夏祭り 5

 立て続けに腹を殴られる。雲雀に殴られるよりは痛くない。でも、我慢できるほど痛くないわけじゃない。
「うわっ、きたねー!」
 胃の中のものが逆流してきて、堪えきれず吐き出せば、頬を強く叩かれる。ただでさえ気持ち悪いことになっている口の中に血の味が加わった。
 最悪だ。俺が呻くと、男たちは声をあげて笑った。
 何がそんなに楽しいんだ? 複数で、抵抗の出来ない一人をボコボコにして、満足なのか?
 あいつは……雲雀は、逆に、いつも一人で複数を相手にする。
 それってよく考えたら凄いな。
 暴力を振るうのが良いことだとは思わない。でも、普通の人間には出来ないことなのは確かだろう。俺なんか、たった六人を相手にしただけで震えが止まらなかったし、こうして反撃にもあっている。この場を何とか乗り越えたら、もう二度と自分から殴りにいくような馬鹿な真似はしない、絡まれたらすぐに逃げるんだ、なんて思ったりもしている。だって痛いのは嫌だ。恐いのも、嫌だ。
 雲雀は何かを恐いと思ったことはないのだろうか。今はないだろうけど、昔、小さい頃とか。いくらなんでも一度くらいは……無くても別におかしくはないか。何と言ってもあいつは雲雀恭弥なんだから。
「なに笑ってんだよ」
 不思議だ。バットを突きつけられているというのに、まったく恐くない。
 俺は俺で、あいつじゃないのに。あいつのことを思い浮かべただけで何だか勇気が湧いてくるみたいだ。
「ッ、生意気な目しやがって! 泣いて謝りゃあ勘弁してやろうと思ったのに、」
「泣くのはお前らの方だ。……風紀を乱すクズどもが」
 言葉を遮り、男の顔に向かって唾を吐く。ゲロと血の混じった唾液だ、ざまあみろ。
 そうは言ってみたものの俺は変わらず羽交い締めにされていて、目の前の男は青筋立てながらバットを振りかざそうとしている。
 最後まで虚勢を張っていたかった。
 賢い行動ではないだろう。まともでもない。でも、こんな奴らに許しを請うくらいなら死んだ方がましだと思った。そこまでして生き残っても、それを雲雀に知られたら、咬み殺されるに違いないし。どうせやられるならこっちの方がいい。
 バットが振り下ろされるのを感じて、目を瞑る。
 何かを殴打する音が辺りに響き渡った。でも、何故か俺は無事だった。目を開けるのと同時に、もう一度。今度は後ろから聞こえてきた。
「っ……!」
 急に拘束が解かれ、支えを失った俺は地面に膝をつく。
「草壁と一緒に居ろって言ったよね」
 雲雀だった。
 酷く苛立った様子で、地面に倒れ伏す帽子の男の頭を思いっきり蹴りあげている。
「……。…………悪い」
「何が? 勝手に動いたこと? こんな草食動物たちに簡単にやられたこと?」
 黙ったままよろよろと立ち上がる俺に、雲雀は、当たり前だが手を貸そうとはしなかった。怒りのこもった眼差しに睨まれながら数歩先にある“それ”に手を伸ばす。
 さっきは手が届かなかった。踏みつけられて割れてしまったお面。
「あと……これ、折角お前が買ってきてくれたのに……、……ごめん」
 お面を抱えながらそう言うと、雲雀の眉がぎゅっと寄せられた。余計に怒らせてしまったと思って、身を強張らせる俺の胸ぐらを雲雀が掴む。
 殴られる。
 きつく目を瞑る俺の名前を雲雀が呼んだ。
「綱重」
 怒っている声には聞こえなかった。驚いて瞼をあげる。
「綱重」
「な、何だよ……」
 頬を包む柔らかな手の感触にドキッとする。人を殴ったり殴ったり殴ったりしてばかりの手なのに、なんでこんなに温かくて柔らかいんだろう。ああ、でも、紅茶を淹れるのは上手いよな。
 机に向かっているときもそうだ。ペンを握る指は白くて細くて、何度も綺麗だと思った。この指が、凶器を握ることもあるなんて嘘みたいだと。
 ――僅かに顔を俯けさせられて。
 長い睫毛に縁取られた真っ黒な瞳が俺を覗き込む。
「君はどうしようもなく馬鹿だ」
「なっ」
 いきなりの罵りに抗議の声をあげるが、それ以上は続かなかった。
 雲雀が俺に口付けたから。

「何だい、その顔は」
「……え……?」
 唇を押さえ硬直している俺を見て、雲雀は呆れた表情を浮かべる。
 雲雀があんまりにも平然としているので、間違っているのは俺の方なのかもしれないと思った。唇と唇が触れたなんて錯覚だと。殴られ過ぎて頭がおかしくなったんだ、と。
 大体、こんなことあっていいはずがない。
 変な夢を抱いていたわけじゃないが、しかし、いくらなんでもファーストキスが吐瀉物と血の味なんて酷すぎるじゃないか。有り得ない。
 錯覚だ。
 自分に言い聞かせる。
 例え柔らかな唇の感触が残っていても関係ない。錯覚だ。錯覚なんだ。
 何だか目眩がしてきて、再び地面にへたり込む。
 雲雀が小さく溜め息を吐いた。
「こんなことなら、これを先に渡しておくんだった」
 そう言って掲げたのは、さっき男たちを倒すのに使ったらしい武器。当然いつものトンファーだと思っていたが、よく見れば違った。
「それって」
 ……警、棒……?
「君の武器だよ」
「は!?」
 唖然とする俺に構わず、雲雀は、手の中のものをスルスルと縮めていく。四、五十センチはあった棒が手のひらに収まるくらいの長さになった。
「……伸縮するのか。随分コンパクトにまとまるんだな」
「伸ばすときは、こう」
 先端部分を引っ張るだけでいいらしい。へえ。
「使い方は、こう」
 雲雀の手が、バットを握ったまま倒れている男の髪を掴み、意識のない体を無理矢理起き上がらせた。そして止める間もなく、男の顔に向かって真っ直ぐに武器を振り下ろしてみせる。鈍い音が響き、男の体はまるで人形みたいに吹き飛んだ。変な体勢で地面に突っ伏しぴくりとも動かない男の姿に、俺は、本当に死んじゃったんじゃないかと少し不安になる。
「常に携帯しておきなよ」
 ポンと投げられたものを思わず受け取ってしまう。
「まあ、これなら持ち歩きに便利だし……って、こんなもの要るか!」
 力一杯怒鳴っても、雲雀は何処吹く風だ。
「グリップは耐炎性だから炎を出したままでも扱える。君用に特別に頼んでおいたのが、昨日ようやく届いてね」
「俺用に?」
「前に話したでしょ」
 そう言われてもすぐには思い出せない。首を傾げていると、
「初めてバイクに君を乗せた日だよ」
「あっ!」
 ちょうどこの金髪男たちに絡まれた日のことだ。
 あの場所に、一体何の用があるのかと不思議に思っていたが、そうか。わざわざ俺のために武器を買いに行ってくれたんだ。
「――ッ誰が頼んだよ、武器なんか!」
 突き返すが、雲雀が受け取るはずもなく。
「というか、お前、これの料金も加算する気だろう!」
「君のものなんだから当然だ」
「君の……まさか、あのヘルメットも!?」
「そうだよ」
「さらっと頷くな! 勝手に押しつけといて!」
 特注の警棒って一体いくらするんだ?と考えている時点で、俺の負けは決まっていた。

泣けない程の
疾走感を


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