VS腹痛少年

「――沢田くん?」
 鮮やかな金糸は、夏の陽射しを受けてキラキラ輝いている。
 思わず足を止めて声を掛けていた。
 染めたり色を抜いたりしているわけじゃない本物の煌めきが、ゆっくりと僕の方へと振り返る。

 うちの学校の生徒で彼を知らない人間はいないだろう。入学以来、常に成績上位者に名を連ね、体育でも運動部がこぞって欲しがるほどの活躍を見せる。加えて、金色の頭髪に淡い色の瞳――外国の血が混じっているのだという――が似合いすぎる端正な顔立ち。いつだって、皆の視線の先には彼がいた。
「この辺りに住んでるの? 僕も並盛なんだ」
 歩みを寄せ、喋りつつも、内心ではひどく動揺している。
 だって、あの沢田綱重に話しかけているのだ!
 これは普段の僕なら絶対に有り得ない行動である。頭の片隅では、おいおい君ってばそんなことしてどうする気だい、ともう一人の僕が汗をだらだら流してあたふたしているくらいだ。
 もしかして、自覚はなかったけれど、僕は、夏休みの開放感でちょっとおかしくなっているのかもしれない。それともこの同級生が、見慣れた制服姿ではなく(夏休みなのだから当然だ)Tシャツにジーンズというラフな格好をしているからだろうか。きっちり着込まれた詰襟とは違って、どこか柔らかな印象を受けるんだ。気軽に話しかけても許されるような。
「……」
「……」
 お互い眼鏡越しに視線を交わす。その冷えきった琥珀は一体何を考えているのだろう。
 気軽に話しかけても許される、だって? 誰だ、そんなことを言ったのは! 馬鹿じゃないのか!
 じわり、手に汗が滲んで、頭の片隅にいるもう一人の僕がお腹を押さえる。現実の僕はといえば、生憎、荷物を抱えていたためにお腹を押さえることは出来なかった。かわりに無理矢理口角を引き上げて笑みの形を作る。ははは。愛想笑いにしても、ぎこちない響き。
「……」
「……」
「……」
「……ええと、」
 何か、何か、話さなければ!
 いやー今日も暑いねぇとか、地球温暖化の所為かなぁとか、いや、落ち着け、道端でいきなりオゾン層の話をするのはおかしい。やはりここは、これからどこかに行くのかい、だ。うん、とても自然だな。そしてこう続く。ちなみに僕はこれから――。
 不意に事柄Aと事柄Bが結びつき、脳内シミュレーションは強制的に打ち切られた。
「もしかしてこの子知ってる!?」
 背負っているモジャモジャ、もとい、牛柄の服を着たアフロヘアーの子供を見せる。
「いきなり僕の家に飛び込んできたんだ。そのあと変な外国人まで来て、この箱を置いていってさ。中には札束とかパスタとか入ってて、でもこんなの受け取れないし、返しに行ってこいって母さんたちに言われてこの子の家を探してるんだよね」
「……」
「……」
「……」
 はい、沈黙が痛いです!
 沢田くんは僕の背中にいる子供をじっと見つめたまま相変わらず何も言わない。気まずさから額に浮かんだ汗を拭き取り、ポケットを探った。うう。子供を背負って、箱まで持って、すぐに取り出せるはずもない。暫くもたつきつつ、何とか取り出したそれを沢田くんの目前に掲げる。
「この子、“さわだりぼーん”って書いてある紙を持ってて、ほら、“さわだ”って書いてあるでしょう。それに、リボーンって外国の名前だし、もしかして沢田くん家かなって、……あの、違ってたら、ごめん」
 何かを思案するように琥珀色の瞳が細められたのがレンズ越しにも分かった。
 その瞬間、僕はハッとした。
 ああ、もしかして。どうしてその可能性に今まで思い至らなかったのだろう! 沢田くんは、沢田くんは……僕が誰だかわからないのかもしれない……!
 約一年半もの期間を同じ教室で過ごした相手に、認識もされていなかったとは悲しすぎる。けれど、僕はそれほど目立つタイプではないし、沢田くんは他人に一切興味がないようだから、有り得ない話ではない。寧ろ、今まで何も答えてくれなかったのもこれで納得がいく。何か話しかけているけどこいつは一体誰なんだ、と沢田くんは考えていたわけだ。うわー。
「あの、僕、一年の時から同じクラスの入江なんだけど、わかるかな? 入江正一だよ」
「……」
「……」
 もう勘弁して! これ以上この空気には耐えられません! 覚えてても知らなくてももうどっちでもいいんで、何か答えてください! お願いします!
 うっ……お、お腹が……。
 本格的に痛み出したお腹を庇うように前屈みになりながら僕は続けた。
「リボーンさんって外国人が住んでる家、知らな……、……知りません、か?」
 ついに敬語を使いだす僕。
 沢田くんは大きく息を吐き、そして。

