安息日の終わり(4)
「…っ?斗与、どうかしたの!?」
「バカッ、騒ぐなって。何でもない、どうもしてない!!」
ずっと注視していたであろうユキは、過たず不穏な空気を読んだ。欠片も躊躇わないで立ち上がったかと思えば、僅かに険を含んだ顔はあっさりと近くにあった。
たったの一歩で物凄く間合いを詰めてきた巨人に、特進科がびくりと震えたのが分かる。
うんうん、でかいよなぁ。でかいって言うか、長いよな。
特進科は俺とそんなに変わらない――160センチそこらだろうから、多分後あと大股一歩踏み出せば、教室の真ん中から、すぐ脇にまで来てしまいそうな奴のリーチは驚異、かつ脅威だろう。正直、俺もちょっとびびった。
「こ、このひとと行くとこあるから。ユキは飯食っててって言ったじゃん…ほら、座れっての」
薄ら笑いを浮かべて見せると、逆効果なのか、金茶に染まった眉が力無く下がった。周りのクラスメイトの視線がぶすぶす刺さって痛い。
男子よりも女子の方が遠慮無くガン見だ。これ、端から見たら一体全体どんな眺めになっているんだ?余裕は無いわ恐ろしいわで想像するのは止めにする。
伸びたユキの影は俺の足下で黒くわだかまっている。ちょっと油断すればすぐにでも此方を飲み込んでしまいそうな錯覚がある。
教室で話を片付けるには潮時のようだった。
深呼吸、目に意思を込めてしっかり見上げて、
「由旗」
「…………………、うん。はい」
「俺、何回も言わない」
ユキはぐ、と喉を鳴らして立ち尽くした。それから、か細い声が「うん」と言った。
その間に細い肩をえいえいと押しながら、廊下へ出ていく。ことこの手のことでは信用ならんので、敷居を跨いでリノリウムの床へ踏み出すまで、ユキから視線を離さずに歩いた。
特に抵抗がないあたり、特進科も異論はないらしい。
「ついてくんなよ」
だめ押しでもう一度繰り返し、ほぼ同じ位置にある耳へ素早く囁き掛けた。
「…走って」
「え、」
「走って!」
何の用事かも不明なまま、俺の貴重な昼休みは確実に失われつつあった。
背に腹は代えられない、とにかく十分後の面倒より、数分後の巨人だ。
土足と上履きの二対の脚が、始めは静かに、おってばたばたと廊下を駆けていく。
少ししてから聞き慣れた叫び声に背中を叩かれたが、知らんふりで走り続け、階段を飛ばして逃げた。
許せ、ユキ。俺たち二人の名誉と名も知らぬ特進科の命を救う為にはこれしかなかったんだ。
(実に典型的な結びだが、後々俺はこの選択をとんでもなく後悔することになる。)
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