小さな花の影を踏む(2/2)

 ――この世界ではまだ生きているのか。
 沢田綱重を見たとき、何の感慨もなく、事実を事実として受け止めて、そう思った。
 彼が生きている世界は稀だ。
 幼い頃に死んでいることが多く、また“沢田綱重が元々存在しない世界”も少なくはなかった。
 所謂レアキャラというやつだ。残念なことに、見つけても何も良いことは起こらないが。
 強いて言うなら、この先、綱重がボンゴレを継ぐことになれば簡単にボンゴレリングを手に入れられるということくらいだが、それは特典というほどのものでもない。全パラレルワールドの知識を共有する白蘭に手に入れられないものなど、そもそも存在しないのだ(真の力を示したトゥリニセッテも近いうちに必ず手に入るだろう。白蘭はそう信じている)。
 ボンゴレリングを継承する人間が沢田綱吉に決まって暫くしても、まだ綱重が生きていると知ったときには流石に少し驚いたが、それでも毒にも薬にもならない相手という認識は変わらなかった。
 彼が居なくなって、代わりに、ゲームを面白くしてくれる強力なライバルでも現れたらいいのに。長い間そんなことさえ考えていた。

「受け取り拒否?」
 電話の向こう側では花屋が必死に謝罪とも言い訳ともつかない言葉を述べている。先方は「受け取りたくない」「すぐに持って帰れ」と言い、取り付く島もなかったのだと。
「ま、いいや。それなら僕のオフィスにでも運んでおいてくれるかな」
 白い薔薇の行方について指示し終え、携帯電話を放り投げた。床に落ちる寸前に桔梗が優雅な所作でそれを掴む。ナイスキャッチ。称賛を送りつつ、白蘭は望遠鏡を覗き込んだ。
「うーん。ただの花束で危険はないとわかっているはずなのになぁ」
 残念そうな響きを漏らしながらも、薄い唇は愉しげに歪んでいた。
「何故、彼に?」
 出過ぎていると思いつつも桔梗は問いかけずにいられなかった。白蘭のことを深く信奉している彼は、無論、白蘭の行動に疑問を抱いているわけではない。ただ知りたいのだ。わざわざあの青年に花を贈る理由を。
「見てみるかい?」
 白蘭の提案を桔梗が断れるはずもない。望遠鏡を覗き込む。
 窓の向こうにはビル群が広がっており、視界を遮っているように思えた。しかし、いくつものビルとビルの隙間を縫うようにして、数キロメートル離れた位置にある高層マンションを、レンズはしっかりと捉えていたのだった。
「見えた?」
「はい。沢田綱重がこちらを見ていますね。睨んでいると言った方が正しいかもしれません」
「うん。向こうからは絶対見えないのにね。僕たちがここから見ていることを彼は気がついているんだ」
「なるほど。これが噂の超直感ですか」
 ハハンと納得の笑みを漏らす桔梗。しかし白蘭はあっさりと否定した。
「別に僕は彼の能力が欲しいわけじゃないよ」
 そう言って一枚の写真を取り出す。
「ここに写っているのが、僕のよく知っている綱重クンだ」
 黒尽くめの格好をした少年が写っている。長い銀髪の男が端に写り込んでいることから、綱重がヴァリアーを率いていた頃のものだろうと桔梗は推測した。車に乗り込む瞬間を隠し撮りしたようだが、そんな何気ないシーンにおいても、暗殺部隊のボスという立場にいる所為か、綱重の表情は硬く何の感情も読み取れない。
「綱重クンは、いつも、どの世界でも、そういう辛気臭い顔をしていたよ」
「つまり今の沢田綱重は白蘭様の知っている沢田綱重とは違うということですか?」
 優秀な部下たちの中でも飛び抜けて理解力のある桔梗のことを白蘭はいたく気に入っていた。

 ――人生をつまらないものだと感じている点において、僕たちはよく似ている。
 それは別の世界の白蘭が別の世界の綱重に投げかけた言葉だ。綱重は否定も肯定もせず、黙ったまま、ボンゴレリングを白蘭に差し出した。単に精製度が高いだけではない、代々受け継がれてきたリングを、いとも容易く、何の躊躇いもみせずに。
 ――それでも僕はできるだけこのゲームを楽しくしようとしているけど、君はそうじゃない。もうずっと前からゲームオーバーを迎えているみたいな顔をしちゃってさ。見てるこっちが憂鬱になるよ。
 ボンゴレ10代目という立場にいてもそうなのだから、10代目ではないこの世界ではそれはもう酷い有様なのだろうと思っていた。
 綱重が、もう一人の10代目候補、ザンザスと一緒にいるところを見るまでは。
 まだジッリョネロファミリーを取り込む前のことだ。ミルフィオーレの前身であるジェッソという組織を立ち上げた頃。
 食事をしようと入った店に偶然、彼らがいた。一瞬、珍しい組み合わせだと思ったあとで、彼らが一緒にいるところを見るのは初めてだと気がついた。無数にある世界のどれを覗いても、一度だって、こんな光景が現れたことはなかった。
 オープン当初から予約は三ヶ月待ちの人気店。ほぼ満員の店内で、同性同士で席についているのは彼らだけだった。
 デート相手であるブロンド美女の話を聞くふりをしながら、白蘭は二人の様子を窺った。
 周りにいるカップルや夫婦から向けられる好奇の眼差し(ザンザスを恐れ、見ないようにする者の方が多かったが)を物ともせず、二人は堂々と食事を楽しんでいた。綱重が何事か話し、ザンザスが時折短く言葉を返す。自分が話した量の十分の一の言葉も返ってきていないのに、それどころかザンザスが少し視線を向けただけで、綱重はそれはもう幸せそうに微笑むのだった。その表情を見れば、彼らの関係がただの友人同士でないことはすぐに察しがついた。
 同時に悟った。
 白蘭にとってのラッキーアイテムは、いつ、どの世界においても、マーレリングとボンゴレリング、アルコバレーノのおしゃぶりだ。同じように沢田綱重には、別のものが必要だったのだろう。いつ、どの世界においてでも。
 彼は、この世界で見事それを手に入れたのだ――と。

「他の世界では決して見られないものが現れた。これは吉兆だよ。この世界は、きっと僕にも素晴らしいものを与えてくれる。……彼を幸運の印として手元に置いておきたいんだ」
「はっ」
 顎に手を当てる独特の敬礼をしながら、桔梗が応えた。
 その後、白蘭はもう一度望遠鏡を覗いたが、青年の姿はすでに見えなくなっていた。


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