逢着

 半ば追い出されるようにして家を出た綱重は、仕方なく弁当箱を提げて並盛中学校へと足を向けた。向かった振りをして母が出かけるまで待つという手段もあったが……、溜め息を吐きながらも綱重は足を止めなかった。
 母が自分を心配していることはよく解っている。それでも母の望むように生きられないことに対する負い目が綱重にはあった。
 もう一度だけ溜め息を吐いた綱重は、何かを吹っ切るかのようにそれまで俯いていた顔を勢いよく上げる。
 大体、『手渡ししろ』とは言われていないのだから下駄箱にでも突っ込んでくればいいんだ、と自分を納得させるように内心呟きながら、携帯で時刻を確認する。大丈夫、今の時間ならちょうど授業中のはずだ。誰にも会うことなく用事を終えられるはずだろう。


 ……そういえば弟がどのクラスにいるのか知らないと気がついたときには、綱重はすでに並盛中学の昇降口に辿り着いていた。
 小さく舌打ちしつつ、1‐Aと掲げられた下駄箱から、一つ一つ名前を追っていく。幸いすぐに目当てのそれは見つかった。本来なら靴を入れるはずの場所に少々乱暴に弁当箱を突っ込む。
 さっさと帰ろう。いや、途中で本屋に寄るか。気に入りの作家の新刊が出ていたはずだ。ポケットの中の一万円を握りしめながら踵を返した、そのとき。
「君、そこで何してるの」
 凛とした声が綱重を呼び止めた。


 首だけで振り返った先には、同い年ぐらいだろうか、少年が一人。彼の姿を目に入れた瞬間、綱重は思わず息を飲んでいた。
 色素の薄い自分のそれとはまったく違う、艶やかな黒髪。そしてその髪と同じ色のつり目がちな瞳はきつい輝きを放って、見る者を圧倒する。
 初めて見る、と思った。いや、こんな人間はきっと他にはいない。
「今は授業中のはずだけど」
 続けて掛けられた言葉にハッとして、慌ててそちらに向き直る。だが同時に、綱重の眉は顰められた。
 授業中だと注意するような口調だったが、相手が身を包んでいるのはどう見ても学生服。あんたこそ何してるんだ、という言葉を飲み込み、努めて殊勝な口調で答えた。
「……俺は、ここの生徒じゃないので」
「なるほど。じゃあなぜ部外者が僕の学校に入ってきてるのかな」

 ――『僕の』、学校?

 引っかかるものを感じながらも綱重は答えを返す。
「弟の忘れ物を届けに……っ、!?」
 あっという間に、二人の距離は縮まった。いきなり目前まで近づいてきた黒髪の少年に、綱重の背筋にゾクリと冷たいものが走る。そして次の瞬間、自身の脇腹を掠めたそれの名を、綱重は知らなかった。これまでの人生で見たことも聞いたこともなかったそれ、金属製の凶器――トンファーが、背後の下駄箱にめり込んでいる光景に、綱重の頬がひくりと引き攣った。
 ボコッと嫌な音を立ててトンファーを引き抜いた少年は、面白くなさそうに唇を引き結び、その場で腕を振りだした。まるで具合を確かめるように、ブンブンと素振りを繰り返す少年を、綱重は呆然と見つめる。視線に気がついたのか、それとも満足がいったのか、少年は突然ピタリと腕を止めると、綱重の頭の天辺から足の爪先までを眺めて言った。
「君、どう見ても学生のようだけど並中生じゃないなら何してるの」
「そ、創立記念日で今日は、休み……」
「へえ。どこの学校だい」
 すぐにこの場から逃げるべきだと誰もが思うはずだ。だが余りにも非日常的な出来事に、そのとき綱重の頭はきちんと機能していなかった。
 唇が、尋ねられるままに自身が通う学校の名を口にする。
 少年の目が僅かに見開かれた。巷で名門と呼ばれるそれに対する純粋な驚きかと思ったが、
「その金色の頭で?」
 明らかな疑いの声音に、綱重はムッとした。
「っ、この色は生まれつき、」
 再び綱重の言葉を遮る形で、鈍い音が響き渡った。反射的にしゃがみこんでいた綱重が顔をあげれば、数秒前まで自分の頭があった位置の下駄箱が大きくひしゃげているのが見えた。
「ワオ」
 今度こそ、感嘆ともいえる純粋な驚きの声を少年があげる。
「二回も僕の攻撃を避けるなんてね」
 面白い、と唇が愉快そうに歪んだ。

「――でも、次は確実に咬み殺す」


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