02

「――消えた?」
 真剣な眼をした父親が頷くのを見ても尚、綱重は訝しむ表情を改めようとはしなかった。


 毎朝検診に来る医師と、日に三度決まった時間に食事を運んでくるメイドを除いて、この部屋を誰かが訪れることはない。だから扉の向こうに父の気配を感じたとき、ようやく己の処遇が決まったのだと、綱重の胸には緊張が走った。あの争奪戦で綱重が関わったのはごく僅かな部分だが、次期ドン・ボンゴレとその守護者に刃を向けたのは紛れもない事実である。厳しい処罰が下されるのを覚悟でノックに応えた綱重は、しかし、父の顔を見て怪訝な表情を浮かべた。
 厳しい処罰を言い渡しに来たわけでも、お咎めなしだと伝えにきたわけでもなく、また戦いで負った傷の見舞いというわけでもなさそうだ。――そう感じ取った綱重の直感は相変わらず正しかった。
 父・家光は、ベッドの端に腰掛ける綱重の前に陣取ると、感情を押し殺した声で、淡々と、弟の綱吉とその周辺の人間が次々に姿を消していることを告げた。中には雲と晴を除いた守護者も含まれ、更にはあの最強のアルコバレーノ、リボーンまでもが行方不明だというのだから俄には信じがたいその話。
「それも、犯人の目星もついていない? はじめにアルコバレーノが消えて、二週間が経つのに?」
 口から漏れたのは明らかな嘲笑。綱重自身、如何と思う響きのそれを、家光は眉ひとつ動かさず甘受する。現状の切迫具合を証明するかのような反応に綱重はそっと眉を寄せた。
 もし彼らが誘拐されたのならば、ボンゴレ側に何の要求もない時点で、最悪の事態が想定される。しかしザンザスを破ったという弟やあのアルコバレーノが簡単に殺られるとは思えない。とはいえ、自主的に消えたということも考えにくい。一般人の女の子や小さな子供を連れて、痕跡を一切残さずに消えるのは難しいし、そうする理由もないだろう。
 考えを巡らせる綱重に、家光は一枚の紙を差し出す。
 日本行きの航空券だった。綱重は驚いて、思わず父の顔をまじまじと見つめた。
「余計なことは考えるな。何もするな。お前にはただ、家でゆっくりと過ごしてもらいたい」
 変わらず真剣な表情で言いながら、家光は綱重の手にチケットを握らせる。
「……偶然、何かに気付いてしまったら?」
 犯行現場だ。その可能性は十分あるだろう。
「俺に電話するか、近くの人間に知らせろ」
「わかった」
 頷いて、ベッドから立ち上がる。言いたいことがないわけではなかったが、言ってもどうせ何も変わらないのだから無駄な時間は使いたくない。着替えなど必要なものはすでに用意され荷造りもされているのだろう。部屋の外へと歩を進める綱重の腕を家光が掴む。まだ何かあるのかとうんざりした表情で振り返った綱重は、次の瞬間、顔を強張らせた。
「今の自分の立場を解っているな?」
 即座に、横に振られかけた綱重の顔を家光の手が挟み込む。己と同じ、色素の薄い瞳にじっと覗き込まれ、綱重は唇を噛み締める。家光の言う通り、解っていた。だから、家光が話し始めた途端、綱重は大きく頭を振って早口で捲し立てたのだ。
「もしツナたちが帰らなければ――」
「ボンゴレリングごと消えたんだろう!? それならもうボンゴレの血統なんか関係な……っ、」
 それ以上声を続かせることはできなかった。まるで喉を直接押さえられたかのように、声が出なくなった。
「いいか、この部屋を出た瞬間から立場を弁えた行動で頼むぞ。もちろん言葉にも充分気をつけてな」
 小さな子供に言い聞かせるような優しい声音で言いながらも、眼には、綱重を黙らせたきつい光が宿ったままだ。綱重は俯いた。そうしても父の視線から逃れられるわけではないのだが、そうしなければ声は出ないままだったろう。
「……、……ボンゴレの上層部は、ザンザスや、僕を、疑ってる……?」
「数人だが、そう口にする人間もいる」
 綱重は勢いよく顔をあげた。じわりと涙が浮かんだ瞳を取り繕う余裕すらなく、震える声で訴えた。
「一歩もここから出てないし、誰かと連絡も取っていない。それでどうやって日本にいる連中を拐うっていうんだ? トイレや、風呂の中まで、常にカメラで見張られているのに……っ」
「以前から保険として立ててあった計画ならば不可能じゃないだろう」
 反射的に手が出ていた。
 鈍い音が響いたあと、綱重は驚いて、硬直した。綱重自身、自分が何をしたのかわからなかったのだ。殴ろうとして殴ったわけではない。父の顔が左に大きく揺れるのを見て、拳が傷むのを感じて、それからようやく、自分が何をしたのかを認識したくらいだ。
「――俺も9代目もお前たちじゃないと解っているさ」
「……ッ、だったら!」
「けれど、お前たちは疑われても仕方のないことをした」
 返す言葉が見つからない綱重を家光は優しく抱き寄せた。
「綱重。日本に行って、母さんを支えてやってくれ」
 体から力が抜ける。
 そんな風に言われたら頷くしかない。
 あまりに卑怯だと思う。大人しく殴られたのも全て計算だったのではと思えるほどだ。だって、包み込んでくる温もりは父親然としているくせに、母のことを持ち出すしたたかさはマフィアそのものなのだ。――許せないとすら、思う。それでも綱重は、父の肩に額を押し付けて瞼を下ろした。そうして内に押し込めた苛立ちは、父へというよりも、父やその周囲の思惑を全て解っていて尚頷くしかない無力な自分への憤りだった。


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