マシュマロの入った袋を手に抱え、白蘭は唇に笑みを浮かべた。しかし床に転がる人――いや、もうただの肉の塊だ――を見下ろす紫の瞳には冷たさしか宿っていない。
「早く片付けて」
「ハッ」
 指を顎に添える敬礼の姿勢をとると、桔梗はすぐに作業に取りかかった。
 床に広がる血痕を簡単に拭った後で桔梗が担ぎ上げた死体は、本来ならこの場所まで辿り着くはずのない人間だった。何人かの兵隊を手にかけることは出来たかもしれない。だが、けして白蘭が相手をしなければならないような者ではなかった。桔梗たちではない、あの仮初めの6弔花ですら、彼の相手をするには勿体無かっただろう。では何故彼はこの場所で、白蘭の手によって息絶えたのか。それは白蘭自身がそう指示したからに他ならない。
 退屈していた。
 トゥリニセッテを手にし、世界を掌握しても、何の感慨もなかった。白蘭が真に望むものは、この世界もまた与えてはくれなかったからだ。とは言え、焦りはない。無数にある平行世界で誰か一人が手にすれば良いのだから。焦るどころか、他の世界にいる自身の為ひたすら有益な情報を集める日々はあまりに単調で、自分が殺されるとしたらきっと退屈によってだろうと最近では半ば真剣に思うのだ。こんなことなら一人や二人、ボンゴレの人間を生かしておくべきだっただろうか、と考えて、すぐに思い直した。それさえも何の退屈しのぎにもなりはしないだろう。
「そうだ、結構良いリングを持ってたから回収しといてくれるかな」
 白蘭の声に、ちょうど部屋から出ようとしていた桔梗は振り返った。そして死体の指に手を伸ばす部下に、白蘭は、違う違うと首を横に振る。
「指にはめてるのも中々の物だけど、それよりも首にかけてるやつ――大空のAランクじゃない?」
 独裁に対する反逆ではなく、敵討ちをしに来たのだということは、顔半分を布で覆っていても尚、鬼気迫るものが窺えた形相と、事切れる寸前縋りつくように首のリングに触れる姿を見れば瞭然だった。何より彼は霧属性の使い手であったし、属性違いということを抜きにしても首のリングは彼にはあまりに不釣り合いだった。ちらと見ただけでも力を感じさせる大空属性のリングなどそう存りはしない。恐らく、ボンゴレと同等の歴史を持つマフィアに伝わるものだろう。しかし彼は、マフィアには見えなかった。戦い慣れているようだったし、裏社会に住まう人間の匂いもしたが、何というか雰囲気が違ったのだ。白蘭をきつく睨み付けていた瞳もボスやファミリーの仇を見るそれというよりも。
「これは、……ファミリーの物ですね」
「ああ、成程ね」
 他の幾つかの世界や、この世界でもそれなりの抵抗をみせたファミリーの名を聞き、白蘭は小さく頷く。トゥリニセッテに関わらないリングなど興味はなかったので放っておいたが、かのファミリーが有するリングは回収出来なかったとの報告があったことを思い出した。そこのボスの男には、寵愛する青年がいるというマフィア界では周知の事実も同時に。
「つまりこの子は、噂の愛妾くんだったわけだ」
 これ程のリングならば売れば良い値がつくだろうし、壊滅寸前の組織に覚悟を決めた男が最後に愛人に渡したとして、何ら不自然はない。マフィアの匂いを纏いながらしかしマフィアとは思えぬ雰囲気の理由もこれで説明がいく。
 途端、ただの肉塊としか思えなかった体に興味が湧いてきた。チェーンからリングを抜き取っている桔梗の横から手を伸ばし、顔を覆う布を取り去る。
 そして、訪れた衝撃に言葉を失った。
「白蘭様?」
 呼び掛ける声がずっと遠くに感じる。呼吸も上手く出来ないしまるで水の中にいるみたいだと白蘭はどこか他人事のような冷静さで思った。
 事実、“彼”を知っているのは“僕”じゃない。でも、彼を知っている。どんな風に笑うのだとか、どんなことで怒るのだとか。滑らかな肌の感触や艶やかな嬌声すらも。彼について知らないことは何もなかった。
 白蘭の唇がゆっくりと開く。今まで呼んだことのない、けれど何千回と口に乗せた覚えのある音を紡ぐ。
「――」



