この世界は愛と憂で溢れている!

 休みをもらえた。
 一日だけだが好きなことをして過ごせと言われ、綱重は少し戸惑う。友人と呼べるような人間はいないし、趣味もない。だから、好きに、と言われて綱重が思い浮かべたのはただ一つだった。
「ヴァリアーに行くって言ったら止める?」
 尋ねれば、父は一瞬目を見開いて、でもすぐに破顔すると大きな掌で綱重の髪をぐしゃりとかき混ぜる。
「……盗聴器とか……」
「つけるわけがないだろう」
 笑みに困惑と呆れを混ぜつつ、家光は綱重に繰り返す。――明日は休みだ、と。

 メールを送ることにした。いきなり電話をしても、相手は出られないかもしれないし、何より、断りの言葉を直接聞くのは御免だった。
“明日、会いたい”
 携帯に打ち込んだ短い文章は一度読み返したあと、思い直して消した。
“休みもらえたんだけど、明日、行っても平気か”
 書き直して、今度はすぐに送信する。十分ほどして携帯が震えた。返信がきたのかと思いきや、電話だったので慌てて通話ボタンに指を伸ばした。
『――どこにいる?』
 もしもし、もなく、名乗ることもなくいきなり尋ねてくる声に綱重は慌てたままで答えた。
「え……と、外だけど」
『……』
 沈黙を気まずく感じる前に、つい口から飛び出してしまった間の抜けた返答に頭を抱えたくなった。しかし黙ったままではいられないので、顔に集まりかけた熱を散らすかのように一度咳払いをして、帰る途中なんだと言い直す。
『仕事は終わったのか』
「うん。そっちは?」
 再び会話が途切れた。
「……、……ザンザス?」
 眉を寄せながら呼びかける。姿の見えない中、こんな風に黙りこまれてしまうとどうすればいいのか分からなくなる。綱重が携帯を掴む手に力を込めるのと同時に、ザンザスが、らしくない呟くような声音で言葉を紡いだ。
『……だったら、明日じゃなくて今から来ればいいだろうが』

×

 ボンゴレ本部などと比べると、ヴァリアーのアジトは驚くほど警備が薄い。暗殺部隊のアジトに忍び込む命知らずなどそうは居ないし、居たとしても、最深部に辿り着くまでに誰かが気付いて、即刻処刑するからだ。そんなわけで楽々と屋敷に入り込んだ綱重は、ザンザスの自室に向かっているところを今までここに忍び込み散っていった命知らずたちと同じように、暗殺者に見つかってしまった。
「う゛お゛ぉい! 誰かと思えば綱重じゃねえかあ!」
 久々に耳にする大きな声に自然と口角が上がる。廊下の向こうから銀色の髪を靡かせ、駆けてくる男を視界に入れ、益々頬が緩んだ。片手を挙げ、挨拶をしようと唇を動かす。しかしそのとき、綱重の鼻腔をある匂いがくすぐった。
 その所為で、久しぶりだな、という再会を喜ぶ声より先に、一つの音が廊下に響き渡った。けして意識したわけではなく、音を発した綱重自身も一瞬それが何かわからなかった。スクアーロが一メートルほど先で足を止め、まじまじとこちらを見つめてくるのを見て、やっと認識する。
「……晩ごはん、まだなんだ」
 素直に申告した言葉を強調するかのように、再び、綱重の腹が鳴いた。

 ちょうど数人の幹部が食事をとっていたのだという。先程漂ってきた匂いの元だ。綱重の分の食事が新たに運ばれてくる前に、食事を終えた彼らは、しかし誰一人として自室に戻ろうとはしなかった。それどころか話を聞き付けた他の幹部も集まってきたので、綱重は大勢に囲まれながら食事をとることになった。
「あらあら、そんなにがっついて。よく噛んで食べなきゃだめよ。そんなにお腹が減ってるなんて、普段ちゃんと食べてるの? CEDEFにはコックなんて居ないんでしょ?」
 まるで久しぶりに帰省した息子に対する母親のような口調でルッスーリアが言う。口一杯に詰め込んでいたパスタを喉奥に送りながら綱重は頷いた。
「最初は外に食べに行ったりしてたんだけど、面倒臭くなって、三食キャンディバーで済ませてたらバレて凄い怒られた」
「せめてカップ麺にしなよ」
 心底呆れた声でマーモンが言う。続く言葉はなかったものの、皆、同意見らしい。呆れ返った視線が綱重に注がれる。
「だって、お湯の沸かし方がわかんなかったんだもん」
 居心地悪そうに身動ぎしながら、唇を尖らせて拗ねたように言えば、周りの呆れ顔が驚きの表情に変わった。綱重は慌てて付け足した。
「もちろん今はちょっとずつ自炊出来るように頑張ってるよ? 今じゃ卵も綺麗に割れるようになったし! ……時々は、失敗するけど」
 皆が、内容よりもそれを告げる声の調子や表情に驚いているのだということに、綱重はまったく気がつかない。依然としてぽかんとしている男たちの姿に、これではいけないと思ったのだろう。自分だけが特別なわけじゃないと言いたいのか、己と同じく、生まれつき家事とは無縁の生活を送ってきた少年に顔を向けた。
「ベル、卵なんて割ったことないだろ?」
 前髪の奥を覗き込むようにして顔を近づけてくる綱重に、ベルフェゴールは少し困惑気味だ。それに構わず、綱重は拳を握って熱弁を振るう。
「すっ……ごく! 難しいんだぞ! 殻は混ざるし黄身は割れるし!」
 何と返せばいいものか分からず黙り込むベルに助け船を出したのはルッスーリアだった。
「ね、お料理もするなら、お洗濯も自分でやってるの?」
「え? ああ、うん。服は最初のうち毎日新しく買ってきてたんだ。でも流石に一度着ただけで捨てるのは勿体無いって思って、全部クリーニング出したら、翌月支払い見た父さんが怒り狂ってさ」
「……まさかお金の動きまで完全に把握されてるの?」
 眉を曇らせるルッスーリアに、違う違う、と苦笑いで首を横に振る。
「家族カード渡されてるから。マーモンに貯金全部取られたから、それ使わなきゃ生活していけないんだ」
「その言い方だとまるで僕が追い剥ぎでもしたみたいに聞こえるじゃないか。あれは正当な対価として貰っただけだろう」
 マーモンが不満げに溢す。だが綱重以外の皆も一度は、この貪欲な赤ん坊に法外な料金を請求されたことがあったので、反応は冷ややかだった。
「そもそも全額渡すなんてまともじゃねー」
 ベルの言葉に、曖昧に微笑み返す。身辺整理のつもりでもあったとは今となってはなかなか言いにくい。
 ザンザスが10代目になる為には、自分が命を投げ出す必要があると綱重は考えていた。弟を殺すのは自分でなければならないから。そうすればどうせ処分は免れないだろうし、実の弟を手にかけたという罪の意識からも自分は必ず死を望むだろうと。
 そう考えると、今こうして食事をしながら他愛もない話をしていることが、至極愛おしく思えてくる。微かに目を細めつつ、それでね、と話を洗濯に戻した。
「“これで洗濯すればいいだろう”って言われて初めて部屋に洗濯機があるのを気づいて、使ってみたんだけど」
「……みたんだけど?」
「一回で壊れた」
「壊れただぁ?」
「……なんか……泡がいっぱい……」
「洗剤を入れすぎちゃったのね」
 長い指を頬に当て、ルッスーリアが溜め息を吐く。残りのパスタを口に運びながら、本当に母親のようだと思う綱重だった。


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