新生活

 ――よく晴れた春の日。
 流石の雲雀恭弥でも天候を操作することは不可能だろうが「僕のおかげだよ。感謝して」なんて言われたらうっかり信じてしまいそうなほど完璧な引っ越し日和。
 といっても、大きな家具を運び込むような大掛かりな引っ越しをしたわけではない。綱重の荷物は段ボールがたったの三箱だけだ。
 二人で住もうと持ちかけられたのが去年の十二月。以前から家を出ることを考えていたため元々少ない私物の整理をしていた最中だった。彼と生活を共にすると決めてから、更に不要品を処分した。どんな狭いところでも良かった。わがままは言わない。彼の提案は本当に願ってもないものだったので、綱重は心の底からそう思っていた。
 今日、実際に部屋を見るまでは。
「ここに住むのか?」
「そうだよ」
「……恭弥のご両親もここに?」
「はあ? “二人で住む”って言ったよね?」
 怪訝そうに、質問を質問で返されて、綱重は、もう一度部屋の中をぐるりと見回した。
「二人で住むには広すぎるだろう」
「狭いよりいいでしょ」
 それはそうだが、何事にも限度というものがある。
 住所を聞いた瞬間から嫌な予感はしていたのだ。建築されたばかりの高級マンションがある辺りだとすぐに思い当たっていた。まさかそんな筈はない、そう思い、雲雀の運転するバイクでここまで来てしまった。外で言い争いをする気はなかったので黙って部屋までついてきたが、エントランスにコンシェルジュが居るのを確認したときには回れ右をしかけた。
「だけど、その、家賃はどうするんだ?」
「それについてはすでに散々話し合ったはずだ。君が家事をする。家賃や光熱費は僕が持つ。その他生活費は君の家が負担」
「それはっ」
「もう全て決まったことだ。君の両親も了承している」
「……わかってる」
 はじめ、母の奈々は反対していた。中学生だけで生活するなんて、と。そもそも綱重が家を出ること自体、許容できない様子だった。しかし綱重の気持ちが変わらないこと、父の家光が賛成したことで、最終的には首を縦に振った。曰く「男の子だもの。これも冒険ね」――綱重にとってはいい加減な父親だが、奈々にとっては頼りになる旦那の、鶴の一声であった。
 沢田家の居候が増え続けていることも一因だろう。リボーン、ランボ、イーピンにフゥ太。綱吉と綱重を含めたら子供の人数は六人になる。ビアンキを入れたら七人。世話が大変だとは奈々自身思ってもいないようだが、今の環境では落ち着いて勉強できないという綱重の訴えをきちんと理解してくれたらしい。
 思いがけず早く――綱重は、あと一年、高校生になるまでは実家暮らしでも構わないと考えていた。雲雀の方は、提案をしたその日に引っ越せと言わんばかりであったが――実現した新生活。戸惑いがないと言えば嘘になる。こんな立派な部屋を見せられて、喜びよりも不安が湧くのは当然と言えた。
「今更やめたいなんて言わないよね」
「当たり前だろ!」
 即座にそう答えたのは、雲雀の声が不機嫌だったからではなく、本心からだ。
「よかった」
 フ、と緩められた表情を見て、ドキリとした。唐突な笑顔は心臓に悪い。意識しすぎだと何度も自分に言い聞かせているが、こんなときにはどうしても、自分が恋をしていることを意識せざるを得ない。
 恥ずかしくなって顔を背けたら、誤解を招いたようだった。
「気に入らなければ他所を探してもいい」
 慌てて首を横に振る。
「いや、少し驚いただけで、嫌だったわけじゃない。大体、任せるって言ったのは俺だろう。二人で暮らせるならどこでもいいと思ったから、全部任せたんだぞ。気に入らないわけあるか」
 この男と一緒に住むのだから規格外の生活がはじまることくらい承知しておくべきだったのだ。それに、よくよく考えてみれば、四畳半で暮らす雲雀恭弥なんて見たくもないし。綱重は無理矢理に自分をそう納得させた。
「見ての通り、家具も適当に揃えさせた。何か不満があれば言って欲しい」
「大丈夫だ」
 黒で統一されたシックな家具たちを見回し、なるべく値段については考えないようにして、答えた。
