雲雀恭弥

「ん……」
 ぼやけた視界ながら、それが見慣れた天井ではないことに綱重はすぐに気がついた。ソファーに横たえられていた体を慌てて起き上がらせて、周囲を見渡す。
 窓から射し込む夕陽によって赤く染まった室内は、天井と同じく見知らぬ場所だった。
「ここ、は?」
 呆然と呟き、ピントの合わない目を細めたその瞬間、背後で扉が開いた。
「あ、あんたは……っ」
 振り返ってすぐに声を上げるが、それ以上は言葉にならなかった。小さく呻き、その場に蹲ってしまう。ズキリと頭に痛みが走ったのだ。押さえれば、そこにガーゼが当てられていることに気がつく。見れば、両腕にも包帯が巻かれていた。
(……そう、だ……俺、綱吉に弁当を届けに来て……、それで、急に襲われて)
 ――意識を失う前のことが蘇ってくる。
 綱重が炎を灯しても、少年は怯むことなく凶器を振り上げた。あっという間に強烈な一撃を頭に食らい、そこからはまったく記憶がない。
 今は熱が引いている手をギュッと握り、綱重は顔をあげた。
「ッ、あんた、」
「雲雀恭弥」
「え」
「僕の名前は『あんた』じゃない。雲雀恭弥だ」
 心地よい響きの声と連動するように、サラリと黒髪が揺れた。
「覚えた?」
 軽く首を傾げた少年の、白い首筋が露になる。自然とそこへ視線が引き寄せられてしまいそうになるのを堪えながら、綱重は喉を震わせた。
「ひばり……きょうや……?」
「何だい、沢田綱重」
「っ、な、なんで、俺の名前……っ!?」
 バサリ、と雲雀が手にしていた書類を放り投げた。目の前に落ちてきたそれを反射的に掴んだ綱重は、その内容に目を丸くする。
 まず、端に貼られた写真に目がいった。見慣れた制服を着用し、写るその顔は間違いなく自分だ。恐らく生徒手帳に貼られているもの――ついこの間撮影したそれだ――と同じだろう。そして学籍番号からはじまり、綱重の名前、生年月日、もちろん住所や保護者である父の名前も記されている。
「これって……」
 一枚目を捲り、二枚目に目を通しかけたところで横から奪われる。
「君が通っていると言った学校に連絡をとらせてね。送ってもらったんだ」
 事も無げに言い放つ雲雀に、綱重は唖然とする。更に雲雀はこちらが驚きのあまり動けなくなっていても構うことなく、これは君のものだろう、と淡々とした調子で眼鏡を差し出してきた。受け取ったそれを掛けながら綱重は、今のが見間違いでなければ、と考える。
 ほんの一瞬だったが、二枚目には教師が記入したと思われる自分の評定が書かれていたように見えた。もしやあれは、指導要録と呼ばれるものではないだろうか。
 ……うちの学校は個人情報をなんだと思っているんだ。
 いや、本来なら外部の人間が簡単に手にできるものじゃないはず。特に他校生になんか、渡すはずがない。しかし実際にそれはここにあって――。ズキズキと痛む頭で考えれば、凶器を突きつけられた担任が怯えながら書類を差し出す姿が容易に浮かんできて頬が引き攣る。と、意識を失う前、派手に血を流していた場所が疼いた。絆創膏の、下で。
 そっと頬を押さえながら綱重は雲雀を見上げた。
「その……この手当ては、あんたが?」
 尋ねれば、不愉快そうに黒い瞳が細められた。
「……雲雀、が、してくれたのか?」
「指示したのは僕だ」
 言い直したのは正解だったようだ。幾ばくか視線を柔らかくして、雲雀は答えてくれた。
 鋭さが隠れると、彼が本当に整った顔立ちをしていることがよく分かった。綱重はこれまで人の顔の美醜を気にしたことはなかったが、その端麗な顔について言及しないわけにはいかないほど、雲雀は美しい男だった。普段、周りで騒ぎ立てる女子を鬱陶しく思っていた綱重だが、なるほど、目の前にあるなら綺麗なものの方がいいと、彼女たちの気持ちが少しだけわかった気がする。
 心持ち表情を和らげて、綱重は雲雀の顔をじっと見つめた。
「ありがとう」
 すると今度は驚いた様子で黒が見開かれて、綱重はハッとする。どうして自分が怪我をしたのか、それを思い出したのだ。そうだ、この男に襲われたんだ。礼など言う必要はないじゃないか。
 何だか自分が酷く間抜けな人間に思えてきて、綱重は俯いた。今すぐ撤回するべきか、いやそれはもっと馬鹿馬鹿しいような、大体手当てをしてもらったのは事実なのだから礼を言うのは別におかしくもない、かもしれない。
 あれこれと散らばる思考がまとまるよりも先に、雲雀が口を開いた。
「君には、色々と聞きたいことがある」
 再び鋭さを増した相貌を、綱重はほんの少しだけ、残念に思った。


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