「知らない」

 きっぱりと言い切ると、僕から視線を外し、再び歩き出した。立ち去る背中に最後の質問を弱々しく投げかける。
「……それは、どの質問に対する……?」
 答えは、やっぱり返ってこなかった。

×

 小さく漏らした溜め息に雲雀が首を傾げる。
「どうしたの?」
「……別に」
 いくら関わりたくないとはいえ流石にあの態度は悪かったかな。事実上、ランボは家で預かっているわけだし、その監督責任は俺にもあるわけで。
 見て見ぬ振りをしていいものかどうか迷った挙句、嘘をついて逃げ出した。あれなら声を掛けられたとき立ち止まらず、そのまま歩き去った方が良かったかもしれない。どう答えようか考えているうちに次々質問をぶつけてくるから混乱してしまった、というのは、とても言い訳にならないだろう。
 俺が何も答えないから、不安になったらしい入江は自己紹介まではじめていた。それに返した言葉が“知らない”の一言というのは、いくらなんでも酷すぎる気がする。
 馴れ合うつもりはない。友達なんて俺には必要ない。だけど、家で面倒をみている子供が迷惑をかけたみたいだし(飛び込んできたとか変な外国人とか、何を言ってるのかよく分からなかったが)、この暑い中、その子供を家まで連れてきてくれようとしていた。
 もっと何か出来たんじゃないだろうか。
 入江からランボを受け取って一度家まで戻っても、時間には間に合ったはずだ。少しくらい遅れても雲雀にたかだか一発殴られるくらいだ。
 心臓の裏側あたりで渦巻いている罪悪感を吐き出すように、ふう、ともう一度溜め息を吐いた俺の脳天に衝撃が走る。
「〜〜ッ何でいきなり殴るんだ!」
「鬱陶しいから」
「お前なあ……!」
 頭を押さえ呻きながら、何故だか笑いが沸き上がってきた。ああ、こいつの側にいるとあれこれ悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。
「なにニヤニヤしてるんだい」
 繰り出された拳を今度はぎりぎり避けながら、もう過ぎたことだ、と考えるのを止めた。


 ――新学期。
 教室に入ってすぐ俺が足を向けたのは、自分の席ではなく。
「入江」
 教室内がどよめいた。俺が教師以外の誰かに話しかけるのなんて初めてだからだろう。誰よりも驚いたのは入江のようだ。真ん丸に見開かれた目がちょっと面白い。
 あの日、ランボは無事に帰宅していた。母さんに聞いてみたところ入江らしき人物とは会っていないらしい。入江がそっと家に帰してくれたのだろう。
 俺は、やはり彼には一言謝っておくべきだと思った。ランボを送り届けてくれた礼も言わなきゃならない。
「夏休みに」
「ぼ、ぼくっ!」
 今度はこちらが驚く番だった。裏返った声に言葉を遮られ、その上、それを発した入江は真っ青な顔をしてガタガタ震えていたからだ。
「ごめんなさい!」
 何故か謝った入江は、ガターンッと椅子を倒しながら勢い良く立ち上がる。青ざめた顔を引き攣らせ、腹を押さえて、教室から走り去る彼を呆然と見送る。
 その日から暫く、校内にいる間、指をさされ、ひそひそ話をされる日々が続いた。良くない話なのだろうことは雰囲気でわかる。
 結局、俺が入江に謝ることはなかった。


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