至って簡単な答え

 病院に駆け込んだ綱重は、勢いそのまま階段を駆け上がったところで当初の目的を思い出した。
 近くを歩いていた看護師をつかまえ、雲雀のいる病室を尋ねる。風紀委員の腕章を見せれば納得した様子ですぐに教えてくれた。
「――……で、何でキレてるんだ?」
 頬を引き攣らせながらベッドに腰掛ける雲雀に尋ねた。パジャマ姿にドキリとする余裕もない。彼のきつい眼差しからは強い怒りの感情が見てとれる。
 綱重が何か――揶揄する言葉を――言ったわけではない。言おうと思ってきたものの、言う前から、病室の扉を開けたときから、雲雀の機嫌は最悪だった。
 怒りたいのはこちらの方だ。急に「来なくていい」と一方的に言われて、その間どんな思いでいたか、ぶちまけたいくらいだ。けれど綱重は文句を言えなかった。
 雲雀に対する恐怖心は殆ど消えたと思っていた。咬み殺すと言って他人をボコボコにしているのを見るのは未だに慣れないものの、こうして向かい合っているだけで逃げ出したくなるのは久しぶりだった。死刑宣告を待つような面持ちで唾を飲み込む綱重。しかし、ふと雲雀が怒っている理由に思い当たり、堪らず口を開いた。
「草壁さんは悪くないからな! 入院してることは俺が無理矢理聞き出したんだ! だから怒るなら俺だけに、……雲雀? どうしたんだ?」
 額を押さえ俯く雲雀に、綱重は慌てて歩み寄った。
 良くなったと聞いていたが、入院するくらい拗らせた風邪である。急に気分が悪くなったのかもしれない。それに、怒っているように見えただけで本当は最初から具合が悪かったのかも。どうしてすぐに気づかなかったんだろう!
 数秒の間に様々なことを考え、後悔すらした。しかし、ナースコールに伸ばしかけた手は寸前で阻まれる。綱重と雲雀、二人しかいない病室でそれを出来るのは一人だけだ。
「雲雀?」
 強く握られた手首の痛みを認識する前に綱重の視界は反転させられていた。どうやったのかわからないほど鮮やかな手口で、雲雀は綱重をベッドの上に組み敷いた。
「名前、呼ばないの」
 心臓が跳ねる。垂れ下がった黒髪が大部分を隠してはいたけれど、切れ長の瞳からは怒りの感情が消えていた。優しいと表現しても良いほどに穏やかに凪いでいるように綱重には見えた。
「この間は“恭弥”って呼んだくせに」
「ッあ、あれは……!」
 跳ね上がった心臓が口から飛び出しそうだと思った。
 二人きりの空間。見つめる瞳。問い詰める言葉、シーツに縫いつけられた両腕、そして覆いかぶさる体。全てが綱重の思考を混乱させ、感情を揺さぶった。
「わ、悪かった……馴れ馴れしく名前呼んだりして、」
「謝れなんて言ってないよ」
「ッ……!」
 更にきつく手首を握られてしまう。痛みに歪む表情を覗き込むかのように、雲雀はぐっと顔を近づけてきた。
「それから――彼は誰だい?」
「彼?」
「誤魔化さないで。さっき君が病院の前で話していた金髪の男だよ」
 決して誤魔化したわけではない。見られていたとは思いもしなかっただけだ。
「……あの人は今うちに住んでる、ディーノっていうイタリア人だ」
「住んでる? どうして」
「うちの父親の知り合いなんだ。母も弟も気に入ったみたいで、何だかんだでもう二週間くらい泊まってる」
 雲雀の薄い唇が真一文字に引き結ばれた。そこから滲み出る感情が綱重に届く前に、ぽつりと小さな声が落とされた。
「君も?」
 琥珀色の瞳が大きく瞬きをする。
 雲雀は焦れたようにもう一度、今度は、はっきりと言葉にした。
「君も気に入ってるの?」
「まさか! 早く出て行ってくれって思ってるさ!」
 遮るように答え、加えて語尾も強くなった。先程のディーノとのやり取りが脳裏を過ったのだ。いつまで日本に居るのか、そしていつまで沢田家で過ごすのかわからないが、少なくともこれから先、綱重はディーノと顔を合わせる気はなかった。徹底的に避け続けてみせる。あの会話の続きなど絶対にしたくない。
 奥歯を噛み締め、苦渋の色を浮かべる綱重に、雲雀は小さく息を吐いた。
「追い出せばいいじゃない」
「無理に決まってるだろう。家主である両親が歓迎してるんだから」
 苦々しく吐き捨てる。ディーノの笑顔が目の前をちらついていた。
 彼の笑顔は、初めて見たときから嫌いじゃなかった。父と母が自分に向けるそれとよく似ている所為だろう。今考えればその時点で気がつくべきだった。有り得ないほどのドジっぷりを何度も見せられて、警戒を緩めていたのだと思う。まさかあんなにも見抜かれているなんて。
「じゃあ君が家を出ればいい」
 すぐに反応出来なかったのはディーノについて考えていたからというのもあるが、ここ最近ずっと綱重の頭に存在していた決意をずばり言い当てられたからだ。
「そして僕と一緒に住もう」
「は、はああっ!?」
 許容を超えた驚きに、押さえつけられていることも忘れて起き上がろうとする。もちろん雲雀に押し戻されてしまったのだが、それについて気にする余裕も今の綱重にはない。枕に後頭部を沈み込ませたまま、雲雀の顔を見上げる。
「何でそうなるんだっ!?」
「だって君、僕のことが好きなんでしょう」
 文字通り言葉を失って固まってしまった綱重を、雲雀は楽しげな様子で見下ろし、続けた。
「気づいてなかったのかい。そもそも君は望んで風紀委員になったわけじゃない。それなのに来なくていいと言われて喜ぶこともなくショックを受けた。僕に嫌われたと思ったからだろう」
 ショックなんて受けてない。意味のない開閉を繰り返していた唇が否定を紡ごうとしたそのとき、これまで左腕を押さえていた手が優しく綱重の顔に触れる。親指が目の下を拭うようになぞって。
「夜も眠れないぐらい僕のことばかり考えていた?」
 カアアッと頬に熱が集まるのを感じた。
 自由になったばかりの手で、顔に触れたままの手を振り払う。
「お、おかしいだろ……! 男同士で、そんなのっ、」
 振り払った手が戻ってくる。手首でも顔でもなく顎を押さえられた。あっという間に唇が奪われる。
「嫌かい?」
 答えはNOだ。慣れきった行為に今更、嫌悪感なんて抱くはずがない――そこまで考えて綱重は思い出した。これまでに一度だってこの触れ合いを嫌だと思ったことはない事実を。
「君は好きでもない相手にキスされて、嫌だと思わないんだ?」
 雷に打たれたような衝撃だった。

「……恭弥……」
 放心した様子で、それでも綱重は雲雀の名前を呼んだ。
「何だい」
「俺……、あんたのことが、好きだ。それも随分前から」
「――うん。知ってたよ」
 笑んだ唇に誘われるようにして、綱重は初めて、自ら雲雀に触れた。
 知られていたことには驚きはなかった。自分自身、何故これまで気づかなかったのか理解できないくらい、今は、想いが溢れていると感じている。
 言葉なんて必要ない。
 こうして触れた場所から全て、彼には筒抜けだから。

唇から蕩けだす


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