VS家庭教師

「ちゃおっス」
 目の前には、パジャマ姿の赤ん坊。
 予想もしない光景に、玄関の扉を開いた体勢のままで俺は固まった。
「――母さん?」
 数秒後、考えても答えを弾き出すのは難しいと判断し、家の中に呼びかける。
「お前が綱重だな」
 子供特有の高い声には似つかわしくない口調で赤ん坊が話しかけてくる。無視して靴を脱いだ。混乱していないわけではないが、そういう感情を切り離してとにかく行動するのが一番だと思った。雲雀恭弥という男と出会ってからまだ一ヶ月ほどだが俺もかなり図太くなったもんだ。図太くなったというか、見てみぬ振りをするのが上手くなったというか。
「母さん、いないの?」
 風呂にでも入っているんだろうか。
「おい、無視すんな」
 僅かに低くなった声が言ったかと思えば、次の瞬間、顔の横を小さな影が通りすぎていった。いや、正確にはそこは、俺の頭があった場所、だ。避けなければきっと後頭部に当たっていただろう小さな足が、よろけもせず床に着地する。
 赤ん坊とは思えない動きを目の当たりにして絶句する俺を、赤ん坊の感情の読み取れない大きな瞳が見上げた。
「お帰りなさい、遅かったのね」
 洗い物でもしていたのか、エプロンで手を拭きながら母さんが廊下に顔を出した。
「ご飯温めておくから先にお風呂入っちゃいなさい」
「母さん」
「ん?」
 俺は黙って足元の赤ん坊に視線を送る。すると、そうそう、と母さんは微笑んだ。
「今日から住み込みで綱吉の家庭教師をしてくれる、リボーンくんよ」
「……母さん、ごめん」
 何を言ってるのかよくわからないんだけど。

×

 風呂から出てリビングに行くと、まるで俺を待ち構えるかのように赤ん坊が席についていた。
「……子供は寝る時間じゃないのか?」
「安心しろ。ツナなら部屋でぐっすりだ」
 いや、ツナじゃなくてお前が……。思ったが、相手にするのも面倒で黙ったまま席につく。ちょうど赤ん坊と向き合う形になるが、だからといっていつも座っている場所とは別のところに座るというのはあまりに馬鹿らしく思えた。
「母さんもお風呂に入ってくるわね」
 遅い晩飯をテーブルに並べ終わると、母さんはそう言って浴室に向かった。
 いただきます、手を合わせてから箸を取る。そして食事を始めた俺を赤ん坊はただじっと見つめていた。作り物みたいな、底の見えない真っ黒な瞳が少し気味が悪い。あまり気にしないようにしながらひたすら飯を口に運ぶ。半分ほど食べ終わった辺りで、赤ん坊が動いた。
「実はオレは、お前の弟を立派なマフィアのボスにするためにイタリアからやってきたんだ」
 ゴフッと口の中のものを吹き出しかける。口元を手で押さえながら、それまであまり見ないようにしていた赤ん坊へと視線を向ける。
 俺はようやく察しがついた。さっきの、綱吉の家庭教師だとかなんだとかまったく要領を得ない母さんの説明は、この子の“ごっこ遊び”に付き合っていた所為だったのか、と。恐らく事実なのは今日からうちで暮らすことになったという点だけだろう。
 俺はまじまじと目の前の彼を観察する。口調は大人びているが、小さな体の割りに大きな頭。首からはおしゃぶりを下げているし、その姿はどこからどう見ても赤ん坊だ。こんな小さな子供を他人の家に預けるなんて一体親は何を考えてるんだろう。大方、父さん関係の付き合いの人間に違いない。類は友を呼ぶ、というやつだ。
「ちなみにお前たちのひいひいひいじいさんがボンゴレファミリー初代ボスだ」
 ボンゴレ。パスタの名前か。話の滅茶苦茶具合に、もしかしたらこの“ごっこ遊び”は父さん発案かもしれないと考える。
「……信じてねえな」
 そうなるとやはりこの子が暫くうちに住むというのは、父さんが勝手に決めたことなんだろう。もしかしたら母さんも今日初めて聞いたのかもしれない。父さんは、周りが吃驚するのを楽しむ、そういう人間だから。
 父さんの暢気な笑い顔を思い出して眉を顰めていると、それをどう思ったのか赤ん坊が、まあいい、と小さく息を吐いた。この子も色々と苦労しているんだろう。だからと言って、面倒を見てやる気はないけれど。
「ツナはお前が継ぐべきだと言っていた。お前の方が年上だし、自分よりずっと頭が良くて運動神経も抜群だからってな」
 あいつはまた余計なことを喋って。俺までごっこ遊びに付き合わせる……どころか、世話を押しつける気みたいだな。
「でももう決まっている。10代目はツナだ」
 10代目。偶然かもしれないが、初代がひいひいひいじいさんだというなら不思議じゃない数字だ。細かい設定がちゃんとしてるということはやはり父さんがこの子に色々と吹き込んだんだろう。まったく、何やっているんだか。呆れつつ、味噌汁を飲み干した。
「ごちそうさまでした」
 食器をシンクに運び、スポンジを手に取る。
 ここまで一方的に話をしていた赤ん坊は、俺が背を向けても構わずに続けた。
「お前にはマフィアのことを教える必要はないとすら言われていたんだが」
 あ、一応俺と遊ぶのは無理だって伝えてあったのか。それもそうだ。綱吉とも殆ど遊んでやったことはないからな。
「ただ、聞いていた話と随分違うようだからな」
 何を聞いて、どう違ったのか。泡を流しながら、何だか不穏な方向に流れていっている気がする赤ん坊の話に眉を寄せる。
「今はお前のことも鍛えてみたいと連絡したいくらいだ」
 ――俺のどこが気に入ったんだろう。子供受けはしないと思っていたんだが。
 最後に茶碗を洗い終わり、蛇口を捻る。そして首だけで振り返った。
「……」
 この子に無視は効果がないようだ。だから、断る、とはっきり言おうとした。でも、ポツンと椅子に腰かけている姿を見たら、妙な同情心がわいてしまい。
「…………悪いけど、俺にはもう“先生”がいるんだ」
 考えた結果、ごっこ遊びに準じる形で答える。それでも断ったことには変わりないわけで、俺はもしかしたらこの子が泣き出すんじゃないかと思っていた。しかし――。
「みたいだな」
 赤ん坊はそう言って、ニッと笑みを浮かべてみせたのだった。


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