絶体絶命

 ホラー映画などでよく見る、退路がない場所に逃げ込んでしまい追い詰められるという展開。お約束とはいえ、何故そんなところに逃げ込むのかと思っていた。だが実際に命の危険を感じているときに、この部屋は出入口が一つしかないからダメだとか、向こうの方が人がいるだろうとか、考えられないものなのだと俺はこの日、身をもって思い知った。
 ――知りたくなんて、なかったが。


 ガチャン、と扉に鍵をかける。その空き教室へは後ろの扉から入ったので、足をもつれさせながらも前の扉に走り、そちらにも鍵をかけた。更に教室の隅へと走ったところで力が抜け、へなへなとその場に腰を下ろしてしまう。けして疲れやすいわけではない。そしてそんなに走ったわけでもないのに、ハァハァと荒い息をつく。体育の授業で何十周と校庭を走らされたときでさえ、これほど心臓は煩くなかったはずだ。早鐘を打つような鼓動を確かめるため胸に当てていた手を離し、今度は噴き出してきた汗をさっと拭う。ずり落ちてきた眼鏡のフレームを押し上げつつ、額と、頬にまで伝ってきた汗に触れる。
「……っ!」
 言葉を失った。
 汗だと思っていたものは汗ではなく。自身の、その赤く染まった手のひらを目にした瞬間、急にじくりと頬が痛みだした。避けきったと思っていた攻撃のどれかが掠めたのだろう。見れば、頬を伝い首筋を伝ったらしいそれは服の襟元までも真っ赤に染めあげている。あまりの光景に貧血を起こしそうになるが、床に手をついて倒れることだけは堪えた。
 なぜ、弁当を届けにきただけなのにこんな目にあっているのだろう。どうか、悪い夢なら今すぐに覚めてほしい。願いを込めて目を瞑れば、強烈な閃光――いや閃光のようなきつい眼差しが瞼の裏に甦る。整った顔立ちにぴったりな涼しげな目元だったのに、そこから放たれる眼差しは強く鋭く、確実に綱重を射抜いたのだ。
 どくん、と一際大きく心臓が鳴った。同時に、手のひらに熱が集まっていく。それは、久しく感じていなかった感覚だったが、自身の体の変化を綱重は敏感に感じ取った。
「……だめだ……っ」
 小さく叫び、頭を振るう。
 ――落ち着け、落ち着くんだ。
 心の中で自分に言い聞かせながら、深呼吸をする。ゆっくり、深く。三度ほど繰り返して、手から熱がひいていく感覚にそっと安堵の息を吐いた。
 そして、ふとこの切迫した現状に気がつく。
 何故、ここに逃げ込んだのだろう。襲いくる一撃を何とか避け、昇降口から階段を駆け上がり、廊下を走り、そして辿り着いた場所だが、改めて見やれば、前後の扉以外道はない。もし、奴が追い付いてきてどちらかの扉をこじ開けられたらどうする。咄嗟に逆側の扉から逃げられるだろうか。まさか飛び降りるわけには……チラリと、閉まりきった窓を見やりすぐに首を振る。無理に決まっている。
 外に逃げればよかったとか、こんな空き教室ではなく授業中の教室に逃げ込めばよかったとか、後悔ばかりが頭を巡る。
 ぐしゃりと髪をかきあげて、綱重が溜め息を吐いたそのとき。

 バターン!

 先程鍵をかけたばかりの扉が、大きな音を立てて室内へと倒れ込んできた。
「ひっ……!」
 喉が引き攣り、か細い悲鳴をあげる。
 逃げようとするが、腰が抜けてしまって立ち上がることができなかった。倒壊した扉の上を進み、こちらに近づいてくる少年をただ待つしかない。
「――結局、君も逃げることしか出来ない草食動物か。見苦しいね」
 綱重は、カタカタと自分の体が震え出すのを感じていた。それでも最後の力を振り絞り、唇を動かす。
「あ、あんた、何なんだよ……、俺が一体何をしたっていうんだ……っ」
 少年は軽く首を傾げた。そんなこともわからないのか、そう言っているようだった。
「君みたいなのに校内をうろうろされると風紀が乱れる」
「……ふ、うき……?」
 繰り返された言葉に答えるかのように、少年が羽織る学ランが揺れ『風紀』と書かれた腕章が綱重の瞳に映った。
「さあ、もう鬼ごっこは終りにしよう」
 少年の、よく通る声が処刑の始まりを宣言した。


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