VS野球少年

 問7を解ける大人。
 山本の言葉にツナが真っ先に思い浮かべたのは兄の綱重の顔だった。
「誰か思い当たる人でもいるんですか?」
 表情に出ていたのだろう。目敏くこちらの様子に気付いたハルが尋ねた。うーん、と唸り、そしてボソボソと答える。
「多分、解けるだろうな、と思う人はいるけど……」
「なら早くその人に教えてもらいましょうっ!」
「えっ」
 頭を掻いていた手を止め一瞬固まった後、ツナは勢いよく首を横に振った。
「ダメダメダメダメ! っていうか無理だし! 兄さんが教えてくれるはずがないから!」
「はひ? 兄さん?」
 首を傾げるハルにツナはハッと口を噤むが、口から出てしまった言葉はもう戻らない。
「へー。ツナ、兄弟がいたのか。知らなかったぜ。並中じゃないよな。結構、年の差あるのか?」
「いや、オレたちと同じ中学生だと思う。制服は違ったが」
「獄寺さんは、知ってたんですか!?」
 ずるい、と非難の声をあげ、ハルはすかさずツナに詰め寄った。
「ハル、ツナさんにお兄さんが居ること、全然知りませんでした! どうして今まで教えてくれなかったんですか!?」
「はあっ? 何でお前に教えなきゃならないんだよ!」
「だって、ツナさんと結婚したらその方はハルのお義兄さんになるんですよ? 今から仲良くできた方がいいじゃないですか」
「なっ」
 恥じらいながらもはっきりと告げるハルに、ツナは頬を赤らめる。けれどすぐに咳払いで――ハルの言葉を流し――誤魔化して、口を開き直した。
「兄さんは人嫌いなんだ。仲良く出来るわけがないし、この問題も絶対に教えてくれない」
「人嫌い?」
「そう。男も女も子供もじーさんばーさんも、みんな嫌ってる」
 無論、それは家族だって例外ではない。あのいい加減な父のことはツナ自身好きではないので気持ちは分かる。だが兄は、一緒に住んでいる母や自分とも昔から距離をおいていた。兄に何かをした覚えはない。記憶にない赤ん坊の頃のことまではわからないが、でもきっと、生まれたときから自分は疎まれていたのだろうとツナは思う。
 きつく眉を寄せながら、嫌ってるんだ、と繰り返すツナに皆黙り込む。室内に訪れた沈黙を切り裂いたのは、やはりこの男だった。
「でも、こうやって悩んでても仕方ねーじゃん。駄目元で頼んでみねえ?」
 それまでの重苦しい雰囲気を一掃する明るい声音。ともすれば空気の読めないなどと揶揄されそうだが、彼の浮かべる爽やかな笑みがそうはさせなかった。一番最初に山本に同調したのはハルだった。
「そうですね! ハルもご挨拶したいですし!」
 獄寺も頷く。
「野球馬鹿もたまには良いこと言うじゃねーか。俺も改めてお詫びがしてえしな」
「お詫び? 獄寺さん、ツナさんのお兄さんに何かしたんですか?」
「う、うるせえっ! 聞いてんじゃねーよアホ女!」
「アホとはなんですか!」
 まーまー、と二人を宥めながら、山本が立ち上がる。
「んじゃ、行ってみっか」
「いや、み、みんな、ちょっと待ってよっ、」
 それまで黙っていた、というより、勝手にどんどん進んでいく話についていけなかったツナがようやく止めに入る。
「本当に無理だって! それに兄さん、出掛けたまま、まだ帰ってきてないし……!」
 夏休みだというのに、兄が家にいる時間は少なかった。何をしているのかはわからないがとにかく朝は早く夜は遅い。(自分と違い、補習をしに学校に行っているわけではないだろう。恐らく一人で図書館にでも行っているのだろうとツナは考えている。)
 ツナは時計を見た。そろそろ兄がいつも帰ってくる時間だった。問7がわからなくてもいい。明日、先生に謝って許してもらおう。だから皆にはもう帰ってもらわなければ。兄が帰ってくる前に。
