を込めて僕も使うことにした渾名だ。

「いーじゃん、ケチケチするなってぇ。この椅子はァ、我々の学費で買われたものなのでェ、宇宙的に見ればァ、ミーの椅子でもあるのですゥ」

本格的に昼食を摂るつもりなのか、片手にコッペパンをもったまま、天啓を受けたかのように、両腕を拡げる新蒔。もといシャケ。
駄目だ、ウザい。ウザ過ぎて攻撃的なもう1人の人格が誕生してくれそうな勢いだ。そのまま現れてシャケを撃破してくれたら感謝するのにな。

「北海道に帰れ」

圧し殺した声で呻くように罵倒したら、シャケがにやにやと――さも、一連の馬鹿な言動は前振りでした、と言わんばかりのしてやったり感を含めた厭な笑顔で――、

「いいのかなぁ、オレが北海道に帰っても」

あの特進科が誰か、教えてやろうと思ったのにさぁ。
と、言った。




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