どくどくあふれて

 綱重は脱いだシャツを近くにあったゴミ箱に放り込んだ。血を洗い流して、弾け飛んだ釦をつけ直し、ナイフによって裂かれた部分を縫い合わせるよりも、買い直した方が早いからだ。
 酷い夜だった。
 油断していたわけではないが、まさかリゾート地のホテルで、これほどの大人数に奇襲をかけられるとは思わなかった。もしも綱重一人だったならば確実に殺されていたことだろう。
「ボス。傷の手当て」
「必要ない」
「でも、そのままだと腕が腐り落ちると思う」
 ぎょっとして綱重は振り返った。
 輝く金色の髪に、宝石のような青い瞳、整った顔立ち。等身大のフランス人形かと思うほど美しい少女がそこにいる。
 少女の名はレイナ。暗殺部隊ヴァリアー唯一の女性幹部である。今夜、敵の殆どを片付けたのは綱重ではなく彼女だった。
 レイナは、己の足元に転がる死体の手から武器を取り上げると、やっぱり、と呟くように続けた。
「ナイフに毒が塗られてる」

 出来る限り毒を吸いだした。切りつけられてからそれほど時間は経っていないし、命に別状はないだろう。すでに体内に少量取り込まれてしまった毒物の影響は決してゼロではないが。
 傷ついた左腕に包帯を巻いてやりながら、この頼りない上司が、二、三日寝込むことをレイナは予感していた。こうして触れているからわかる。体温、脈拍共に上昇が激しい。異常なほど。
 あまり耐性がないのだろうか?
 綱重がヴァリアーのボスに就任して一年ちょっと、その間に起きた綱重暗殺未遂は、レイナが知っているだけでもすでに両手では足りない。スクアーロから聞いた話では、幼児の頃から命を狙われ続けているそうだし、実際に綱重自身慣れたもので、毒殺されかけた直後でも平然と食事をとるほどだ。当然、ある程度は毒物への耐性を持ち合わせていると思っていた。
 せめてここがイタリア国内だったなら、スクアーロかルッスーリアを呼んで世話を押し付けたのに。
 内心で面倒だと呟くレイナの表情は変わらない。奇襲にあった瞬間も、敵の命を絶っている最中も、こうして綱重の手当てをしている間も、変わらず無表情のままだ。
「解熱剤と氷のうを用意するから、ボスはベッドに」
 フロントに電話しようと立ち上がったレイナを引き留めたのは綱重の熱い手のひら。
「たすかった、ありがとう」
 ふわりと微笑む綱重。
 普段はレイナに負けず劣らず無表情であることが多い綱重が、笑った。それもただの部下に向けるには相応しくない極上の笑み。考えるまでもなく異常。意識障害。もしくは感情の制御がきかないのか。レイナは冷静に分析した。
「お礼を言われる意味がわからない。私は仕事をしているだけ」
「……ありがとうを言うのは変?」
「うん」
「10代目候補らしくない?」
「らしくないかどうかは知らない。でも前のボスは部下に礼なんて言わなかった」
「まえ?」
 幼い子供のように首を傾げる綱重。
 レイナはうんざりした様子で綱重の腕を取った。
「ほら、立って。ベッドで寝ないと」
 無理矢理引っ張りあげる。されるがまま、椅子から綱重の腰が上がった。しかし、抵抗はないものの協力する気もないらしく、綱重の足にはまったく力が入っていない。レイナが手を離せば容易く倒れ込むだろう。本当にそうしてやろうかなとレイナが半ば本気で考え出したとき。
「すごいなぁ」
「え?」
「やっぱり、お前が一番つよい。どんなにいっぱい敵がいたって勝っちゃうんだもん」
 褒め称える声の甘さに、流石のレイナも目を見開いた。
 部下に命令を下すときはもちろん、パーティーで馬鹿みたいにマフィアどもに媚を売っているときともまるで違う。世辞などではなく、心底そう思っているのが窺える言葉。掛け値のない信頼が伝わってくる。もしくはそれ以上の何かが込められているようにも。
 レイナの手から、支えていたはずの綱重の腕がするりと抜け落ちる。あっと思って、しかし止める間もなく、鈍い音が辺りに響く。頭を床にぶつけたようだ。
「いたい」
「それは良かった」
「なんで? いたいんだよ?」
「痛みを感じない方がやばいから」
「そっかあ」
 ふふふ、と幸せそうな笑みを漏らして。
「いつも、たすけにきてくれて……ありがと……、…………」
 言葉は次第に小さくなり、最後に呟かれた名前らしき単語はまったく聞き取れなかった。とりあえず“レイナ”でないことだけは確かであろう。
 綱重は暫く小さな笑い声を溢した後、眠りに落ちたのか意識を失ったのか、静かになった。呼吸は安定している。

 これまでレイナは、綱重に対し、レヴィのように敵視するわけでもなく、かといってスクアーロやベルフェゴールのように受け入れることもなかった。命令通りに仕事はしたがそれだけだ。良くも悪くも、レイナにとって綱重はどうでもいい存在だった。
 それが、今、この瞬間。
 初めて沢田綱重という人間への興味がわく。
 熱の所為で、真っ赤に染まっている頬に触れてみれば、指先が僅かに濡れた。
 この涙も高熱の所為なのか、はたまた――?
 知りたい。彼を動かすものの正体を。それがどこから現れるのかを。レイナには、理解できないものだから。


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