 対面式のキッチンには調理器具や調味料の類いも揃っていた。見たことのない、どんな料理に使うのかわからないようなものまである。
「足りないものは?」
「ない」
「それならいいけど、もし何か必要だったら言って。すぐに用意させる」
 広いキッチンに相応しい大きさの冷蔵庫の中身――当面買い物は必要なさそうだ――から視線を上げ、首を傾げる。
「二人で買いに行けばいいだろう? 二人の家のことなんだから」
 どうして誰かに任せるのか理解できないといった顔で綱重は言う。
 雲雀は、綱重の言葉こそ理解できないという顔をしたが、すぐに、
「確かにその方が良い」
 と呟いた。
 どうやら二人で買い物をする想像をしてみて、これが中々、彼のお気に召したらしい。果てはこんなことまで言い出した。
「物件探しから二人でやり直そうか」
「冗談にしちゃあ笑えない」
「そうかい?」
 割と本気で発せられた言葉と知り、ぞっとする。一からやり直しなんて冗談じゃない。まさかこの家具たちも全部捨てる気じゃないだろうな……。ここは軽く流す他にないと思った綱重は、冷蔵庫を閉め、さりげなく話題を変えた。
「それで、どこが俺の部屋になるんだ?」
「こっちだよ。荷物は運んである。向かいは僕の部屋だ」
 部屋を覗いてみて驚いた。実家の自分の部屋と雰囲気がよく似ていたから。
 実家に置いてきたはずの家具たちが何故ここにあるのかと一瞬錯覚するほどに、両親が揃えてくれたものとそっくりだった。
 無垢材の机、本棚、キャビネット。カーテンの色も同じだ。
 よく見れば、細部の装飾が凝っていたりと明らかにこちらの方が高級品だとわかるが、全体の色調、そして配置が同じだったのでそのように感じたのだろう。偶然と呼ぶにはあまりに作為的だ。
「どうして」
「落ち着く方がいいと思ってね。君の部屋を参考にした」
 正月に、雲雀は沢田家を訪れていた。目的は二人で住む承諾を得ること。余談ではあるが、その日、ボンゴレ式ファミリー対抗正月合戦が行われていたため沢田家は平穏そのもので、話し合いは静かに行われた。普段は傍若無人な雲雀がこのことに関してはきちんと筋を通したからでもある。力尽くでもなければ脅迫もせず、奈々を説得する言葉は丁寧だった。それら全ては綱重の為であることは言うまでもない。
 そのとき綱重の部屋にも案内したが、過ごした時間は、ほんの数分程度。予めこうすることを計画していたのでなければ、ここまでの再現は不可能だろう。
「……ありがとう」
 掠めるようなキスを頬に落とす。
「頬にだけかい?」
 非難というより、からかうような声音だった。綱重は答えず聞き流した。
「トイレは?」
「廊下を出て右。バスルームもね」
「そっちの部屋は――」
「寝室」
 ニヤリと雲雀が笑った。先程とは違う意味で心臓に悪い笑みだ。
 後退りしかけるが、腕を掴まれて、止められた。
「ベッドに問題がないか確かめよう」
「い、今からか?」
「僕は気に入ったけど君の意見も聞きたい。一番重要な場所だからね」
 二人の生活を始める。その意味がわからないほど綱重は鈍くも晩熟でもない。二人が次の段階に進むにはちょうどいいタイミングだとも思う。寧ろ今日ほど相応しい日もない、と。
「でも、まだ荷ほどきもしてないし、何よりこんな明るい内から……」
「その割には準備万端みたいだけど」
 首筋に吐息がかかり、飛び上がりそうになった。
 いつからかはわからないが綱重が石鹸の香りを纏っていることに気がついていたらしい。もしかしたら、顔を合わせた瞬間かもしれない。
「期待していたのは僕だけなの」
 わかっているくせに、わざとそんな残念そうな声で尋ねてくる。まったく意地が悪い。
 耳まで赤く染めながら綱重は雲雀を恨みがましい目で見つめた。
「そうだ。俺は期待なんかしてない。全然。これっぽっちもな」
「へえ」
 小さな笑い声が癪に障る。
 だけど、引き寄せられても抵抗はしなかった。ただただ、赤くなった顔を隠したくて、雲雀の肩に額を押し付ける。
「…………でも、シャワーは浴びてきた」
 精一杯の本音を漏らした。


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