安息日の終わり(5)



【斗与】


追いかけて来かねないユキを撒くべく、俺と特進科はすたこらと走った。途中からは特進科が先導し、駆け足から疲労も手伝ってののろのろ歩きになる頃には、周囲の景色がやたらに贅を尽くしたものに変わっていた。

特進科棟。

強化ガラスと大きな柱、白と黒のトーンを基調にしたモダン建築の校舎。確か高名な建築家を招いて、無限だか世界云々とかいう理念で建てられていると聞いた記憶がある。外壁がほとんどなくて、代わりにガラスが嵌め込まれているのが特徴、らしい。ちょっとした美術館のようでもある。
校舎内の室温も実に快適で、歩きになったことも手伝い、珍しい景色に現状を忘れそうになった。

二学科の連絡通路を抜けた先、校舎の階段を上がらずに脇の扉を抜け、特進科が足を踏み入れたのは中庭だった。
ただの中庭じゃない、『ル・ジャルダン』なんて舌を噛みそうな看板が掛けられた代物だ。何語?フランス語か、これ。日本なら日本語でいいじゃないか、何故即座に理解できない言語を使う。
噴水池を中心に季節の花や低木類、藤棚が作りつけてある生徒の憩いの場は、しかし、人気が絶えてひたすらに静かだった。
こうした庭は屋上と、もう一ヶ所別にあった筈だが、普通科の俺にしてみれば入学時の校内案内で一度来ただけの縁のなさだ。つうか普通科には池つきの庭なんぞないし。あるのは崩壊寸前のベンチに、手入れの怪しい芝生に、園芸部が耕す畑くらいのものだ。

とは言え、やっかみを差し引いても、薄紫をたわわに溢す藤は本当にきれいだ。名前は知らないが、白や黄色の夏の花も、むせかえるようなみどりに混じってゆらゆらと揺れている。円形の大理石(推定)が積み上げられた噴水からは流れが湾曲しながら落ちていく。水飛沫が跳ね上がり、光を反射して輝いた。
ぼんやりとそれらを眺めていたら名前を呼ばれた。振り向けば、特進科がこちらへ向かって、回数券の束に似たものを突き出していた。

「これが報酬」
「……?」
「特進のカフェテリアのチケット。30回分あるから」

飯か。飯で釣ろうというのか。
入ったことはないが、特進科のカフェテリアとやらは随分豪勢らしい。お値段も当然ハイレベル、昼飯予算が300円から500円の俺たちでは太刀打ちできない、有名ホテルの料理長経験のあるシェフが作るという魅惑のランチ―――、

「…いい加減にしろっての」

叩き落とすのもあれなので、腕組みをして受け取る意思がないことを示した。そもそも俺は、

「あんたの命令を聞くつもりも義理もないよ」

此処まで来たのは、あくまでユキ・ザ・フルスロットルを回避する為であって決して彼の言い分を受け入れたからではない。そこを是非ご理解頂きたい。タダ飯は魅力的だが、昔の人は言いました、だ。タダより高いものは無い!

特進科は細い眉をぴんと跳ね上げて、今度はベストの内ポケットから白い封書を取り出した。これもチケットに重ねて突き出す。説明をしてから丁重に物を受け渡すという習慣は彼の世界にはないらしい。黙って眺めていると、朱い唇を少し舐め、それでも落ち着かないのか、空いた左手の指を軽く噛み始めた。ちらり、と視線が此方へ流れる。唐突に変化した怯んだ目つきには憶えがあった。色素が欠乏した親譲りの目の色は、黒いひとみが浮き上がって見えて、初見の人間は大概似たような反応をするからだ。慣れてはいるけれど、思わず溜息が零れる。
さっさと教室に帰りたい。帰って、ユキの小言を聞けばいつもの調子に戻れる気がする。

「じゃあ、俺行くから」
「待ちなよ。話は何も終わってない」

それに、と彼は言う。




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