体育祭 1

 朝からワイワイと、何やら家の中が騒がしい。
 眉を顰めながら綱重はキッチンを覗き込んだ。
「あっ」
 母でも居候の美女でもなく、黒髪の少女と目が合う。
「おはようございます!」
 おにぎりを握る手を止めることなく、少女は元気に挨拶した。
 彼女のことを綱重は知っていた。夏休みに一度だけ顔を合わせたことがある。弟の友人だ。名前は確か――
「ハルちゃん、綱重とは初めてかしら?」
「いえ、一度だけ、ちょこっとお会いしました!」
 そうだ。ハル、三浦ハルと名乗っていた。それで、その“ハルちゃん”が何故おにぎりを握っているんだ。
 疑問に答えたのは母の奈々だった。
「ツナのために早起きして来てくれて、お弁当作りを手伝ってくれてるのよ」
「はひっ。でも全然大したことはできなくて申し訳ないです……! ハル、ビアンキさんのように料理上手ではないですし!」
「そんなことないわよ、ハル。あなたなかなか良いセンスしてる」
 ビアンキの言葉に奈々が大きく頷く。
「とっても助かってるわ」
 照れたようにハルが笑った。
 それから、ツナさんのためにハルは頑張ります!と意気込んだかと思えば、くるりと綱重の方へ向き直り。
「お兄さんは、何のおにぎりが好きですか?」
「いや、俺は……」
「綱重もツナの応援に行くわよね、もちろん」
 今朝の奈々には有無を言わさぬ迫力があった。腰に手を当てて、いつもよりも少し低い声で息子に問いかけてくる。
 しかし凄んでみせたところで、どこぞの風紀委員長に比べたら可愛いものだ。綱重は僅かに言いよどんだが、はっきり首を横に振ってみせた。
「この間もそう聞かれて、行かないって答えたはずだけど」
「弟の初めての体育祭なのよ!」
「……だから何? 大体、あいつ自身、こういう行事に一生懸命取り組んだりしない奴だろ。そんな張り切って見に行ったりして、変にプレッシャーかけてやるなよ」
 弟はあまり運動が得意でない。そして、そのことを恥じている節がある。みんなで応援に行ったりしたら、逆に追い詰めてしまうだろう。声援は弟にとって重圧にはなっても力にはならないはずだ。
 母のこういうところが弟をより卑屈にさせている気がする。勉強が出来なくとも、足が遅くとも、綱吉には綱吉のいいところがあるのに。
 渋い顔を浮かべた息子に、奈々は興奮を抑えきれない様子で言葉を紡ぐ。
「それがね、ハルちゃんから聞いたんだけど、ツナったら総大将に選ばれたんですって!」
 普段あまり耳にすることのない単語が登場した。綱重は眉根を寄せて、無言で説明を求めた。
「ハルはリボーンちゃんから聞いたんですが、体育祭のクライマックスを飾る、棒倒しの総大将だそうです。本来なら三年生が務める大役を任されたんですよ! 流石はツナさんですー!」
 頬を染めキャッキャッとはしゃぐハル。その隣で、だからみんなで応援に行かなきゃと笑っている奈々も少女のテンションに負けていない。
 こうなった母を止めるのは難しい。父が久々に帰ってくるとなったときの喜びようと似ている。張り切って料理を作りまくるあたりが特に。
 どうしたものかと思案していると、話題の主が階段を降りてきた。いつもより元気がないように見えるのは気のせいだろうか。具合が悪いのかもしれない。
 しかし、キッチンを覗き込み、即座に青ざめた弟の顔を見て、綱重は確信する。
 綱吉は、総大将を任されたのではなく押しつけられたのだ、と。
 恐らく形だけの多数決が行われたはず。嫌な役目を一人に押しつける常套手段だ。気の弱い弟は、そんなことをされたらもう嫌でも決定を受け入れざるを得ない。
「――綱吉」
 お弁当作りに励む母たちをどこか焦った様子で見つめていた弟が、弾かれたように振り向く。過剰とも思える反応に、そういえば、ちゃんと名前で呼び掛けるのは数年ぶりだと気がついた。勿論母のようにあだ名で呼んでいたわけではない。そもそも綱重から弟に話しかけること自体、滅多にないのだ。
 驚きに見開かれた瞳を真っ直ぐ見返して、綱重は端的に告げた。
「総大将なんてお前には無理だ。辞退しろ」
 場が静まり返る。キッチンの和やかな雰囲気も一瞬で凍りついた。
「当日になって辞めることにあれこれ言うやつはいるだろうが、そんなものは無視すればいい。どちらにしろ恥をかくんだ。それなら怪我をしないで済む方が得だということくらい、お前にだってわかるだろう」
 きつい言い方だが、間違ったことは言っていない。傷つきながらも弟は納得するはずだと綱重は思っていた。しかし。
「……何だよ、それ」
 ぽつりと呟くように返ってきた言葉の意味を、綱重はすぐには理解できなかった。
「確かにオレは兄さんと違って運動神経よくないけど……そんな言い方は、ないんじゃないの? 恥かくとか、言われなくたってわかってるし、でも自分で思っててもそんな風に言われたら腹が立つ……っていうか……」
 ――驚いた。
 弱々しい口調だが、ツナの言葉は確かに綱重を撥ね付けた。
 綱重と相対するときにはいつも怒りか悲しみの感情を映す瞳に、初めて反発心が宿っている。
「そうよね。みんなに総大将任されるくらいだもの、ツナだってやるときはやるわよね」
「つまりツナさんは、やる気満々ということですねっ」
「……えっ? あ、いや、別にやる気満々ってわけじゃ」
 顔の前で手を振り必死で否定するツナに、ビアンキが追い討ちをかける。
「何言ってるのよ。男ならバシッと決めて綱重を見返してやりなさい」
「そ、そうしたいのは山々なんだけど、昨日練習中に川に落ちた所為かな〜、さっきはかったら熱が」
 パンッと手を打ち合わせる音がツナの言葉を遮った。
「前日練習なんて偉いわ!」
 奈々の瞳はキラキラと輝いていた。
「気合の入り方が違うわね、総大将さん!」
「わ〜! これはもうツナさんチームの勝利は確実ですっ」
「えっ!? ちょっ、ちょっと……!」
 総大将が遅刻をするわけにはいかないと奈々とハルの二人に促され、それから十分も経たずにツナは家から送り出されてしまうのだった。


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