昼の皸(3)



【由旗】


美少年との馴れ初めを熱く語るシャケを置いて、思い当たる場所を捜した。教室を出た時から、多分無駄足に終わるんじゃないかとは思っていたけれど、そうでもしないと落ち着かなかったのだ。
斗与は携帯不携帯派で、念のために掛けた番号に反応したのは彼ではなくて、机の脇の、彼の鞄。
鈍いバイブレーション音をやっぱりなあ、という諦観を持って聞いてから、まずは教室前の廊下、昇降口と移動し、食堂や図書館を歩いた。
手前の書棚をうろついた辺りで遠く予鈴の音が聞こえ(図書館はチャイムが聞こえにくいのだ)、戻る途中に遠回りをして特進科と普通科を繋ぐ連絡通路前を通った。

校舎は1階・2階で連結していて、普通科は4階、特進科はひとつ多い5階建ての建物になっている。あちらの校舎に移動されたら、昼休みの時間内に見つけるのはどのみち無理だ。始業5分前だから、もしかしたら既に教室へ戻ってきているかもしれない。

「…………」

そう思ったら、泡を食って飛び出してきた自分が滑稽になってきた。いつもそうだ、少し時間を置くと執着とか余裕のなさとかが今更のように目について、自己嫌悪の蟻地獄に陥ってしまう。でも同じことがあったら、幾らでも繰り返す。成長しないどころか、退化している気もする。
小学校の時はここまで酷くなかった。斗与と別れていた5年の間、我慢できていた筈の気持ちは、ぎゅっと撓んだバネみたいに反動を持って増幅している。
自嘲の対象だってそうだ、ほんとうに僕が憎む自身の至らなさは、執着そのものではなくて、もっと柔軟に、寛容になりきれないことこそ、だ。

「……大江?」
「あ、…黒澤君」

いじいじと内省をしていたら、見知った顔に出逢った。今しも特進科の校舎に帰らんとしている様子の黒澤 備は、首だけを僅かに此方へ捻って小さく頷いた。

「どうかしたのか」
「斗与を捜しているんだ。……見なかった?」
「いや、見ていない」

低い、感情の上らない声が淡々と応じる。斗与の隣の部屋に住んでいる、うちの下宿生はいつでもこの調子だ。特進科で下宿っていうのも珍しいし、学校で見掛ける時も、家に居る時も、彼は誰かとの繋がりを感じさせない。
僕より幾ばくか低い身長だが、骨っぽく肩幅が広い。硬そうな黒い短髪の下から覗く目は静かだが炯々と光っている。
その双眸の強さに、当初は取っつき難く思っていたのだけれど、一ヶ月を過ぎた今では、特にご機嫌斜めな訳じゃなくて、これが基本姿勢なんだな、と分かるようになった。

彼のそういった所作を指摘したのは斗与だ。あんなに小さいのに、斗与は大きなものとか、ぱっと見怖そうなものに自ら寄っていく傾向がある。
もう潰れてしまったけれど、昔、街の銭湯へ一緒に行ったことがあった。
入場しちゃいけない筈の、ヤのつく自由業のおじさんが洗い場にどかっと座っていた時も嬉々として話しかけていた。ああいうところが心配の種なんだよなあ。

黒澤―――黒澤君は、小脇に挟んだ本を持ち直し、ふいと斜め上を見上げた。まるで架空の時計を確かめるかのような仕草だった。

「遅刻するぞ」
「うん。ごめん。そうだ、黒澤君、サギサカって人知らない?特進なんだけど」
「サギサカ」黒澤君は名前を一つずつ噛みしめて発音した。「知らないな」
「そっか」

呼び止めてごめん、ともう一度謝れば、別にいい、という風に横に首を振られた。そこで彼は、初めて僕を見たかのようにはっきりと目を瞠った。予想よりも大きい瞳に僕は思わずぽかんと口を開けた。

「大江」
「何?どうかした?」
「お前のところ、部屋、空いてるか。俺の隣の部屋、空室だった」
「…、ああ…」

言われて、頭の中で間取りを思い浮かべる。表玄関の階段の、すぐ右に入った所が斗与の部屋。続いて黒澤君、空室、見目先輩。

「空いてるね。部屋、変えたいの?」
「そういうわけじゃない。わかった。悪かった」

多分、後の『悪かった』は全く別件の話題を持ち出したことと、休み時間のぎりぎりに、彼もまた僕を引き留めてしまったこと、両方への謝罪―――なのだと思う。あるいは、うち一方か。言葉が少ないのに、含まれる意味合いは多いような気がして不思議だ。

話は終わったとばかりに、黒澤君は淀みのない足の運びですたすたと廊下を渡っていく。それで僕も、自分の教室へ帰ることにした。
妙にふっきれた気分だった。



期待を裏切って、隣の席は空っぽのままだった。椅子は正面、身体だけ反転させたシャケが、僕の机の上で次の時間の課題を慌ててやっていた。

シャケの机の上は彼が手すさびに疵を付けた(シャケに言わせればアートらしい)、様々な形の線や円で激しい凹凸が出来ている。
よって、ノートはまだしもプリント一枚で書き物をすると、シャープペンシルが安い藁半紙を貫通するのだ。
くだんの担任は、新蒔君は三年間この机を使おうな、例え教室が4階になっても頑張って運ぼうな、と凄くいい笑顔で言っていた。
僕がやや雑に椅子へ腰掛けると、シャケはよろよろと顔を上げた。何かを希求するような目つきだ。

「おー、大江、お帰りー」
「斗与、帰ってきてないんだ」
「おお、まだだぜ。で、早速で悪いんだけど、」
「自助努力で頑張ってね」
「鬼!ひとでなし!」
「シャケにひとでなしって言われても、なんかどうでも良いって感じがする」

魚類に言われてもねえ、と続けると、力を失った彼は鬱陶しく机の上に突っ伏した。シャケを詰めてもあまりストレス発散にはならないみたいだ。
折角落ち着いたかな、と思っていたのに、またじんわりと不安がやってくる。斗与は大丈夫だろうか。


本鈴が鳴って、英語の教師がやってきても、授業が進んで終わりの鐘が鳴っても、僕の隣に彼が座ることはなかった。




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