何もかもを捧げる覚悟さ

 瞬時に浮上する意識。今までぐったりとシーツに沈み込んでいた体が嘘のように動き、枕元の銃へと手が伸びる。だが警戒心は長くは持たなかった。玄関の方角に顔を向けた次の瞬間に、綱重は驚きの表情で振り返る。外の気配よりももっと近くにある気配に気付いたのだ。
「――いつから居たの?」
 問いかければ、掠れきった聞き苦しい声の所為か、それとも間の抜けたとしか言い様のない内容の所為か。見慣れた紅い瞳が不機嫌を隠しもせずに睨み付けてきた。
 ピンポーン。
 チャイムの音が、言葉なく見つめあっていた二人の視線を引き付ける。
「ルッスーリア?」
 眠りから自分を覚醒させた気配は、彼のものだったのかと綱重はようやく合点がいく。なるほど、通りで“暗殺者”の気配だったわけだ。苦笑しながら起き上がりかけた綱重の頭を大きな手が掴み、そしてベッドへと押し戻した。咄嗟のことに抵抗出来ず、されるがまま枕に頭を落とした綱重は、玄関へと向かうザンザスの広い背中をただ見送ることしか出来なかった。


 派手な色の頭を揺らしルッスーリアが寝室に現れた。彼をここまで連れてきたザンザスは、一言も発しないまま、先程と同じ場所に腰掛けた。ベッドサイドに置かれた椅子だ。本来リビングにあるはずのそれはザンザスがここまで運んできたのだろう。
「聞いたわよ、風邪ですって?」
 答えるより早く、ルッスーリアの手が額に当てられる。
「まだ熱が高いみたいね。薬は飲んだの?」
「昨夜、寝る前に飲んだけど――いま何時なんだ?」
「午後二時よ」
 思わず、カーテンの隙間から太陽の位置を確認する。つまり十何時間も眠っていたのかと驚いていると、ルッスーリアが何か食べられそうかと尋ねてきた。
「……喉は乾いてる」
「はい」
 肩にかけていたバッグからペットボトルを取り出すルッスーリア。保冷用のバッグらしく、よく冷えている。
「ありがとう。用意がいいな」
「それからこれも」
 氷枕に、またどこから出したのかタオルを巻いたものを差し出され、流石に苦笑いを浮かべる。本当に用意がいい。
「それで、お粥を作ろうと思うんだけど食べられるかしら? っていうか食べられないようなら今すぐ病院に連行するけど」
 綱重はばつが悪そうに頭を掻いた。気分は悪くないから食べられそうだけど。もごもごとはっきりしない声で言い、その続きは、更に小さな声で発した。
「この間、唯一の鍋を焦がして、捨てたっきりなんだ。米もない」
 ルッスーリアが笑い出した。ふふふっと、堪えようとしても堪えられないといった様子で笑いを溢しつつ、廊下に出、そして荷物を持ってまた戻ってきた。
「そんなことだろうと思ってお米や調理器具、料理に必要なものは何から何まで持ってきたわ」
 食材や鍋が詰め込まれているのだろう、大きく膨れた鞄を軽々と掲げてみせる。
「お台所借りるわね」
 そう言ってルッスーリアは再度寝室から出ていく。しかしやはりまたもう一度舞い戻り。
「どうせ体温計もないと思って」
 ルッスーリアが投げた小さな箱は綺麗な放物線を描き、綱重の手のなかに収まった。
「……お前のそういう気が利くところ好きだけど、今は少しイラッときた」
「いやーん。綱重を苛つかせるなんて私もとうとう一人前ね」
「何がだよ」
 馬鹿馬鹿しいと笑いながら、綱重はルッスーリアが来てくれたことに感謝していた。今の状態では食事の用意などとてもじゃないが出来なかった(大体、元気なときでさえ鍋を焦がして使い物にならなくしてしまうのだ)。それにこの倦怠感。冷蔵庫に飲み物を取りに行くことすら面倒に思い、脱水症状を起こしたかもしれない。
 昨日の朝から何だか頭がぼーっとすると思っていた。熱があるのだと気付いたのは夜になってからで、同僚たちはみんな酷く心配してくれた。あの容赦のない赤ん坊でさえ、である。情けないと怒鳴られ、誰かに移す前にさっさと家に帰りやがれと吐き捨てられたのだが、それが彼女なりの気遣いであることを綱重は理解していた。その証拠に、どうせ自分の面倒も満足にみられないのだろうからと、バジルに綱重の看病を言いつけたのは彼女だった。バジルは喜んで頷いたし、チームの長である父もそうするようにと言っていたが綱重は断固として拒否した。それはバジルのことが嫌いだとか、彼らに気遣われるのが嫌だとかそういうことではなく、単に他人が側にいると落ち着いて眠れないからという理由だったのだが。
 父たちはそうは思わなかったのかも、という可能性を、昨日よりは多少動いている頭で考える。
 もしかしたら父たちが心配してヴァリアーに連絡をいれたのかもしれない。自分たちでは駄目だが、ザンザスたちの看病なら受け入れるだろう……そんな風に父たちが考えているのだとしたら。――違う、と叫び出したい気分だった。確かに初めのうちは皆と距離をとっていた。心を許す気なんか爪の先ほどもなくて、向こうだって自分と馴れ合うつもりはないはずと思っていたから、尚更。
 でも今は。
 数年の間、たくさんの任務を一緒にこなしてきた。危ない場面もあったけれど全て協力して切り抜けてきた。もちろん綱重の中ではザンザスこそが唯一で絶対の特別な存在なのだが、その他の事柄の内、“CEDEF”という組織は確かに大切な存在となり得ているのだ。
 体調が戻ったら、真っ先に伝えなければならないと綱重は思った。でも思いをそのまま伝えるのは流石に恥ずかしいので、心配をかけたことを謝り、看病を断ったのは皆が嫌いだからじゃないとちゃんと説明しよう……そう決心すると、何だか心が軽くなった。今の状況を単純に楽しいと思える心境だ。
 何といってもザンザスが傍にいてくれているのだ。父に頼まれたからかもしれないが、それでも嬉しくて堪らない。一体いつ来てくれたのだろう。ルッスーリアに買い物を押しつ――頼んで、一足先に来たのだろうか。それなら起こしてくれれば良かったのに。数分ならともかく数十分も寝顔を眺めていたのだとしたら、悪趣味だ。涎なんか垂らしてないよな、と口許に手をやりながら綱重は恋人の顔を見上げた。
「ねえ、ザンザ、」
「寝てろ」
「……もう眠くないよ」
「るせぇ。寝てろっつってんだろ」
 素気なく言葉を返されて、何だよ、と唇を尖らせる。しかし口喧嘩に発展させても勝つ見込みは今の熱に侵された頭では殆ど無いだろう。言い返すことなく口を噤んだ綱重は、ザンザスに背を向けて、氷枕に頬を押しつける。その唇は、ルッスーリアが粥を運んでくるまでツンと突き出されたままだった。


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