若と香辛料

 もうもうと立ち込める煙の中心で、激しく咳き込む人影。思わず手を差し伸べかけた拙者を鋭い視線が諫めた。だが、このまま待っていても辺りが一層煙で覆われるだけだろう。
「おい!」
 隣から響く制止の声を無視し、煙の発生地点へと駆けた。そこで何十本目かのマッチを擦ろうとしていた手を掴んで止める。煙が沁みたのか、咳き込んだ所為か、涙を浮かべた琥珀色の瞳がこちらを見上げた。
「一度中断致しましょう、若」
 若は、咳き込みながら頷いた。

 親方様のご子息であり沢田殿の兄上である彼、“若”が、我ら門外顧問チームCEDEFに加わってから半年が経とうとしていた。
 ちなみに若という呼び名はチームの古参メンバーであるターメリックが考案したものだ。通常、コードネームは香辛料の名からとるのが慣わしになっているのだが、なかなかチームに馴染もうとせぬ彼と、何とか距離を縮めようと考えた結果がその呼び方だったらしい。それのお陰かどうかはわからないが、頑なだった若の態度は次第に軟化し、そしてチーム内で定着した呼び名がそのまま残ったのだ。
 ――現在、拙者は、若とラル・ミルチの三人で、イタリア北西部の山中にて野営を行っている。野営の経験がない若に色々教えてやって欲しいと親方様から頼まれたのだ。ラル殿はこの話を聞いたときから機嫌が悪かったが、今や悪いなんて言葉で言い表せるものではなく。
「火すらおこせないとは情けない! その歳まで一体何を学んで生きてきたんだ!?」
「ぶっ」
 青筋を立てた彼女の本気の蹴りを真っ正面から受け止めて、若が後ろに引っくり返る。
「……っ、どうやったって煙しか出ないんだから仕方がないだろう! あれ、マッチか、薪のどちらかがおかしいんじゃないか!?」
「おかしいのは貴様だけだ!」
「ぎゃっ!」
 上体を起き上がらせた若は、しかし次の瞬間にはもう今度は拳によって地面に沈み込む。
「……一々、殴らなくたってわかるよ……」
 唇を尖らせた若が小さく呟くけれど、ラル殿にギロリと睨み付けられて慌てて口を噤んでいた。その光景はまるで沢田殿とリボーンさんを見ているようで、思わず頬が緩む。親方様が最近よく二人を一緒に行動させる理由はここにあるのだろう。
 ラル殿が若に詰め寄った。
「ならば、何故火がつかなかったか原因はわかっているな? 答えてみろ!」
 一番の原因は、薪を隙間なく並べた所為で空気の通り道がなかったことだろう。酸素が無ければ当然火などつくはずがない。それから燃やしはじめは軟らかい木を使った方がいいし、ここの地面は湿っているからもっとちゃんと火床を作らなければ駄目だ。
 その内一つの答えも示すことができないまま、若の目が泳ぐ。
 ラル殿がグッと拳を握ったのを見て、助け船を出そうと口を開きかけるが、それよりも早く若がポンと手を打った。
「――そうだ、マッチなんか使わなければ良かったんだ」
 思わぬ答えに目を見開く拙者たちを尻目に、若が手にしたのは拾い集めた薪の中でも一番長く太い枝だった。それを縦に持ち地面に突き刺す。同時に、若の足に橙色の炎が灯った。あっ、と思った瞬間、枝は蹴り折られ、そして燃え盛った。
「死ぬ気の炎を焚き付けに使うなんて……」
 ひくりと頬が引き攣るのが自分でもわかった。ラル殿は、本当は怒鳴りたいのに実際に火がついてしまった為何も言えないのだろう、変な顔になってしまっていた。
「ブーツを初めて履いたとき一番最初にしたのも、たき火だったなあ」
 薪をくべ、火を調節しながら若がぽつりと呟いた。
 死ぬ気の炎を灯せる若のブーツは、もちろん特別製だ。十数年前に武器チューナー・ジャンニーイチが開発してから、若の成長に合わせ何度もサイズやデザインを変えながらも常にその足を包んでいる物だと聞いている。
「たき火……ですか」
「うん、焼き芋がしたくてさ」
「や、焼き芋……?」
「もちろん栗も焼いた」
 そう言って、当時を思い出しているのか楽しそうに微笑む若は、まるで小さな子供のように無邪気で可愛らしく、拙者もラル殿も暫しの間茫然と見入ってしまったのだった。


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