わからない

 夏の間、あちこち連れ回されていたにも関わらず綱重の肌は白いままだ。赤く腫れ上がるだけで小麦色に焼けるということはなかった。
 そんな生白い体でも、以前より逞しさを感じるのは、うっすらとついた筋肉のおかげだろう。
 雲雀との訓練が日毎に激しさを増している。
 夏祭りの日に負った怪我は新学期を迎える頃にはすっかり癒えていたが、九月も半ばを過ぎた今、綱重の体に相変わらず生傷が絶えないのは、つまり、そういうことなのである。
 手のひらに灯る炎のコントロールとはもう関係なくなってきていると気付いていたが、気付いたからといって雲雀に意見する勇気は持ち合わせていない。
 警棒を使った戦い方も段々体に馴染んできている。いくら使いたくなくとも、トンファーで殴りかかられたら使わざるを得ないからだ。

「――よろしい、そこまで」
 教師の制止に、綱重は口を閉じて腰を下ろした。
 続く文章を音読するよう指示された生徒は、授業に集中していなかったらしく、あたふたと立ち上がって教科書を捲っている。隣に座る生徒が見兼ねてページ数を囁く。小声だが静かな教室にはよく響いた。
 授業終了まであと二十分。放課後が近い。
 今日もまた、並中の応接室に向かう予定だ。

 あの夜から訪れた変化は、武器を使っての戦闘訓練だけではなかった。

×

 ふやけてしまうのではと思うほど散々舐めしゃぶられた舌を不意に甘噛みされて、綱重はいよいよ足に力が入らなくなってしまった。崩れ落ちかけた体を雲雀の手が支える。腰に添えられた手の感触、たったそれだけで、綱重の体は大きく震えた。
 ほんの数十分前にはトンファーを振るっていたし、数分前には乱暴に綱重を壁に押しつけた手。それが今はこんなにも優しく触れてくる。
 綱重にとって、雲雀恭弥は、相変わらず理解の及ばない男だった。
 少しならわかる。並盛を大事に思っていること。並中を傷つける者、風紀を乱す者、群れる者は問答無用で咬み殺し、強い者とは戦いたがる。
 雲雀の行動の殆どが、以上に由来する。
 ……“これ”はどれにも当てはまらない。だから、綱重は未だに混乱し続けている。

 錯覚だと思い込んだあの日の出来事が、錯覚ではなかったと思い知らされたのは、その翌日だった。
 書類を片付け、さあ帰ろうかと立ち上がったとき、腕を引かれて二度目のキスをされた。最初と同じく触れるだけのキスだった。目を白黒させていると「また明日」と至って普通に声をかけられたので、「ああ、それじゃお先に」と反射的に普通に返す。
 そんな日が一週間続いた。
 別れ際に唇と唇を合わせる以外、雲雀に変わったところはなかった。相変わらず気に入らないことがあればすぐに殴ってくるし、こちらの都合なんてお構いなしの勝手な言動もそのままだ。
 空気が変わるのは別れ際の十数秒だけ。それ以外の何事もない時間にわざわざその話題を出すことは憚られるほど、雲雀の態度に変わりはなくて。何故キスをするのかと問いただそうものなら「君、気でも狂ったの?」と睨み付けられそうな雰囲気で。
 迷って、悩んで、結局何も言えず、きっと雲雀流の別れの挨拶なんだと無理矢理自分を納得させて、気にしないことに決めた頃、更に変化が訪れる。
 キスが触れるだけではなくなったのだ。
 いつもの別れ際ではなく、警棒の使い方がなっていないと、しこたま殴られた直後だった。唇の端に滲む血を舐めとられ、口の中の傷を舌でえぐられた。痛みに喘ぐ声すら雲雀の薄い唇が全て吸いとっていった。
 その日以降、口付けはどんどん深くなり、別れ際だけでなく隙あらば――隙がなくとも無理矢理に――雲雀は綱重に触れてくるようになった。
 早いうちにキスの意味を尋ねなかったことが災いした。どうして、なんて今更尋ねられるはずがない。
 綱重は流されるまま、今日もこうして雲雀と口付けを交わしている。
「ん……ふぁ……」
 もういいだろ。離れろよ。唯一自由になる目で訴えた。だが今にも涙が溢れそうな潤んだ瞳では、大した威嚇にはならない。雲雀がその切れ長の瞳を可笑しそうに細めたのを見て、諦める。
 がっちりと腰を掴む手からはどうやっても逃れられないのだから。

 一体この行為に何の意味があるのか。雲雀が何を考えているのか。
 わからないことだらけだ。
 そして綱重が何よりもわからないのは、こんなことをされても決して嫌だとは思わない自分自身だ。


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