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 ルッスーリアの携帯が鳴ったのは、食事を済ませた綱重が風邪薬を飲もうとしていたときのことだった。カプセルを喉奥に流し込みながら、何の気なしに、電話に受け応える声を耳に入れる。聞かないようにしなかったのは、スクアーロからであることを震える携帯の液晶を見ながらルッスーリアが言ったことと、彼が部屋を移動することなくその場で電話に出たからである。
「――大丈夫、思ったよりもずっと元気だったわ」
 綱重を見ながら、ルッスーリアが電話の向こうに告げる。どうやらスクアーロにも心配をかけてしまったようだと綱重は軽く眉を寄せた。いや、今現在、ヴァリアーはボスと幹部の一人が欠けているわけだから“迷惑”の方が強いか。ルッスーリアがすぐにザンザスへと携帯を手渡したことからも、メインの用件は仕事に関することなのだろうと推測できた。更に、面倒臭いとはっきりと書かれた顔で、それでもきちんと電話を受け取ったザンザスの姿がそれを肯定する。
 ザンザスはちらりと綱重を見てから、部屋を出た。扉の向こうから微かに聞こえてくる、電話に応える声を耳に入れないようにして、綱重はルッスーリアを振り仰いだ。
「今日は悪かったな」
「んー、そうねえ、謝罪じゃなくてお礼の言葉が聞きたいかしら」
 人差し指を頬に当て、斜め上を見るルッスーリア。どこか芝居がかった振る舞いに綱重は小さく笑いを零した。
「……ありがとう。それで、もう二人とも戻らなきゃだめだろ?」
 ザンザスとは結局、何も話すことができなかった。どうしてなのかまったく思い当たらなかったが、今日のザンザスは酷く機嫌が悪い。そのくせまるで監視するかのようにこちらを見つめていて、綱重は食事中ずっと居心地の悪い思いをしていた。視線を気にしないようにするあまり、出された粥を完食してしまったほどだ。
 会うのは二週間ぶりだというのに。
 落胆と溜め息を心の内に押し込めて、努めて明るい声を出す。
「椅子、片付けておいてくれ」
 すると、何を言い出すの、と、信じられないといった様子でルッスーリアが顔を顰める。
「言われなくたって私は帰るつもりだけど、ボスはここに泊まるんでしょ? 私、そう思ってちゃんとボスの夕食も用意したのよ。冷蔵庫にしまってあるからレンジで温めてあげてね。出来立てと比べたら味はかなり落ちるけど、綱重が温めたものならきっと食べてくれるわ」
 畳み掛けるように言われ、綱重は慌てる。でも、と言い募った言葉はすぐに遮られた。
「ボスもそのつもりの筈よ。帰れって言ったってここに残るわ。ボスったら、今朝がた、CEDEFの……何ていったかしら? 結構いい体してる、ターメリック? って人から、依頼受けついでに綱重が風邪で寝込んでるって聞いた途端、仕事全部放りだして出ていっちゃったんだから」
「え?」
「ああ、心配しないで頂戴。今、大きな仕事はないからボスがお休みしても問題ないのよ。スクアーロの電話も本当に大したことじゃないし。ほら、形だけでも、ボスの承認がなきゃ動けないことってあるじゃない? それよ、それ」
 確かに、仕事を放り出してきたという話も気になった。でもそれよりも綱重が引っ掛かったのは。
「朝から、ザンザス、ここに……?」
「そうよ。あら、気付かないぐらいぐっすり寝てたの?」
 呆然とした様子の綱重を見、ルッスーリアが首を傾げる。お前が来るまで寝ていたと綱重が言えば、ポンと手を打ち。
「昼過ぎ、私に電話してきたボスが妙に焦ってた理由が解ったわ」
「焦ってた?」
 ザンザスが?
 目を丸くする綱重にルッスーリアは大きく頷いてみせる。
「来たはいいけど、貴方が高熱だして寝続けてて、どうしたら良いか解らなかったんでしょうね。暫く傍で見守って、それで起きる様子がないからきっと心配になったんだわ」
 そこまで言って、ルッスーリアはプッと吹き出した。その後は笑いを堪えているのだろう、頬を不自然にひくひくと震わせながら続けた。
「“起こした方がいいのか”“何か食わせるもの……冷蔵庫に何もねえがどこで何を買やあいい?”なんて、ボスってば可愛いったらなイアバッ!」
 このマンションはボンゴレが所有する物件だ。最上階にあたるフロアは、綱重が使っている部屋以外は空き部屋で、一つ下のフロアも全て空き部屋だという。だから今の衝撃音は、誰の迷惑にもならなかったはずだ。壁にめり込んでいる極彩色のモヒカンを見ながら、綱重はぼんやりとそんなことを考えた。
「仕事だ。カス鮫はもう向かわせた、テメーも早く行け」
 もしかしたら顔にはあの痛々しい傷跡が浮かび上がっているかもしれない。そう思わせるほどの低音でザンザスが唸るように言う。
「……ぼ、ボス……」
「あ?」
 先程ルッスーリアの後頭部を蹴り飛ばしたブーツが苛立たし気に床を打った。びくり、ルッスーリアの肩が揺れる。
「ええと、わ、私、今……何故か大怪我、しちゃったみたいで、死にそうなんだけど……」
 何とか壁から顔を上げたルッスーリアが息も絶え絶えに訴える。床には砕けた壁の欠片やサングラスの破片が転がり、そしてその上には真っ赤な血が滴り落ちた。
 壁の修理と床の張り替えでどれくらい掛かるだろうかと考える綱重の耳に、不穏な音が届く。聞き間違えるはずもない、あるエネルギーが一ヶ所に集束するときの音だ。
「今すぐフィレンツェに向かうか、ここでかっ消されるか選びやがれ」
「ちょっ……!」
 驚きの声を上げたのは綱重だ。ルッスーリアは短く小さな悲鳴を上げるので精一杯なようだった。
 慌ててベッドから起き上がったため、転びそうになる。たたらを踏みつつも綱重はザンザスの腕を掴むことに成功した。しがみつくと言ってもいい。とにかく、炎を宿しかけている彼の手を押さえ込んだのだ。
「僕の家で殺人するなよ!」
「何よ! ここが貴方の家じゃなかったら私は殺されていいとでも!?」
 キーッと甲高い声を上げるルッスーリアは、存外元気であった。


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