「なんだ、まだ帰ってねーのか」
 山本が振り返る。しかしすでにその手は、部屋の扉を開けていた。
 ――何というタイミングだろう。ツナは思わず頭を抱えた。
 扉を開けたすぐそこに、兄の綱重が立っていたのだ。
 綱重の部屋は二階の一番奥にあるため、ツナの部屋の前を通らなければならない。帰宅し、自室に戻ろうとしていたのだろう。突然開いた扉に、そして室内にいる見慣れぬ三人の姿に、驚いた様子で立ち竦んでいる。
「……お邪魔してます」
 驚いたのは山本たち三人も同様だった。やや呆然とした声が揃って挨拶した。そしてやはり同時に頭を下げる。
 それらを見聞きし、状況を理解した綱重の目からは驚きの色が消え、新たに不機嫌の灯火が宿る。だが、生憎とこの場でそれに気がついたのはツナだけだった。
「はじめまして、三浦ハルです! 将来はツナさんと一緒になるつもりで、」
「ちょっ、ハル! 何言ってんだよ!」
「お兄様ー! 先日は本当に失礼を致しましたァアア!」
「獄寺くんもやめてったら! 別にいいから、謝罪とかさ!」
 綱重に駆け寄ろうとするハルを押さえ、土下座をはじめた獄寺を宥めつつ、兄の顔色を窺ったツナは言葉を失った。
「……っ」
 眼鏡を通していても尚鋭い視線を、真っ正面から受け止めてしまった。心臓が跳ね上がるが、幸い、すぐに視線は外れる。ふいっと顔を背けた綱重は再び自室へと歩を進めたのだ。ツナは安堵の息を吐く。しかし同時に、ツナたちがもう見えていないかのような、そもそもツナたちが居ることに気がつかなかったかのような兄の振る舞いに、胸が痛んだ。哀しみだけでなく、悔しさや、怒りもある。腕を掴んで無理矢理振り向かせたい――いつも考えるだけの行動だが、今日は違った。と言っても、行動を起こしたのはツナではなく。
「や、山本ぉッ!?」
 何してるの。続きは言葉にならなかった。パクパクとツナの唇が開閉する。そして弟と同じくらい、綱重も驚愕していた。大きく見開いた瞳で、ギュッと掴まれた手首と山本の顔を交互に見つめる。その山本は、真っ直ぐに綱重の顔を見つめていた。
「……どっかで会ったことないっすか? どっかっていうか、多分、学校で」
「はひ? 学校って並盛中ですか?」
 僅かだが、綱重の体が揺れた。しかしそれに唯一気付けたであろう山本は、その反応を感じ取る前に腕を振り払われていた。
「あんな所に行くわけがないだろ」
 弟たちを見下すような視線を向け綱重が吐き捨てるように言った。

×

「なに怒らせてんだ、バカが!」
「いや、見たことあるような気したからさ」
 獄寺にドンと胸を叩かれて、頭を掻きながら困ったように笑う山本。ツナは、もう誰もいない廊下に視線をやりながら口を開く。
「……でも、有り得ないよ。兄さんが並中に来る理由ないし」
「じゃあやっぱ俺の勘違いか。悪ぃな、兄貴怒らしちまって」
「ううん。いいんだ。兄さんが機嫌悪いの、いつものことだから」
 ニカッと山本が笑う。今度は困った様子もなく、いつもの、見ていて気持ちがいい笑みだ。つられてツナも微笑む。和やかな雰囲気に同じくつられて、ハルがニコニコしながら言った。
「それで、この問7はどうしましょう?」
 ピシリ、その場が凍りつく。そう。現状は何一つ変わっていない。

 その後、ハルによってビアンキが呼ばれたり、リボーンそっくりな天才数学者が存在することが判明したりと色々あって。
 ――でもあの金髪は、確かに。
 山本が独りごちた言葉は誰の耳にも届かなかった。


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