05

 今の少年の状態を表すならば哀れという言葉に尽きるだろう。
「僕、お金、持ってません……ッ」
 そう訴える声はあまりに弱々しかった。噴き出した汗でずり落ちてきている眼鏡を気にする余裕もないらしい。眼鏡の奥の瞳には涙が浮かび、大きめのリュックサックを抱える手はさっきから震えっぱなしだ。そして、立っているのが不思議なくらい膝が笑っている両足。きっと背後の大木がなければ地面にへたりこんでいるに違いなかった。
 そんな少年を黙って見下ろす綱重の顔に、感情というものは一切浮かんでいない。人形のような無表情が少年の恐怖を余計に掻き立てているようだった。更に、助けを探しているのだろう、視線をあちらこちら泳がせている少年にとって不幸なことに、ここ並盛神社には現在少年と綱重しか居なかったので、綱重は少年の頭の天辺から足の爪先までじっくりと観察することができた。
「う……あっ、あの、二千円だけなら……ひぃっ!」
 ポケットに手を伸ばす少年の目前に剣が突きつけられる。
「す、すみません! ごめんなさい! 本当に、僕、二千円しか持ってなくて、あのっ」
「金が欲しいわけじゃない」
「っそ、それじゃあ、一体なんで……」
「それはこちらの方が聞きたい」
 体を屈め、綱重は少年と目線を合わせた。
 少年の怯えや戸惑いは本物だと思う。金を出そうとしたのははぐらかしているわけじゃなく、本当に喝上げだと思い込んでいる様子だ。しかし綱重は、己の直感が間違っているとは思わなかった。――確信の理由が、目の前の少年を見て感じた“何か”だけだったならば、もしかしたらそう思ったかもしれないが。
「正直に話してもらいたい。君が何を知っていて、何をしたのか、そしてこれから何をしようとしているのか」
「なんのこと、ッ!」
 剣が下ろされる。代わりに綱重が突きつけたのは一通の封筒だった。何の変哲もないそれを前にした少年は、刃を突きつけられたときと同じく、いやそれ以上に青ざめた。
 その反応が全てだった。
 神社に着いて、そこに探していた少年の姿を見つけたとき、すでに確信はしていた。そして今、確信は事実に変わったのだ。
 剣の柄を握り直す。目の前にいるのは怯える可哀想な少年ではなく敵だ。手加減は必要ない。
「死にたくなければ答えろ。一体、笹川了平に何の用だ」
 尋ねる声の厳しさに、少年の歯が鳴らすガチガチという音が重なった。


 綱重がビアンキと別れた数分後に話は遡る。
「おお、沢田の兄貴ではないか!」
 突然の呼び掛けに眉を寄せながらも綱重は足を止めた。
「お前は確か、晴れの……」
 名前は何と言っただろうか。記憶の糸をたぐりよせる前に、笹川了平だ!と距離を間違えたとしか思えない大きな声が名乗る。了平は綱重に駆け寄ると声量を落とすことなく
「もしや沢田たちのことで何かわかったのか!?」
 と続けた。綱重が首を横に振るとようやく声を抑え――意気消沈した様子で、そうか、と呟く。
「ここで何をしている?」
 制服を身に纏いながらも、了平は鞄一つ持っていなかった。指にはめられた晴れのボンゴレリングだけが、スポーツマンといった様相の彼にそぐわぬ煌めきを放っている。
「うむ。京子や沢田たちを探して日本全国を回ってみたんだが……」
 首を横に振り、了平は成果がなかったことを示した。話はそこで終わるのかと思いきや、彼は制服のポケットからある物を取り出して続けた。
「それで、もしかしたらもう帰ってきているのではと戻ってみたところ、家のポストにこれが」
 白い封筒だった。渡されたそれを綱重は用心深く眺めた。笹川了平様、という宛名は手書きではなく印刷されたものだ。差出人の名前は表にも裏にも見当たらない。
 ちらりと了平に視線を向け、制止の言葉がないことを確認してから中身を取り出す。
 一枚の紙に、短い文章が印字されていた。場所は並盛神社。今日の日付に、今からちょうど十五分後にあたる時刻と、一人で来いという言葉。実に簡潔だ。
「大方、ただの果たし状だろうが、差出人が何か知っている可能性もあると思ってな」
「――この手紙のことは忘れろ」
「何?」
「大人しく家に帰れ」
「……なっ! ま、待たんか!」
 すぐには何を言われたのか理解できなかったようで、了平が声を荒らげるまで数秒の間があった。その隙に駆け出していた綱重を了平は慌てて追いかける。そして何とか捕まえたときには、綱重の手に封筒はなかった。すでにどこかに仕舞い込んだようだ。
「他人のものを勝手に持っていくなど極限に無礼だぞ!」
「手を離せ」
 睨みあう二人。
 綱重は平静を装っていたが、振り払おうにもびくともしない了平の力に焦りを感じていた。それも、それでもまだ手加減をしていたらしい。グ、と骨が軋むほど力を込められて、綱重の顔が歪む。了平が確信に満ちた声で言った。
「やはりその手紙は沢田たちの失踪に何か関係しているのだな」
 違う、とでも言おうとしたのだろうか。綱重の唇が薄く開かれる。だがそれは途中で、単なる驚きを示すものに変わった。あんぐりと口を開き、同時に、琥珀色の瞳が大きく見開かれる。視線は目の前の了平を通り越し、その遥か向こうに向けられている。明らかに綱重は了平の背後に何かを見つけ、驚いていた。
 了平が不審に思い尋ねる前に、桜色の唇が、驚き過ぎて感情を乗せるのを忘れてしまったといった様子の声で、その名を紡いだ。
「……ツっ君?」
「沢田!?」
 思わず綱重から手を離し、背後を振り返った了平は、次の瞬間ガクガクと体を痙攣させ、その場に崩れ落ちた。
「期待させて悪いな」
 もう聞こえていないだろうが。
 呟きながら、息があること、心臓が動いていることを確かめる。予想以上の威力に少しだけ驚いたのだ。俗にテイザーと呼ばれる銃型のスタンガンを使うのは初めてだった。一人しか倒せない――しかも気絶させるだけだ――これがどう役に立つのかわからなかったが、なるほど、こういうときに使えばいいのかと一人頷く。
 本当なら先程の公園まで引きずっていきあの植え込みに隠した方が良いのだろうが、きっと途中で誰かに見られてしまうだろう。何より約束の時間まであと少しだ。並盛神社には、幼い頃、夏祭りや正月に何度か行った記憶がある。だがいつも父か母、もしくは二人に連れられてだった。道順なんかちゃんと覚えていない。つまり迷うかもしれないのだ。
 色々と言い訳を並べ立ててみるが、結局は面倒なだけだ。近くの家と家の僅かな隙間に意識のない了平を押し込めた綱重は、並盛神社へと足を向けた。代わりに調べてきてやるから許せよ、と勝手な言葉を溢して。


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