協調性『×』

「お・に・い・ちゃんっ」
 ノックも無しに開かれた扉から覗く母の笑顔に、綱重は眉を顰めた。勝手に部屋に入ってきたこともそうだが、何よりもその笑顔と猫なで声が問題だった。母がこんな風に自分を呼ぶときは大概ろくなことが起きない。事実、今朝、弟に勉強を教えろと言い出したときも今と同じような顔と声をしていた。
「あら。また視力落ちた? そんなに眉間に皺寄せちゃって」
「……何の用だよ」
 疲れた様子で溜め息を吐く綱重の心情は、奈々には通じない。
「ツナったらね、お弁当忘れていったのよ〜。届けてあげたいんだけど、母さん、これからお友達と映画を見に行くから」
「そう、いってらっしゃい」
「ちょっと、話はまだ終わってないでしょ!」
 部屋の外へと押し出そうとする息子に、奈々はプリプリと怒りながら抵抗する。
「一食ぐらい抜いたって平気だろ」
「まあ! 綱重ったら、弟が可愛くないの? 今朝もあんな風に言うし! たった二人きりの兄弟じゃないっ。母さん、悲しいわー」
 涙ぐんだ声で言いながら、顔を覆う。しかし両手の隙間から覗くその瞳はこれっぽっちも濡れていなかった。
「白々しい泣き真似はやめろって」
 眼鏡の奥から呆れた視線が向けられているのに気づき、奈々はムッとした様子で顔を上げた。
「少しぐらい外に出たらどうなの。折角のお休みに部屋にこもりきりなんて、健全な中学生とは言えないわよっ」
「……綱吉だってそうだろ」
 ゲームばかりしている弟と違い自分は勉強をしているだけマシだと言いたかったのだが、その言葉は憤る母に油を注いだだけだった。
「そうよ! まったく、うちの子たちは揃いも揃ってつまんなそうな顔で日々を過ごして!」
 腰に手を当てて、奈々は声を荒らげる。
「母さんは、むしろツナよりも綱重のことが心配よ! 小学校の頃から、通知表に書いてあることと面談で言われることは、いつもいつも『学業については問題ありません。ただもう少し協調性があれば……』だし! 特に去年の面談なんか本当に、酷かったじゃないっ」
 ああ、またはじまった。綱重は気付かれぬように顔を顰める。
 去年の三者面談以来、母は何かというとそのことを持ち出すのだ。やはり、なるべく努力します、などとお決まりの台詞であの場を凌げば良かったと改めて後悔する。
「先生固まってたけど、母さんはそれ以上に固まっちゃったわよ!」


 ――クラスの皆もね、沢田くんと仲良くしたいなあって思ってるのよ。沢田くんがもう少し積極的に、とまでは言わないけれど、ほら、誰かに話しかけられたら返事をするくらい、

 ――嫌です。


 教師の言葉を遮って、綱重は、きっぱりと言い放ったのだ。

 皆と仲良くしましょうだなんて、小さな頃から何度も言われてきた言葉だった。聞き飽きたはずのそれに過剰に反応してしまったのには、二つ理由がある。
 一つ。ああ、中学でも放っておいてくれないのかという失望の気持ちがあったこと。
 二つ。……その日、綱重は、最高に機嫌が悪かった。
 まず、あの朝は電車内で痴漢にあった。それから登校中、生まれつきの髪色の所為で他校の生徒に絡まれた。更に学校についてからは、前日に自分を呼び出したという女子生徒とその友人数名に囲まれて、『なぜ来なかったか』を問い詰められたのだ。あまりにしつこいので手紙は読まずに捨てていたことを正直に話せば、女子生徒は大泣きするわ、その友人たちに罵倒されるわ。
 そんなわけで、あの日の綱重は冷静でいられなかったのだ。だが、それを説明しても意味はないだろう。自分に協調性がないのは紛れもない事実だからだ。

「……仕方ないだろ、一人が好きなんだから」
 そんな開き直りも、母には通じない。
「一人が好きでも、弟を大切にするくらい出来るでしょっ。勉強を教えるのは無理でもお弁当を届けるぐらいには! ほら、お駄賃も奮発しちゃうから。これでお昼に何か食べて、残りで好きなもの買いなさい」
 そう言って奈々は、綱重に一万円札を握らせた。


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