意外とわかりやすい

 いつものように応接室の扉を開いた俺は、目を丸くした。同じく驚いた様子でこちらを振り向いた長身の体に、慌てて頭を下げる。
「すみません、ノックも無しに」
 この時間、いつも雲雀は見回りに出ていることが多いから、今日も誰も居ないだろうと思ったのだ。雲雀が居るだけならどうでもいいが――軽く眉を顰められるだろうがそんなもの無視すればいい――まさか彼がいるとは思わなかった。これからは毎回ノックをするようにしよう。決心しながら顔を上げると、驚いたままの表情がそこにあって、首を傾げる。
「……草壁さん?」
「いや、今日は来ないだろうと委員長がおっしゃっていたからな。驚いた」
 再び目を丸くする俺に、草壁さんはふっと口許を緩める。とても同い年には見えない老け……いや大人っぽい顔立ちは、黙っていると髪型と相俟って物凄い威圧感を与えてくるが、こんな風に笑みを向けられると逆に何だか凄くほっとする。
 だからだろうか。
「明日からテストなんだろう」
 問いかけというよりは事実をそのまま確認するような言葉に、俺は素直に頷いていた。
 確かに明日から期末試験がはじまる。でもそのことを雲雀に教えた覚えはない。まあどこの学校でも同時期に行われるものだし、少し調べれば解ることだ。今更驚きはしないが……正直、あまりいい気分ではなかった。抗議してもあいつはきっと『君が来なければその分の仕事を誰かがやらなければいけなくなるのだから把握しておくのは当然だ』と居直るのだろうし。想像して、思わず眉間に皺が寄る。すぐに戻したが、草壁さんは見逃してはくれなかった。
「やっておくから帰っていいぞ」
「そんな、」
「いいから。もうそのつもりだったんだ」
 慌てて首を横に振る俺を、草壁さんは持っていたファイルを掲げて往なす。でも俺はもう一度首を横に振りながら手を差し出した。
「それなら、一緒にやりましょう」
 風紀委員の仕事を手伝わされるようになってすぐの頃の俺だったら、これ幸いと帰っていたに違いない。誰かと一緒に作業するだなんて、考えもしなかった筈だ。
「夏休み中も風紀委員の活動はあるんですか?」
 こんな風に、自分から人に話しかけたりすることだって数ヶ月前の俺なら絶対に有り得なかったのに。
「ああ、勿論」
 草壁さんは力強く頷く。
「長期休暇の間、浮かれて馬鹿をやる者も少なくないから、いつもよりも忙しいくらいだ」
 そう話す声からは、煩わしいといった感情は一切伝わってこず、寧ろ、どこか誇らしげにも聞こえた。
 彼のこういう仕事に対する実直さにはいつも感心させられる。他の風紀委員からの信頼が篤いのも納得だ。何故、こんな人があの滅茶苦茶な雲雀の元で働いているのだろうと俺は時折不思議に思う。
「恭さ、いや、委員長も今から張り切っておいでだ。我々も気を引き締めていかなければ……」
 ――とは言え、風紀委員会の仕事内容を思えば、呆れることも多いのだが。しかしそれを表に出すことはできない。
 草壁さんは、心底“雲雀恭弥”という男を崇拝しているのだ。
 俺の体質を知っているのにも関わらず、何を言うでもなく気味悪がることもなく、こうして平然と向かい合ってくれるその理由は、『雲雀が俺を認めたから』。それだけだ。もし俺が、雲雀のことを横暴な奴だと思っていることがバレたら、今は書類を捲っているその手が拳となって飛んでくるだろう。先日、風紀を乱したと制裁を加えられた不良が、負け惜しみに雲雀に対する悪態を吐いた結果は忘れられない。思い出しただけで変な汗がでてくる。汗でずり落ちてきた眼鏡の位置を戻しつつ、動揺が伝わらないよう努めて平然とした声で尋ねた。
「あの、八月の最初の週は、ちょっと来られないかもしれないんですけど大丈夫ですか」
「何か予定があるのか?」
「母が友人と旅行に行くので……その間は家のことを俺がやらないといけなくて」
 家族旅行よ、皆で行くのよと騒いでいた母が、すげない反応しか見せない息子二人の様子に、計画を断念するまでそう時間はかからなかった。がっくりしながら旅行そのものを取りやめにしようとしていた母さんに、友達と行くよう勧めたのは俺だった。それならやっぱり家族で、という言葉を拒否し続けるのは大変で、断る度に悲しそうに顔を歪める母を見るのはいい気分ではなかったが、仕方がない。だってそうだろう?仲の良くない息子たちに気を遣う旅行なんて、面白いわけがない。友達と行った方が母さんも楽しめるはずだ。
 俺たちのことは気にせずに楽しんできてよと、三泊四日の間、俺がちゃんと家のことをやるからと言えば、ようやく母さんは友達と行くことを決めてくれた。
「委員長に前もって伝えておけば平気だろう」
 草壁さんの答えにほっと息を吐く。
 放っておけばコンビニ弁当やカップ麺ばかり食べるだろう綱吉に加え、今、家には赤ん坊までいるのだから、俺がしっかりしないといけない。またそれだけでなく、旅行から帰ってきた時、綺麗に片付いた部屋ときちんと用意された食事を見れば、母さんがこれからも旅行に行く気になってくれるのではと思うのだ。いつも気苦労をかけていることを思えばささやかすぎるが、母さんにとって良い息抜きになればいい。
「じゃあ、雲雀が来たら伝えます」
 そろそろ見回りを終えて戻ってくるはず、と、壁にかけられた時計を振り仰いだそのとき。
「何をだい?」
 頬についた赤いものを拭いながら、ちょうど雲雀が部屋に入ってきた。
「――草壁。南の工場跡地に草食動物を五匹転がしておいたから、片付けといて」
「はいっ」
 慌てて立ち上がった草壁さんは、はじめの五分の一程になった書類の束を申し訳なさそうな顔で俺に手渡した。
「悪いな。途中で」
「いえ、十分助かりました」
 律儀な人だ、と大きな背中を見送る。
「――……それで、何を伝えるって?」
 暫くして、差し出された紅茶を受け取りながら、ああ実は、と説明をはじめた。
「君、家事出来るの」
 話を聞き終わった雲雀がまず口にした言葉はそれだった。肩を竦め、頷く。
「一通りな。食事は、簡単なものぐらいしか無理だけど」
「ふうん。どんなものなら出来るの」
 あまり興味の無さそうな声音で問われ、苦笑しつつ、適当に思い付いたものを上げる。
「カレーとかハンバーグとか」
「ハンバーグ?」
 ぴくっと形の良い眉が僅かに上がった。
「…………好きなのか」
「何が」
 だからハンバーグ、という言葉は喉の途中に留まった。ギロリとこちらを睨みつけてくる黒い瞳から逃れるように、俺は慌ててカップに口をつけた。


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