8

 ――観覧車にでも乗っている気でいろ。
 何をすればいいのかどう過ごしていればいいのか、わからなくて辛いのだと零した綱重に、ザンザスが返した言葉はそれだった。思いもしない言葉に驚いている綱重にザンザスは。
「地上からどれだけ離れても最後は元の位置に戻ってくるって決まってんだ。その間テメーは、空でも景色でも見てぼーっとしてりゃあいい」
 ザンザスは、力強く、そう言ったのだ。


「それじゃあ、俺たちは……」
「気を遣わないでもいい」
 獄寺に目配せし、その場を離れようとする山本を綱重は制した。そうしなくとも獄寺はツナの側から離れるつもりはなかっただろうが。
 獄寺から向けられる鋭い視線を綱重は受け流すと、地べたに座り込んだ。ツナたちにもそうするよう促し、そしてリボーンから受け取った弁当の包みを広げる。
「剣士には気遣い屋が多いのかな」
 馴染みある、銀髪の剣士の顔を思い出して小さく笑う。
「お兄さんも、剣士じゃないっスか」
「僕は他の武器も使うし、剣を極めたわけでもない。少し習っただけだ」
「あ、スクアーロに?」
 玉子焼きを口に運ぼうとしていた綱重の手が止まる。
「何故そう思う」
「え……と、踏み込んでくるタイミングとか、剣を振るう角度が似てたんで」
 綱重は僅かに眉を上げた。自然と箸を持つ手に力が込もる。けしてスクアーロと自分が似ているわけではない。そう山本が感じたのは、師であった初代剣帝の技をスクアーロが物にしたからだろう。
 黙り込んでしまった綱重に、戸惑いを隠せない様子で山本はツナに視線を送った。ツナは友人に小さく頷いて、それから兄を真正面から見つめ口を開いた。
「……兄さんは、あのとき、殺されようとしてたよね」
「いきなりだな」
 ツナの言う“あのとき”がいつのことか、分からないはずもない。それなのに問われた内容に似合わぬ笑みを浮かべる綱重を、もう逃げるのは許さないといった意思の強い視線が刺す。綱重は肩を竦めて頷いた。
「ああ、そうだ」
「それは」
 ツナは一度言葉を切った。下唇を噛み締めたあと、その後は早口で続ける。
「それは、ザンザスの為?」
「いや」
 綱重が緩く首を横に振る。しかしすぐに思い直したかのように、でも、と続けた。
「端から見れば、そう見えるのかもな」
 あくまでも、自分の望みを叶える為だけに動いたと綱重は言った。だが自分の望みは“ザンザスがボンゴレを継ぐ”ことだったので、お前にそう思われても仕方がないとも。
「どうして」
 弟の大きな瞳が潤んでいることに気づき、綱重はそっと息を吐く。兄のそんな態度に、ツナは思わず声を荒らげた。
「あいつに殴られたりとか、蹴られたりとかしてたじゃないか! それなのに何で、」
「あれは、殴られたかったから、良いんだ」
 驚きに目を見開く弟たちを見て、綱重は慌てて、別に痛いのが好きとかそういうことじゃないぞ、と付け足した。
「怒りや、悲しみ、苦しみ……僕なんかじゃ力不足だって解ってたけど、収めてあげたかった。昔あいつが僕にしてくれたように」
「ザンザスが?」
 驚いたように聞き返してくるツナに、綱重は顔を顰める。ツナの声には、あのザンザスが?という驚きよりも、どうしてザンザスが兄さんと?という驚きの方が強く込められているような気がしたからだ。
 訝しげにリボーンへと視線を移せば、
「言っただろ、俺はそんなにおしゃべりじゃねぇってな」
 などと言われて、脱力する。どうやら要らぬことまで喋ってしまったようだ。しかしもう今更、仕方がない。小さな溜め息混じりに説明する。
「あれだよ、幼馴染みってやつ」
「お、幼馴染み……!?」
 そんなに驚くなよ、と綱重は弟たちの反応に苦笑する。
「ずっと、一緒だったんだ。僕が勝手につきまとって、ザンザスはいつも厭わしそうにしてて、でも」
 傍にいることを許してくれた。
 当時を懐かしむかのように目を細め、綱重は空を見上げた。
「ザンザスがいてくれなきゃ僕はとっくの昔に死んでた」
 目も眩むような、澄みきった青空。西の方向には白い月がうっすらと浮かんでいて、綱重は頬を緩める。
 ザンザスの言葉の意味がようやく今、本当にわかったような気がする。日に日に痩せていく月を見ても、もう二度と“寂しげ”だなんて思わないだろう。どれだけ欠けたように見えても、月は空の向こうに丸く存在している。時に、見える姿に惑わされ不安になったとしても、見渡せば、大空がちゃんと全てを包み込んでくれていることを知っている。
 こんな風に空を見るのは何年振りだろう。ずっと、闇夜にばかり目を向けていた気がする。自ら視野を狭め、耳を塞ぎ、それが正しいのだと自分に言い聞かせていた。
「……ごめんな」
 ごく自然に、謝罪が喉から零れ落ちていった。
「ああ、勘違いするなよ。僕は自分のしたいことをしたんだ。それが間違っていたとは、今までも、これからも、絶対に思わない」
「兄さん……」
「ただ、もっと上手いやり方が出来ていれば、お前を巻き込まずに済んだとは、思う」
 綱重はツナを見る。
 母に似た大きな瞳は、昔とそう変わらないように見える。この弟がザンザスを倒したなんて今でも信じられなかった。この場所で、弟が炎を灯すのを見たこともあるが、それでも。
 自身の、開いた掌に視線を落とした。
『にいちゃん』
 ――幼い頃握った小さな手の感触は、未だによく覚えているから。
「今更信じてもらえないかもしれないが、僕は、お前には何も知らずに暮らしていて欲しかったんだ。危ないことも恐いことも知らぬまま、幸せに、」
「兄さん」
 穏やかな声が遮った。綱重が顔を上げると、そこには声と同じく穏やかな表情があった。
「オレ、毎日楽しいよ」
 目を見開く綱重を見つめ、ツナは一つ一つ言葉を選ぶようにしてゆっくり続けた。
「リボーンがオレの前に現れてから、そりゃ辛かったり痛かったり、逃げ出したくなることもいっぱいあったけど、でも、なかったことにしたいと思うような出来事は一つだってないから」
「10代目……」
「ツナ」
 獄寺と山本、それから小さな家庭教師にも、それぞれに視線を送って、ツナは再び兄を見た。そして、実はこれが一番聞きたかったんだと前置きして。
「兄さんはどうだった? イタリアで、幸せだった?」
 弟の問いに綱重はふわりと微笑んだ。