「――――なまえ!」
「わあっ」
 なまえの手から冷却シートが零れた。白蘭の額に貼られるはずだったそれは音もなく床に落ちる。
「ごめん、起こした?」
 なまえは目を白黒させながらもベッドの中の白蘭を心配そうに覗き込んだ。いつもは悠然と微笑みを浮かべている顔が、何か信じられないものを目にしたかのような驚きの表情を浮かべこちらを凝視している。
「一体どうし、」
 怪訝な声は、強引にベッドに引き込む腕に遮られた。
 そのままきつく抱き寄せられる。困惑を隠せないままそれでもなまえは白蘭の胸元に頬を擦り寄せた。汗でじんわりと湿ったシャツの下、いつもより僅かに高く感じる体温は起きたばかりだからか、それとも未だ熱が続いているのか。高熱を心配し医者に診てもらおうと言うなまえを、寝ていれば治ると往なし白蘭がベッドに潜り込んでからもう半日が経つ。やはり薬ぐらいは飲ませるべきだった。今からでも飲ませよう、そう思ったとき、少し掠れた声が問いかけてきた。
「もし、僕と出会わなければ、なまえは今頃何をしていたと思う?」
「……何、いきなり」
「答えて」
 有無を言わさぬ声音に、なまえは渋々思考を巡らせた。
「んー、まだあの場所で客をとってるか、白蘭以外の奴に飼われてるか、かな? あ、もう死んでるっていうのが一番可能性ありそう」
 自分を抱き締める腕が僅かに動いたのを感じ、なまえは、もしかしてと口端を上げた。
「オレが他の男と居る夢でも見た?」
「違うよ」
 ぴしゃりと切り捨てられてなまえがムッとするのと同時に白蘭は続けた。
「愛する人を殺されたなまえチャンが、僕のところに敵討ちをしにきたんだ」
 数秒の間のあとで、なまえが大きく吹き出した。今度は白蘭がムッと顔を顰めるが、構わずにあははと声をあげて笑い始める。
「どうして笑うの」
「だって面白いじゃん。そういう話嫌いじゃない」
 笑いを噛み殺しながらなまえは尋ねた。
「もちろん二人は恋に落ちるんだろ? 憎むべき敵に惚れちゃってオレはいっぱい苦しむんだ」
「……映画か何かじゃないんだから」
「映画じゃなくて夢の話だった」
 また笑って、コツンと額と額をくっつけた。
「ん、大丈夫。熱は下がったみたいだからきっともう変な夢は見ないよ」
 白蘭は堪らず、唇を奪った。角度を変え幾度も唇を重ねながら、広いベッドの上で、上になり下になり、転がる。なまえが何度目かの上になり、始めの位置に戻ったところでようやく唇を離した。
「……まだ大人しく寝てなきゃ」
「もう大丈夫ってなまえチャンが言ったんじゃない」
 少し困ったように笑うなまえに更にキスを送りながら、ベルトに指を伸ばした。
「だめだよ」
 なまえが言うが、言葉も、手を制止する力も、抵抗しているとは思えない穏やかなものだった。ただじゃれあいたいだけなのだろう。甘ったるい、駆け引きのごっこ遊びは白蘭も嫌いではなかった。
「もう元気だって、嫌というほど解らせてあげる」
 囁きながら頬を撫でてやる。これで愛しい体は全てをこちらに任せてくれる、筈だった。
「ねえ。これって、大事なもの?」
「……ん?」
 白蘭とその手に輝くリングを交互に見つめ、なまえがやにわに言った。
「さっき眠ってる白蘭を見てて思ったんだ。そういえば外したの見たことないなって」
 唐突だと感じたのは白蘭だけで、なまえはずっと考えていたのかもしれない。何でもないことのように尋ねているがこちらを探るように見つめる瞳は真剣そのものだ。白蘭は優しく微笑む。
「なまえチャンが考えてるようなものじゃないよ。仕事で使うってだけ」
「……指輪を仕事に?」
「そ。仕事に欠かせないものなの」
 誤魔化されたと思ったのだろう、なまえの唇が引き結ばれる。
「指輪が欲しいのなら、いくらでも買ってあげるよ」
 ――ただし、炎の灯らないものを。
 心の中で続けた言葉が聞こえたかのように、なまえの表情はまだ不満げだ。だが、匣兵器やリングの力についてなまえに教える気は更々なかった。彼に使う才能があると解っていても、それでも。
「なまえチャンの手に一番似合うものを作らせよう」
 手を取り、指先にキスを送ればようやく笑ってくれた。そのまま猫のように体を擦り寄せてくるなまえに白蘭は頬を緩める。触れるだけのキスを何度か交わした。そんな甘い雰囲気も、なまえが白蘭の手を握り返し発した一言で呆気なく飛散する。
「オレ、これが欲しいな」
「だめ」
 リングになまえの指が触れる寸前で、掌を枕の下に隠す。
「触るのもダメなの?」
「うん」
 甘えるような表情を浮かべていた顔が、再び不満に彩られて歪んだ。次の瞬間には体の上から重みが消え、愛しい温もりはベッドの端に移動してしまう。あからさまな態度に白蘭はめげずに後を追った。
「ねえ、ピアスも一緒に買おうか」
 ギュッと後ろから抱き締めて甘い言葉を紡いだ。
「僕が穴を開けてあげる」
 柔らかな耳朶を唇で優しく挟めば、なまえの体がびくりと震える。
「耳じゃなくて、ここがいいかな?」
「あっ……!」
 シャツの上から胸を探る。途端、赤く染まった耳に柔らかく歯を立てながら、手を下腹部へと移動させた。
「それともここ?」
 すでに立ち上がりかけているそれに触れた。衣服の上からの些細な刺激にさえ、敏感な体は反応を示す。あらぬ場所に穴を開けられる想像に興奮しているのかもしれない。
 服を脱がせながら、今の自分たちをあの世界の自分が覗いたらと想像する。当然いい気分にはなれない。しかし他の世界でなまえを殺さず手に入れることはできても、起きてしまったことを変える力は自分にはないのだ。
 白蘭はそのとき不意に、あれを実行してみるのはどうだろう、と思い立った。どの世界でも実行に移していない途方もない計画だがやる価値はある。まだトゥリニセッテを手に入れていないこの世界は、逆に言えば真の力を手にする可能性のある世界でもある。退屈しきっている彼も満足するはずだ。
 それに。

「ねえ。どこに開けて欲しい?」
「……選べない」
 大きな瞳を潤ませながらなまえが甘えた声を出す。白蘭は、じゃあ全部だね、と笑みを零した。


 ――それに、欲張りなこの子を二人がかりで愛してやれる。

「それって最高かも」
「……な、に?」
「ああ、ごめんね。こっちの話」
 気にしないでいつも通り僕を感じて。
 囁けば、口付けが答えた。

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