風紀委員 後

 困惑の表情を次第に唖然としたものへと変化させながら、綱重は手の中のものと雲雀の顔を交互に見つめる。何度目かに書類へ視線を落としたとき、はは、と乾いた笑いが自然に零れていた。
「…………体って、そういう、こと……」
 つまり事務仕事を手伝え、と。
「他に何があるの」
 不思議そうに首を傾げて言われ、顔に熱が集まっていく。
 穴があったら入りたいとはこのことか。今すぐこの場から逃げ出したかったが、体が上手く動かない。せめて、と綱重はソファーの上で身を縮めた。果たしてこれほどの羞恥があるだろうか?恥ずかしさで人が死ねるなら、きっともう心臓は止まっていると思った。渡された書類の束に顔を埋めるようにして、更にきつく目を瞑る。もう二度と雲雀の顔を見られない。――そんな思いも、雲雀の手によって簡単に打ち砕かれた。
 流れるような動きで雲雀の指が綱重の顎を掴み、顔を上げさせる。
「まあ、この顔なら自意識過剰になるのも解らなくもないね」
「〜〜〜っ!」
 手を叩き落とし、綱重は勢いよく立ち上がった。
「あんた、やっぱり解っててやってたのか!」
「何のこと?」
 羞恥ではなく怒りで真っ赤に染まった顔を、雲雀は可笑しそうに目を細めながら眺めた。
「ふざけるな!」
 繰り出された拳に炎が灯されているのを見て、雲雀は益々笑みを深くした。完全に綱重の動きを見切っているようで二度三度と向かってくる攻撃を軽々と避けてみせ、それどころか腕を掴んでそのまま後ろ手に捻りあげてしまった。
「は、なせ!」
「拳を振るうときは、もっと脇を締めなよ」
 また耳元で囁かれ、体が震える。いちいちそんな風にする必要があるのか。軋む腕の痛みを我慢して、顔だけで振り返る。きっとまだ意地の悪い笑みを浮かべているのだろう――そう思い、キッと睨みあげるが、予想とは違いそこに笑みはなかった。
「君は僕の学校を傷つけた」
 間近から鋭い眼光を受け、思わず息を飲む。
「本当なら咬み殺すところだ。でも」
「あ、う……!」
 ギリッと強く腕が捻られる。与えられた痛みに呼応するかのように掌から一層強い炎が沸き上がった。雲雀は、黒曜石のような瞳でその真っ白な炎を見つめ、声を潜めて綱重に囁きかける。まるで甘い睦言を口にしているかのように、そっと。
「僕は“これ”に興味がある」
「……っ、はなせ、よ!」
 力の限り、後ろへと体当たりをした。腕は解放されたものの反動で綱重は床に倒れ込んでしまう。
「くそ……!」
 倒れ込んだ痛みはあまり感じなかった。捻られていた腕の痛みの方が酷かったからだ。痛みというよりも痺れているような感覚。床に蹲り、腕を庇うように押さえる綱重を雲雀は冷たく見下ろした。
「弱いね」
 煩い、と怒鳴りたかった。けれどそれよりも早く雲雀が思いがけない言葉を続けた。
「僕が君を鍛えてあげるよ」
 今度は何を言い出すのかと眉を顰めるより先に、綱重の唇は動いた。
「結構だっ」
「ふうん。じゃあ襲われるたびに相手に“秘密”をばらすつもりなんだね」
 この平和な国で、普通に暮らしていて、そうそう襲われてたまるか。反論は口に出さずとも顔に出ていたらしい。また質の悪い笑みを浮かべながら、雲雀が顎を掴んだ。
「この顔じゃ、寄ってくる人間も多いはずだ」
 パシッと手を払い除ければ、雲雀の顔から再び笑みが消える。怒ったのかと身構えるがそうではなかったようで、
「……馬鹿な草食動物たちは、僕に敵わないと理解すると僕ではなく別のところを狙い始めることがある。そんなことをしても僕は痛くも痒くもないって理解できないどうしようもない連中は多い」
 そう真剣な眼差しで言われ、すぐに察する。
 つまり、雲雀の側にいるということはそれだけ危険も多くなるということだ。先程雲雀は弱い人間は要らないと言った。しかし本当は、弱い人間は風紀委員ではいられない、といった方が正しいのかもしれない。
 無意識に、捻り上げられた腕を擦っていた。先日つけられた傷に引っ掛かって痛みが走る。あんな風に気に入らない人間には誰だろうと制裁を加えているのだとしたら、恨みはたくさん買っているはずだ。となると、いくら事務処理を手伝うだけとはいえ自分も狙われる可能性が――そこまで考えて、はたと気がつく。そもそも俺は雲雀の元で働く気なんかないし、その理由もない、と。危うく流されるところだった。大体自分はこの学校の生徒でもなんでもないのに、風紀委員の仕事を手伝うなんて変だ。
「悪いが俺は、」
「代金分、働いてもらう。これは決定事項だよ」
「……勝手に決めるな」
「これ以上僕に譲歩させる気?」
 呆れたような声音に眉を顰める。まるでこちらが酷い我が侭を言っているとでも言いたそうだ。
「何が譲歩だ。一体俺に何の得がある?」
「力をコントロール出来るようになるのは君にとって良いことじゃないの」
「……コントロール?」
「感情は関係なく、炎を出したり、抑え込んだりするのさ」
 そんなこと考えたこともなかった。
 これまで綱重が特殊体質を隠すため、制御しようとしていたのは自分ではなく周りの状況だった。周囲の人間を遠ざけ、感情を乱されることのないようにしてきた。それしか解決法はないと思っていた。炎を抑えることなど出来ない、と。
 でも、もし、そんなことが出来たら?
「平時に勝手に噴き出すわけじゃないんだろう。間違いなく君の“力”だ。君自身が自由に扱えないはずがない」
 この男の言葉には妙な説得力がある。
 ――でも。
(どうして、そこまで)
 窺う視線に気づいた雲雀は、鮮やかに笑ってみせた。

「勿論、授業料は安くないよ。その分も働いてもらうから」
「……」

衝撃的な
スタートライン


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