安息日の終わり(6)



「忘れたの?僕が君の弱みを握ってるってこと。クラス、いや、学科全体に流してあげようか。君がなんで鹿生さんと別れたのか」
「あのね、皆そんな人のことなんて興味ないっての。大体証拠なんてないし、そんなの」
「他のことならともかく、下世話な話題は君たちみたいな連中、大好きだろう?」

お年頃なのは、その通りだが。俺の性事情にそこまでのアピールがあるとは思えない―――って、真に受けてどうする。

「……確かめに来るかもよ、誰かが」と特進科はくつくつと笑った。段々と平静を取り戻している様子だった。「クラスでさ、集団で取り囲まれて悪戯されたら大変じゃない?斎藤君。悪戯で済めばいいけど、苛められるかもしれないねえ」

自分でも分かるくらいに、眉間に皺が寄っている。何だって?

「あの、俺、男なんだけど」
「男でも構わない人は沢山いるよ。僕だって、そう」
「……え?」
「大体女なんてやかましいし、しつこいし、何がいいのかよく分からないよ。見た目なら僕の方がよっぽど優れている」

凄い自信だ。否定はしないが、いや、その前にこの人何て言った?
僕だって、そう。男でも、構わない。

「…ええと…、あのご用件は一体何なんですかね…」

あまりの発言に飛び出た敬語をふんぞり返って受け止めた彼はもう一度、封書を目の前でひらめかせた。

「君の秘密をばらされたくなかったら、これを、これをケンモクさんに渡すんだ」
「…………?」
「ほら、受け取れ。日本語が分からないのか?」
「ええと、ケンモクサンってのは、」

特進科は首を僅かに捻って、胡乱げに言う。

「君は大江荘に住んでるんだろ」
「……あ、ああ!見目さん!」

俺の隣の隣の、その又隣の部屋に住んでいる上級生だ。見目―――下の名前は何だったっけ。時々飯を一緒に食べる。こざっぱりした爽やかな好青年、って感じの先輩。普通科の2年生。

「ようやく意味が分かったみたいだね。何て頭が悪いんだろう」

処置無し、と言った風情で肩を竦める少年にどう突っ込んだらいいのか分からない。責められるべきは此方なのか。

「分かったらさっさと受け取るんだ。くれぐれも中は見るな。育ちの悪い人間はそういう礼を欠いたことをしかねないから、厭だ」
「色々言いたいんだけど」脱力しきりで俺は言う。「取りあえず、断る」
「……なんだって」
「そういうのは受けない。友達ならともかく、あんたのこと知らないし、人のこと平気で脅すような奴の手伝いもしたくない。頭を下げて頼むならまだしも、弱みだのなんだの、馬鹿にするのも大概にしてよ」

言葉を重ねるたびに段々、彼の目が細く眇められていく。自分より立場が下だと思っている人間に、刃向かわれるのが我慢ならんという顔だ。ややまくれあがった上唇から犬歯が覗いている。きりきりと音がしそうな勢いだった。本人の言う造作の良い顔立ちが一瞬にして般若のような、憎々しげなものに変わった。

「君は、僕の言うことを聞くんだ!」

好みじゃないにしろ、客観的に奇麗だと思われるものが台無しになっていく様は結構な迫力だった。それなりに鬼気迫る状態であったにもかかわらず、俺は眼前でぐしゃぐしゃになる彼の顔を呆然と見ていた。360度、全方向に隙だらけだった。

「…っ」

手が伸びてきた、と思っていたらまたしても腕を掴まれる。こうなってくるとユキが時々言う「斗与って微妙にどんくさい」発言はあながち外れではないのかとすら思えてくる。細い指の力が意外と強いのは先ほどで検証済みだ。生身に痕が付くほどの力が込められ、俺は痛みに顔を顰めた。荒っぽいのも、喧嘩も御免だ。痛いのは厭だ。
意を決して、掴まれていない方で特進科のそれを剥がそうと手を振り上げた瞬間、掌にがさり、と乾いた感触があった。続けて、どん、と突き飛ばされる。

「うわ、」
「――――――」

燃えるような双眸が俺を射た。素早く距離を取ると、少年は踵を返して走り出す。赤いタイが鮮やかに視界を泳いでいく。

「ちょ、っと、何なんだってのこれは!」
「…渡さなかったら、鹿生さんとのこと、言いふらしてやる」

早口で言ってのけると、瞬く間に特進科は扉の向こうへ消えていった。後には間抜けにも尻餅を付いた俺、および、謎の封筒、食券。手紙はしっかり握りつぶしてしまっていたし、チケットは扇のように地べたに付いた手の脇で拡がっていた。
通り雨かスコールにやられたような気分で散乱したそれに目をやった刹那、気管が全開になった。

「…ああー!俺の英語ー!!」

特進科様々は、校舎も制服も理念も違う。庭ひとつ、食堂ひとつにも大層な金が掛かっている。その素晴らしい教育方針に基づき、時間を気にせず勉学に励めるよう、また、自律の精神を涵養するために、始業と終業のチャイムは鳴らさないことになっている。

俺の腕時計は14時を差していた。5限が終わる10分前、昼休みなんて、とうに終わっていた。




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