“恭弥”

「雲雀?」
 ――……違う。
 彼は自分の知っている雲雀恭弥ではない。雲雀の兄だといわれたら納得してしまいそうなほど、その顔はよく似ているけれど。
 大きく何度も瞬きをして、綱重は突如目の前に現れたその男を見つめた。
 学ランではなく、仕立てのよいスーツを着ている。身長は綱重よりも高く、歳は二十代前半から半ばだろうか。ディーノと同じくらい、とそこまで考えてハッとする。腕の中にいたランボがいない。近くにいたはずのディーノの姿も――そもそもここはどこだ!?
 それまで意識の外にあった周りの景色がようやく目に入ってきた。広い室内、内装も家具もまったく見知らぬものばかり。大きな窓から覗くのは並盛には存在しない高層ビル群だ。見間違いかと思って、窓に駆け寄る。しかし近くで見ても広がる光景に変わりはなかった。
「一体なにが……」
 目眩を覚え、よろめいた瞬間、背後から肩を掴まれた。体を支えてくれようとしたわけではないらしい。無遠慮に、強引に、病人である綱重を振り向かせる大きな手。
「……っ!?」
 何が何だかわからないうちに、唇を奪われていた。
「ん〜! ん、ンゥ、っ、ンンー!」
 男の手は綱重の顎と腰をがっちりと押さえていて、いくら暴れてもびくともしない。
 口付けは深く、抵抗する間もなく舌を絡みとられ、二人の唾液が混ざりあったものがいやらしい水音を立てる。犯すという単語の意味を綱重に叩き込むかのように、情熱的なキスは暫し続いた。唇の端から溢れた唾液が綱重の首筋に跡を残し、綱重の瞳から涙が零れ、綱重の体から力が抜けて、ようやく男は綱重を解放した。
 はあはあと苦しそうに息をしながら、散々貪られて紅く色づいた唇を動かす。とにかく早く確かめたくて、乱れた呼吸を整える時間すら惜しかった。
「……ひばり、だよな……?」
「違う」
 否定の言葉に驚き、驚いたことにまた驚いた。尋ねる前に、男が雲雀恭弥であることを確信していた自分に気付いたからだ。
 有り得ないと頭では考えているのに、心はどうしようもなく、目の前の青年がよく知っている彼と同一人物であると訴える。
 だって、あんなにもそっくりなキスを別人がするものだろうか。歯列を割って口腔に侵入する強引さも、上顎をなぞる舌の熱さも、何もかも知っていた。だから抵抗は最初だけで、されるがまま受け入れたのだ。
 でも違う。本人がそう言うのだから、彼は雲雀恭弥ではない。綱重はきゅっと唇を引き結ぶ。
 ところが。
「名字じゃなくて名前で呼ぶよう言ったはずだけど?」
 自分たちは初対面のはずだった。彼が雲雀恭弥でないならば。そして、もし彼が雲雀恭弥であったとしてもそのようなことを言われた覚えはなかった。
「……。……いえ、言われてません……」
 相手は、どう見ても年上である。とりあえず敬語で答えた。
 すると男は何かを思い出すかのように数秒沈黙し、
「じゃあ今言ったから」
 ――そう、言い放った。
 どこかで聞いたことのある物言いに、呆然と立ち尽くす綱重の体を好機とばかりに男が抱き締める。
「ちょっ……!」
「色気のない声」
 勝手に批評した上、わけがわからず目を白黒させている綱重の唇に軽いキスを落とす。チュッと可愛らしいリップノイズが響く。しかし続いた言葉はとんでもなかった。
「キスも下手だ」
「なっ!?」
 熱とキスの所為で桃色に染まっていた頬を更に濃く染めて、綱重は驚きの声をあげた。二の句が継げない。魚のように口を開閉するばかりだ。そんな綱重の動揺を興味深そうに眺めた後、男はフッと笑みをこぼした。その優美な笑みは、やはり綱重のよく知るものだった。
「ひっ!」
 短く息を吸うような、小さな悲鳴。男が首元に顔を擦り寄せてきたのだ。
「匂いは変わらないね」
 そこで喋られると吐息がくすぐったい。
 身を捩りながら綱重は思う。
 雲雀だ、雲雀恭弥だ、間違いない、と。
「や、離せ……! 雲雀! おい! なんで服に手を、こら、やめろっ! 雲雀!」
 パジャマの裾から、やけに手慣れた様子で手が入り込んできた。脇腹をくすぐるように撫でられて飛び上がる。雲雀、雲雀、と必死に名前を呼ぶが、顔を首元に埋めたまま視線すら寄越そうとしない。明らかに聞こえない振りをしている。なんて大人げないんだ、と綱重は愕然とする。
 そうしている間にも服の中の手はどんどん上の方へと伸びていった。膨らみのない胸でも、撫でられれば妙な気分にもなる。一方で、背中に回されていた手は逆に下がっていく。腰を通り過ぎ、その下の柔らかな双丘に指が触れる。
「……〜〜〜っ、恭弥!」
「何だい?」
 服の中から手を引き抜き、男は平然と返事をした。端から見れば、顔を真っ赤にして怒っている綱重の方がおかしく思えるほどだ。未だ臀部に添えられた手がなければ、であるが。
 いや、今は尻よりも大事なことがある。綱重は目を吊り上げて男――雲雀恭弥を睨み付けた。これはどういうことなのか、説明して欲しかった。どうやってこの場所に連れてきたのか、その格好は、背が伸びた理由は、というか一気に十歳くらい年をとったみたいじゃないか。聞きたいことが山ほどあった。
 何から聞くべきか逡巡したほんの数秒。
 先に雲雀の方が口を開いた。
「そろそろ五分経つ」
 何のことかと首を傾げる綱重の唇を奪い。
「ばいばい。十年前の綱重」
 そう言って、あの優美な笑みを浮かべた。

×

「綱重、わかるか」
 真っ黒な瞳が綱重を覗き込んでいる。同じ黒でも雲雀の切れ長の瞳とはまるで違う。子供らしい大きな瞳。――リボーン。
 反射的に眼鏡の在り処を探していると、誰かが横から手渡してくれた。裸眼でもその金色の鮮やかさは確認できるほどで、すぐにディーノだとわかる。
 心配そうにこちらを見下ろすディーノの顔、その上には見慣れた天井が見える。
 自室のベッドの上に綱重は寝かされていた。
「…………家? 戻ってきたのか……?」
「ああ。ここはお前の家だ。でもお前はずっとここに居たぞ。どこにも行っていない」
「でも、俺は別の場所に」
「夢を見たんだな」
 きっぱりとリボーンが言った。
「ゆ、め?」
「そうだぞ。熱が高いから、変な夢の一つや二つ、見て当然だ」
 ――熱が高い?
 ああ、本当だ。眼鏡を取り去り、額に触れるリボーンの手が冷たく感じる。幼児の手は普通もっと体温が高いはず。
「夢、だったのか……」
 ぼんやりと呟いて、綱重は瞼を閉じた。
 そうすればまたスーツ姿の雲雀に会えるような気がした。


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