弱り目に祟り目

 ガタ、ガタンッ!
 数十分前から断続的に、何かを打ちつけるような音が届く。下の階からだ。
 何度目かの音を耳にして、綱重は堪らず布団から這い出した。
「……なんなんだ……」
 思うように発声できない喉で、掠れた呟きを絞り出した。咳をひとつ。手探りで眼鏡を見つけ出し、ベッドから足を降ろす。頭がぼうっとする。身体中が痛い。もう一度、今度は何度も咳き込む。
 よろけながら、部屋を出、階段へと向かった。

「わりぃ、起こしちまったか?」
 にへらっと人好きのする笑みを浮かべているのは、数日前にこの家にやってきた客で、ディーノという青年だ。父の知り合いだとかでリボーンのこともよく知っているらしい。
 笑顔を見る限り悪い人ではなさそうだけれど、父の知り合いというだけでいまいち信用できないと綱重は思う。
 加えて、綱重が今こうして風邪をひいているのも元を辿ればディーノの所為なのだ。
 数日前――ディーノが初めて訪れた日に――沢田家の風呂場は酷い状態に――端的に言えば、浴槽を破壊された。綱重は結果を見ただけで過程は見ていないため、どうしてそんなことになったのかはわからない。ディーノのペットの亀が暴れた所為だとは聞いたが、まったく信じていなかった。
 その辺りのことはどうでもいい。大事なことは、自宅の風呂が使用不可能となったため、綱重が銭湯通いを余儀なくされたということなのである。それもツナとディーノ、おまけにリボーンたちをも引き連れて。
 銭湯へ向かいながら、ディーノは少年たちに気安く話しかけてきた。どんなことでも律儀に答えるツナとは違い、綱重は無視、よくて素気ない返事をするだけだ。大抵の人間はそこで綱重との交流を諦めるものだが、ディーノは違った。銭湯についてからも何かと綱重に絡み続けたため、綱重の方が先に音をあげざるを得なかった。
 ディーノから逃げるべく、十分に体が温まる前に風呂から上がり、その上、きちんと髪を乾かさないまま帰路についた。雪国の寒さとは比べものにならないが、並盛でも十二月の夜ともなれば気温は一桁になるにも関わらず。綱重がこうして風邪をひいたのは当然の結果といえよう。
「奈々さんは買い物に行ったぜ。綱重のために色々買ってくるって張りきってた」
「そうですか。それで、あなたは一体何をしているんですか」
 床に這いつくばっているディーノから視線をあげ、室内を見渡した。
「そして、この惨状は何ですか?」
「あー……これはだな……」
 いつも母が隅々まで磨きあげている部屋が、今は見る影もなかった。リボーンとランボが家に居着いてから以前よりも物が散らばるようにはなったが、ここまで荒れているのは初めてだ。
「何でかはわからないが、今日よく転ぶんだよな。で、気付いたら何故か部屋がこんなことに……も、もちろんちゃんと片付けるぜ! ほら!」
 床に這いつくばう変な趣味があるわけではなく、床を拭いていたようだ。幸いにも欠けなかったらしいカップを片手に、珈琲色に染まった雑巾を掲げてみせる。それだけならば良かったのだが、綱重の冷たい眼差しに焦ったのか、両手が塞がったまま立ち上がろうとしたディーノの体は、途中で大きくバランスを崩した。
「おわ!?」
 雑巾が宙を舞う。
 高熱により言うことをきかない体に加え、鈍った判断力が悲劇を招いた。
 ――ベチャッ。
 汚れた雑巾が不時着したのは、上向いた綱重の顔の上だった。
「わ、悪ぃ! 大丈夫か!? ……でッ!!?」
 ズダ、ダダダダンッ! ガチャーン!
 己の右足に左足を引っかけるというある意味ミラクルなドジを発揮したディーノに綱重も巻き込まれる形で、二人は仲良く床に倒れ込んだ。ついでに言うと、ディーノの手から零れ落ちたカップに二度目の幸運は訪れなかったようだ。
「……いや、本当……何て言ったらいいか……」
「……」
 申し訳なさそうに謝罪を口にする外国人に、綱重は深い溜め息で返した。もう怒る気力すら湧いてこない。
 覆い被さるように上に乗っていたディーノの体を押し退けて、のろのろ起きあがる。差し出された手は丁重に断った。もう一度床に叩きつけられたくはなかった。
「あなたはもう何もしなくていいです。部屋は母が帰ってきたら片付けるでしょうから、座ってテレビでも見ていてください」
「そういうわけには……」
「オレっち参上ー! ガハハハハ!」
 子供特有の高い声が頭に響く。ランボが遊びから帰ってきたようだ。勘弁してくれ、と綱重は額を押さえる。
 ああ、特殊体質とか関係なく、今すぐこの家を出ていきたい。
 軽やかな、しかし乱暴な足音が近付いてくる。うんざりとそちらに顔を向け――ハッとした。
 カップの破片が床に散らばっていることを思い出したのだ。
「来るな!」
「くぴゃっ」
 幼児の足は、破片まであと一歩というところで立ち止まった。しかし、突然怒鳴られて驚いたのか、小さな体は飛び上がりそのまま勢い余って後ろに倒れ込んでしまった。
 ゴチン、と鈍い音がした。後頭部を思いきり打ちつけたようだ。
 一瞬の沈黙の後、むくりっと小さな体が起き上がる。何が起きたのかわからないといった表情だ。
 黙って見守っていると、小さな手が確かめるように頭を押さえた。
 そして。
「ガ・マ……うわあああああん!」
 一度堪えようとして、やっぱり泣き出した。
「大丈夫か」
 ランボは元々綱重を苦手としている。怒鳴られ、痛い目を見た今の状況では尚更だ。抱き上げてあやすどころか、近づくのもままならない。
「よーし、ここはオレに任せとけ」
「え?」
「こう見えても子供の扱いは結構うまいんだぜ」
「ちょ、ちょっと、やめてください!」
 綱重が止めるのも聞かず、ディーノはランボを持ち上げた。
「ほーら、たかいたかーい!」
 勢いよくランボが宙に放られる。二度、三度。四度目で、案の定、天井にぶつかった。
「ありゃ」
 当然、ディーノの腕の中に下りてくるはずもない。
「……っ!」
 体調の悪い綱重では抱き留めることはできなかったが、なんとか足首を掴まえて、床に叩きつけられることだけは阻止した。それでもランボの受けたショックは小さくない。
「うわああああ!」
 先ほどまでが“火のついたよう”ならば、火に油どころかガソリンを注いだかのような泣きっぷりだ。
 天井にぶつけた額が赤くなっている。こうして元気に泣いている分には大した怪我ではないだろうと少しだけホッとして、しかし、何の解決もしていないことに脱力する。躾の面ではあまり良くない気がするが、おやつか何かで機嫌を取るしかないだろうか。思案する綱重の目前に、突然筒状の何かが現れた。
 それはランボが、アフロヘアーから取り出したものだった。
 髪の毛の中に、飴などのお菓子や、ゴミとしか思えないものを色々詰め込んでいることは知っていた。だがまさかこんな大きなものまで。驚きを隠せない綱重は次の瞬間更に驚愕する。
 引き金のついた筒状のそれを、ランボが、ランボ自身に向けたのである。
「……何してるんだ! 危ないだろう!」
 綱重は、十年バズーカと呼ばれるその兵器を、単なる子供の玩具だと信じて疑わなかった。玩具と言えど顔に向けてはだめだ。そう思って、手を伸ばす。
 外された照準が偶然にも綱重に合わさったまさにそのとき、ランボが引き金をひいた。


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