×

 午後の授業を受ける三人と、改めて雲雀に挨拶をしてくるという赤ん坊と別れ、一人自宅に戻った綱重は、三和土から家の中へと声をかけた。
「母さん」
 数秒して、どうしたの、と奈々が顔を出す。三和土に立ち尽くしたまま家に上がろうとしない息子に首を傾げながら、玄関へと歩み寄った。
「大切にしたいものが出来たんだ」
 ずばり、綱重はそう切り出した。
「……ずっと他のものは何もいらないって思ってた。じゃないと、自分が楽な方に逃げちゃう気がしたから。そうしたらこの気持ちが全部嘘になる、そんなのは駄目だ、僕には帰る場所なんかいらないんだって、ずっと思ってた。だから、久しぶりに帰ってきてもなんか落ち着かなくて」
 突然、捲し立てるように話し始めた息子に戸惑うでもなく止めるわけでもなく、奈々は神妙な顔つきで聞き入った。抽象的な物言いは、だからこそ今綱重が本当に伝えたいことを話しているのだと奈々には感じられた。
「でも、今更だけど、欲張りだって解ってるけど」
 震え出した声を叱咤するかのように、綱重の手が、提げていた弁当の包みを握りしめる。空の弁当箱は傾き、箸箱の中では箸が小さく音を立てた。
「やっぱり、僕は、ここも大事な場所だって思ってる。だって、だってここには、母さんがいて、綱吉がいて、」
「――綱重がいて、お父さんがいる」
 途切れた言葉を拾い上げて続けた奈々に、綱重は目を見開く。
「欲張りなんかじゃないわ。ここが貴方の家、何があっても、それが変わることはないのよ」
「そう、思ってもいいの」
 当たり前でしょ、と奈々は笑う。そしてまだ躊躇っている様子の綱重に腕を伸ばした。ギュッと強く抱きしめれば、服の下にある、青年と呼ぶに相応しく成長した体つきを感じて、奈々は目尻を下げる。
「おかえりなさい、綱重」
 どこかから、ガキ、と揶揄する愛しい人の声が聞こえてきそうで、綱重は、薄く笑った。

 どうせガキだもん。でもそんな僕でも好きでいてくれるんだろ?
 ……だから、大丈夫だよね。

 母の背中に手を回す。目を瞑れば瞼の奥がやけに熱かった。

「ただいま」

fine.


prev top next

[bookmark]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -